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ご復活おめでとうございます。
皆さまにおかれましては、復活の聖なる三日間をどのようにお過ごしになったでしょうか。
復活徹夜祭で洗礼式が行われたところも多かったと思います。
受洗者の顔ぶれはいかがだったでしょうか。筆者の所属する小教区でも結構な数の受洗者がありましたが、そのうち男性は数えるほどもいませんでした。
過去に何度か指摘しているとおり、日本でミサに与っている信徒の大半は比較的ご年配の女性です。
人口構成として不健全であると言わざるを得ません。
信者の(そして特に受洗者の)大半が女性であるということは、彼女が結婚していても配偶者は未信者であるということを意味します。
そうした家庭では、子どもに幼児洗礼を授けるのを夫が拒んだり、毎週の宗教行事(ミサ)に渋い顔をしたりして、次世代への信仰の伝達が困難になりがちです。
どうして教会に男性が来ないのでしょうか。
マーケティングなどでは一般に、女性は情緒的なものを好み、男性はロジカルなものを好む、とされているようです(女性が非論理的という意味ではなく、男性の方が購買活動の際にロジカルなストーリーによって後押しされる傾向がある、ということです)。
また、男性は女性よりも序列(ヒエラルキー)を気にし、正統性とか格式を重んじる傾向があるとも言われていますね。
…こうしてみると、今のカトリック教会に男性が魅力を感じにくい理由がわかる気がしませんか。
本来カトリックとは、聖職位階(ヒエラルキー)が厳然として存在し、理性を尊重する客観的でロジカルな信仰です。またラテン語による重々しい荘厳な典礼を行ないます。いわば男性好みの教会でしょう。
一方その根底には「神は愛であり、人類のために神は人となって十字架につけられ給うた、その愛の証しに自らをパンの形で残された」という空前絶後のラブストーリーがあります。なればこそ、多くの聖女たちはカトリック教会の荘厳な典礼のうちに神の燃える愛を感じとり、またそれに熱烈に答えてきたのです。
しかるに、この50年このかた、教会は躍起になって「男性好みの」特徴を薄めようと努めてきました。
司祭を先達として神に献げるものだったミサ聖祭は、司式者と会衆とが対話する会食の体裁になりました。
論理的な公教要理は忘れられ、感傷的に「神の愛を感じる」ことばかりが奨励されるようになりました。
典礼からは厳かさが排除され、親しみやすさ(誰にとっての?)が最優先のようで、正統性や規範よりも、主観的な好みが判断基準となっているかのようです。
こんな体たらくでは、教会に男性が寄り付かないのも無理はないのではないでしょうか。
先日も長崎の大司教様が海外メディアのインタビューに答えておっしゃっていましたが、長崎にあってさえも教会の衰退は著しく、危機感を抱いていらっしゃるとのことです。
誰に言われるまでもなく、日本のカトリック教会は絶滅の縁に立っています。司祭・修道者の召し出しは少なく、司祭は超高齢化、小教区は続々と閉鎖されたり巡回教会になったりしています。
「第2バチカン公会議の精神」を信奉する司教・司祭がたにとっては、せっかく推進してきた教会の去勢にブレーキをかけるようで気が進まないかもしれませんが、教会そのものが滅んでしまってオマンマの食い上げになっては元も子もないでしょう。
現状の「女性好みの」あり方を全部切り捨てろとまでは申しません。
「飯の種を確保するため」とでも功利的に割り切って、「男性好みの」正統的・理知的・荘厳なバージョンも併せて両方提供されてはいかがかと、老婆心ながら思った今年の復活祭でありました。■
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