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初めまして。東面ミサでたどり着きました。以前僕が若い時に「聖体拝領は原則舌に受けるものでしょう」ととある教区司祭に話しましたところ「では日本は原則から外れてるいるというのか!」と憤慨していました。この司祭の教育が足りないのか、司祭の教育の問題かはわかりかねますが。僕も拙いブログをやっております。スタンスはリベラル風なコンサバ、もしくはコンサバトリベララルの二階建てと言われております(苦笑)。バランスの良い記事が多いですね!
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2016/10/14(金) 午後 0:14
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コメントありがとうございます。ご懸念はよく分かります。特別形式だけをささげる属人区ができれば私もためらうことなくそちらに籍を置きます。
一方で秘跡の効果という本質的な意味で、通常形式でも特別形式でも「洗礼により原罪および自罪とその罰が除去され、霊魂に消えない霊印が刻まれる」ことに全く変わりないことも言い添えておきたいと思います。[ カトリック的。 ]
2016/9/14(水) 午後 9:11
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はじめまして。私はまだ未信者で、いずれは洗礼を考えていますが、ミサのことを考えると現在では小教区よりも聖伝のミサをささげているところで洗礼をしたほうがいいのでしょうか?
[ gai*a*e3* ]
2016/9/9(金) 午後 4:09
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アビガイルさん、普遍的な教会の中で同じ信仰の恵みを分かち合えるようになることを嬉しく思います。
「教会は救いの普遍的秘跡」と申します。プロテスタントでは、教会を何かしら神と個人との間に立ちはだかる障害物のようにイメージされがちですが、カトリックの理解では、教会の中においてこそ神と個人が真に交流できます。
同じ教会の中において、天国の聖人、煉獄の霊魂、地上の我々が一つの共同体を形成します。この諸聖人の通功(聖徒の交わり)のうちに、アビガイルさんとともに主を讃える日の近からんことをお祈り申し上げております。[ カトリック的。 ]
2016/8/21(日) 午後 8:11
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螢茶屋さん、ありがとうございます。おっしゃるとおり主イエズスの設立された教会は他にはありません。そしてこの教会は特定の時代や地域に属するものではなく、日本の司教方が自由にできるものではありません。私は司教の「個人的な好み」に追従するよりも教会と教皇様に従いミサ中は跪くことを選びます。
それは不従順ではありません。
立つことが強制されている訳ではないので私は自由意志で跪くのです。もしも強制ならそれは不法であり、司教であれ誰であれ不法行為を命じられても従う必要はありません。
「ちょっとした抵抗」をともにしている同志がいらっしゃると知り嬉しく存じます。祈り合い助け合っていければと思っております。[ カトリック的。 ]
2016/8/21(日) 午後 8:11
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プロテスタントで感じていた疑問を、本当にスッキリ解決してくださって、感謝しています。
いつくしみの特別聖年に入ってすぐ、カトリックの門を叩き、プロテスタントからカトリックへの転会準備中です。これまでの礼拝が礼拝ではなかったことを実感しています。プロテスタントはあくまでも神を知るための入り口にすぎない。必ずや、神に出会った人はカトリックへ導かれると確信しています。カトリックの普遍性を主に感謝。[ M ]
2016/8/20(土) 午前 10:27
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カトリック的さん こんにちは。

現在の教会に対する「カトリック的」さんの正しい指摘にいつも共感しています。
今度の高山右近列福ミサの典礼においてですが、グレゴリオ聖歌を排する意思がある人たちがいることが明確になってきています。「ラテン語のミサの復活を望む人たちの存在は噂に過ぎないと切望する」と公言する神父も現れました。
この誤った認識に対し、共に徹底的に正していきましょう!これからもよろしくお願いします!
[ カトリ ]
2016/12/3(土) 午前 11:50