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弟子 天主はどこにいらっしゃるのですか。
師匠 天主は、天地のどこにでもいらっしゃるよ。
弟 主祷文を唱える時は、どの言葉でもって私たちの心を天主に向けるのですか。
師 冒頭の、「天にまします我らの父よ」という言葉によってだね。
弟 「主」と言わずに「父」と呼ぶのはどうしてですか。(注1)
師 それはね、天主が私たちを深く愛してくださっていることを思い起こし、信頼の心をもって祈願するためなんだ。
弟 「私の父」と言わずに「我らの父」と呼ぶのはなぜですか。
師 人類は皆、唯一の天主によって造られた、つまり同じ親を持つ兄弟であると思って、互いに愛し合うように、という意味が込められているんだ。(注2)
弟 天主が「天にまします」というのはどういう意味ですか。
師 私たちの父が天におられ、私たちの希望も天にあるということを思い起こし、この世のことに執着するのを止めるために言うんだよ。
弟 さっき、天主はどこにでもいらっしゃると言ったじゃないですか。なのに今、天主は天におられると言うのは、どういうことですか。
師 確かに、天主はどこにでもいらっしゃるよ。ただ、お救いになった善人たちにその姿を直接お見せになる(注3)ために天に楽園をお定めになったので、そう言うんだ。
弟 どのような言葉で、私たちの願いを天主へ申し上げるのですか。
師 「天にまします」以下、続けて唱える言葉によってだよ。
弟 続く言葉で、何を願うのですか。
師 七つの祈願(注4)だよ。第一に、「み名の尊まれんことを」と唱える。これは、天主のみ名とその栄光が世界へ広がり、全人類の主なる天主と、その御子、主イエズス・キリストとが人々に知られ、礼拝されるようになりますように、という意味だね。
弟 第二には何を願うのですか。
師 「み国の来たらんことを」と唱える。これは、私たちが悪と罪から解放されるように、そして神と御子イエズス・キリストが、現世においては恩寵をもって、来世においては栄光をもって、支配してくださるようにと願うものだ。
弟 第三には何を願うのですか。
師 「み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを」と唱える。これは、天においてすべての天使が天主の御意志に従っているように、地においても全人類が天主に従い、その御意志に沿ってお仕えすることができますように、と願うものだ。
注1 天主を父と呼ぶこと
興味深いことに、『どちりな・きりしたん』においては「てんにましますわれらが御おや」と訳されている。
さて、純霊たる天主にもとより性別などないが、旧約時代より天主は父のイメージで捉えられてきた。イエズスは天主に向かい「アッバ、父よ」と呼びかけ、また主祷文において我々も同様に「父よ」と呼びかけるよう教えられた。
注2 「我らの」父
前項の問答(天主が人間を愛し給い、人間も天主を敬愛すべきこと)と併せて読むと、福音の二つの掟「すべてに超えて天主を愛すべし」「自分の如く隣人を愛すべし」が自然と連想されよう。(マテオ22・34以下、マルコ12・28以下参照)
注3 天主を見る
救いの本質は天主を見奉ること(至福直観)である。
「今私たちは鏡を見るようにぼんやりと見ている。だがそのときには顔と顔を合わせて見るであろう」(1コリント13・12)
注4 七つの祈願
主祷文は七つの祈願に分けられる。
1.み名の尊まれんことを
2.み国の来たらんことを
3.み旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを
4.我らの日用の糧を今日我らに与え給え
5.我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え
6.我らを試みに引き給わざれ
7.我らを悪より救い給え
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