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いささか旧聞に属する話で恐縮だが、第3回臨時シノドスの事前アンケートに対する司教協議会の回答(2014年1月15日付)が実に興味深い。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/synodus/synodus14th/res_jpn_sp3.pdf
日本宣教どころか、教会内でも信仰の世代間継承に失敗し、信徒の高齢化で教会が急速に自然消滅へと向かっている現状に対して、厳しい認識が率直に述べられている。
たとえばこんな具合だ。
次世代の人たちに信仰を伝えることは、極めて危機的な状況にあり、大きな課題である。 (7ページ)
信仰教育に関する全国・教区・小教区レベルでの体系的な司牧計画は皆無に等しいと言わざるを得ない。一生懸命やっている教区、小教区、司祭、信者も確かにいるが、あまりにも個人の努力に依存している。
司牧者の養成あるいは使命感に大きく左右されている。司牧者によって信仰教育のレベルが異なる。まずは司祭養成を徹底する必要があると思われる。
家庭での信仰教育がおろそかにされているように見受けられる。
(4-5ページ、下線は引用者による)
教会学校/日曜学校のリーダーなどを経験した人ならご存知だろうが、信者の子(ボンクリ=ボーン・クリスチャン)は大半が、次のような経過をたどって最終的に信仰を失うに至っているのが実情だ。
小学校低学年・・・初聖体の準備として信仰教育を受ける(十〜数十コマ)。
初聖体以降・・・塾や習い事などで(?)、教会に来ない者が多くなる。
中学校頃・・・堅信のために信仰教育を受ける(十〜数十コマ)。
中学・高校・・・部活などで教会に来なくなり、また周囲の人間がほとんど未信者であるため世間的な価値観に染まっていく。家庭で信仰教育がなされていなければ、教会の教理や道徳を耳にすることすらなく、完全に教会から離れ去る。
皆が同じ年頃に初聖体や堅信で少なくとも一定期間は一斉に要理教育をすることができるというのに、司教協議会みずから「司牧計画は皆無」と公言するという状況は、最も控えめに言って、理解に苦しむ(かくも痛烈な自己否定のできる司教様がたの謙遜さはほむべきかな)。
個人的には、初聖体の年齢設定や教育内容にも改善の余地はあると思うが、そこは措くとしよう。
日本の教会全体としてなにより問題とすべきは、初聖体後の信仰教育である。
長崎辺りは違うのかもしれないが、私の知る限り、小学生向けの教会学校では「(聖書の話を読んで、あるいは自然の中で)神さまの愛を感じましょう」といった感傷的なアクティビティが多く、公教要理を使って「信ずべきこと」「守るべきこと」を覚えるのが中心というカリキュラムにはお目にかかったことがない。
まして中高生ともなれば、カトリック的な倫理観やその根本にある自然法概念についても知らされるべきであろうに、彼らの年齢に即した適切な教材が極めて少ないのだ。
(なくはないのだが、どうしても説教くさく感じられ、生意気盛りの中高生は聞き飛ばしがちなのもまた事実・・・)
難しい年頃であるから、要理を丸暗記させたり上から善悪を押し付けようとしても難しいだろう。むしろ、彼らが教会に対して抱く疑問や反発を、そのまま受け止め、知的に解決するような読み物が求められている。
以前「おすすめの本」で紹介した『永遠の常識』(http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/37391216.html )などは、初学者にありがちな質問をかみくだいて解説しているという点でまさにうってつけと言えるが、もちろん文庫本1冊だけでは足りるはずもない。
初聖体と堅信を、単なる通過儀礼として終わらせず(この点、親たちの意識を変える必要があろう!)継続的な教育プログラムを、少なくとも教区レベルで体系的に実施するのでなければ、幼児洗礼の子の大多数が、自分が受け継いだ信仰がどのようなものか知ることすらなく成人前に教会から離脱する、という状況を改善することはできないだろう。■
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