|
子供ミサ 【こども・みさ】
1. 子供が中心になって奉仕者を務めるミサ。侍者だけでなく、朗読や共同祈願、奉納行列なども子供だけで担当することがある。
用例:今日は子供ミサの予定だったが、インフルエンザで欠席者が多く侍者が足りない。仕方ない、大人に侍者してもらおう
2. 「子供のために」という口実で行われる、もとより問題の多い日本語訳のミサ式文をさらに幼稚な言葉づかいに改変し、聖歌に替えて童謡じみた宗教ソングを歌わせる、醜悪かつ冒涜的なミサ。
用例:「来週の10時のミサ、子供ミサらしいよ」「うわ〜最悪。じゃあ早ミサに行くか別の小教区で与るとしよう」
解説:
ミサ聖祭とは「神に犠牲を奉献する」式であり、宗教教育の時間ではない。
大切なのは心を合わせて祈り、司祭の手を通していけにえをささげることであって、司祭の唱える式文が聞こえるかどうか、式文を理解できるかどうかなど本来まったく問題にならない。
第二バチカン公会議後のいわゆる「典礼改革」の嵐の中で、本来ラテン語であるミサを各国語で唱えることが多くなったが、典礼はその尊厳にふさわしい文体でささげられるべきであり、日常会話の文体で行うのは不適切である。
教皇庁の指針『Liturgiam Authenticam』(2001年)でも、「典礼で用いられる言語と、日常の司牧活動で用いられる言語とは、区別されねばならない」と定められている。
したがって、口語体で行われている現行の日本語訳ミサは明らかに不適切であるし、ましてや典礼に子供言葉を持ち込むなど、聖なるものに対する感覚をまったく欠いた暴挙としか言いようがない。
また「子供をミサに合わせて教育する」のではなく「ミサの方を子供のレベルまで引き下げる」というのは、子供にとって百害あって一利なしの反知性主義である。
子供向きにアレンジされた式に慣れてしまうと、その分だけ本来のミサになじみづらくなる。
高学年になれば、そのように子供扱いされることやダサい歌や祈りに嫌悪感を抱き、教会を避けるようになる。さらにはそのような愚行に嬉々として興じる教会の大人たちの自己満足に、軽蔑の念さえ抱くこともあり得よう(正常に発育していればまったく健全な反応ではないか)。
本当に子供のことを考えるならば、子供ミサは「しない・させない・与らせない」のが親の愛と心得たい。■
|