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クリスマスが迫ってきた。今年も24日の夜のミサには教会に多くの人がつめかけるのだろう。
特に都市部の教会では、聖夜をよりロマンチックに過ごそうとする未信者のカップルであふれんばかりになる。
ミサでは福音書の御降誕のくだりが朗読され、司祭は説教の中で受肉の神秘を解説することだろう。
神は人間をよいものとして創造したが、人は罪を犯して神から離れてしまった。
しかし神は人間を愛しており、人類の救いのためにおんひとり子を世に遣わした。
これがイエズス・キリストである。
キリストは単なる人間、宗教指導者ではない。「人となられた神」なのである。
信者にとっては当たり前の話だが、日本ではこれを信じる信じない以前に、そもそもキリスト教がそのような教えであることすら知られていない。だから、初めてカトリック教会を訪れた人々のために、キリスト教の根幹をかみくだいて説明するのは有意義なことである。
しかし私としては、特に若い男女が集まる教会では、もう一つのテーマを説教に加える必要があると思う。
神は、結婚を神聖なものとしてお定めになった。
結婚によって男女は一体となり、互いに自らのすべてを与え合う。
婚姻関係の外での性的関係は罪である。
司祭や修道者が独身であるためか、カトリック教会は性や肉体を罪悪視していると誤解されることがあるが、そうではない。
婚姻を神聖なものとし、肉体を尊重しているからこそ、それに反する性的関係(婚前交渉・同棲・不倫・風俗・ポルノ等)は悪だと強く主張するのである。
セックス文化が蔓延する現代の我が国において、青少年が正しい倫理観を形成することは極めて困難になっている。闇から光へと移る降誕祭にあたり、死の文化に一灯の光を示すことは私たちの責務であろう。
過去に一度だけ、クリスマス夜半のミサでそのような説教を聞いたことがある。
若い恋人たちでごった返す聖堂を見渡しながら、司祭は笑顔で語りかけた。
「みなさん、ようこそ教会へお越しくださいました。キリストは『互いに愛し合いなさい』とおっしゃいました。どうか隣の彼氏・彼女を大切にしてください。
これからごちそうを食べて、ホテルに行こうと考えている人もいるでしょう。それはいけません。結婚するまで待ちましょう。それが相手のことを、そして自分自身を、本当に愛し大切にすることなのです。」
私は、正しいことを告げることを恐れなかったこの司祭に、心から敬意を表するものである。
それでは、素敵なクリスマスをお迎えください。
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はじめまして、
記事に同感します。
聖夜が性夜になってはいけないと思います。
男女ともに童貞であることが、悪のような、気持ち悪い、というような考え方が世界中の共通の認識のようになっているのは、残念な事だと思います。
[ johntherenya ]
2014/12/27(土) 午前 10:35