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これからの宗教間対話は「黙祷」がトレンドになるのかもしれない。
教皇庁「正義と平和協議会」の総裁Turkson枢機卿は18日、イタリアはアッシジで27日に開かれる諸宗教イベント(平和の巡礼)で、諸宗教・宗派からの参加者による合同祈祷会は行わない、と語った。
愛と平和の聖人として名高い聖フランチスコゆかりの地で全世界の諸宗教・宗派の代表者が平和のために集うこのイベントは、前教皇・福者ヨハネ・パウロ二世の肝煎りで1986年に始まった。
しかし、異なる信仰を持つ参加者が同一の祈りを唱えることに対しては、当初からシンクレティズム(宗教混淆)や相対主義、宗教無差別主義(どの宗教によっても救われ得るという説)につながるとの批判があった。批判者の中には当時の教理省長官ラッツィンガー枢機卿、今の教皇ベネディクト16世もいた。
二十五周年ということで教皇庁がイニシアチブを取る今回は合同祈祷は行わず、各参加者はそれぞれの信仰の流儀に従って「沈黙のうちに」祈ることとなった。
この理由についてTurkson枢機卿は次のように語った。即ち、このイベントは宗教間対話を促すもので、対話とは互いのアイデンティティを尊重するものだ。しかるに合同祈祷の試みは、諸宗教の教義や祈りの様式において厳然と存在している深刻な相違を無視しようとするものであり、対話とは相入れない――。
報道(CWN)によると、同枢機卿は合同祈祷を指して「信仰の水増し」とも発言したという。
日本語の語感ではさほどでもないが、「水増し」とは、それ自体で十全である正統信仰を世俗的利益などのために曖昧化し歪曲しているということであり、信仰者にとっては極めて強い非難だ。
古代ローマ時代から、ブドウ酒を水で薄めて供する行為は、悪質な詐欺の代表格だった(左党の諸兄にはこの点よくご納得いただけることだろう)。
バチカンの今回の決定は、エキュメニズムや宗教間対話の実践面における転換点となるのではないだろうか。
期待して見守りたい。
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