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吉祥寺五右衛門さん、ありがとうございます。
私自身、日本の司牧者たちに失望し悲しんでいる無力な信者の一人に過ぎませんが、これからも(日本ローカルでない)普遍的な真理の喜びを分かち合っていきたいと考えております。今後ともよろしくお願いします。[ カトリック的。 ]
2015/11/3(火) 午後 7:25
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コスモスさん、聖伝のミサを愛する同志であられると知り嬉しく存じます。
もちろん戦うべき時には戦わねばならないとは理解しておりますが、コスモスさんのおっしゃるとおり、自滅に向かう日本教会には拘泥せず、普遍教会の一員という意識でいるのが精神衛生上も良いのでだと思います。[ カトリック的。 ]
2015/11/3(火) 午後 7:21
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素晴らしい論文でした。これからも日本の教会に失望する人々に光明を灯す言論活動を展開して下さい。
吉祥寺五右衛門[ Goemon Kichijoji ]
2015/11/3(火) 午前 1:45
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コメントをありがとうございます。
私も、Latin traditional Mass を愛する者ですが、小教区での役割もあり、小教区との関わりを持ち続けています。
今回の日本の司教文書を読むと、また、最近のカトリック新聞を斜め読みすると、正直なところ、もう日本の司教協議会は信頼できないという思いに至ります。
世俗的邪悪なマイナス面は細目で見逃し、
善きもの、崇高なもの、聖なるものに心を向け、
カトリックの真理を探究することが望ましいのかもしれません。
トップページに昨日のロザリオの聖母の祝日のヴェスペレのページの写真をのせておられますね。Liber Usualis を堂々と教会に持ち込めるような日が来るように願っています。[ コスモス ]
2015/10/8(木) 午後 11:02
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お住まいの地域によりましょうが、もし可能であるならば特別形式のミサに与られることをお勧めいたします。
ひとたび聖伝のミサの豊かさ・神聖さに触れてしまうと、もう日本のヘンテコなミサもどきには戻れなくなること必定です。[ カトリック的。 ]
2015/10/6(火) 午後 9:02
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体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れることはない(マテオ10・28)
主を畏れる者同士、ご聖体に対して欠けている敬意を、及ばずながら跪くことで少しでも補うことにいたしましょう。[ カトリック的。 ]
2015/10/6(火) 午後 8:59
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その3
自問自答のようですが、結局、この記事の冒頭にまとめておられるように、
>使徒座が承認したのはあくまで基本姿勢であり、
>ひざまずきの禁止を容認したのではない
ということが重要なポイントになるでしょうか。
聖座(ローマ教皇庁典礼秘跡省)は、日本において、
通常形式のミサ中、
跪きを禁止することを、認可したのですか?
そこまでの認可はとっていないのですか?
と問いただしたいですが、
うちの主任司祭はそのような微妙かつ重要な点を理解する日本語能力はお持ちでないように思えます…。
私のような人がほかにもいるとして、
もし、たとえ、小教区のミサから離れても、
影響はないのでしょう!
毅然としてはいても、心は悩みます。
長文失礼しました。[ コスモス ]
2015/10/4(日) 午後 8:54
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痛快ですね!
実際、この記事の眼目は、跪きは禁止されてなどいないし、禁止することもできない、という事実を再確認することにあります。
真の問題は、日本の司教団が基本姿勢から跪きを覗いてしまったことです。
彼らがどんな論法で正当化してくるか現時点では分かりませんが、日本は正座文化であり跪きの方が相応しいこと、日本では「立つ」行為が敬意の表現とは見なされていないことを反論として挙げることができるでしょう。
今後のポイントは、一刻も早く「跪く」を基本姿勢に戻すように(教皇大使や典礼秘跡省を通じて)働きかけることだと思います。
[ カトリック的。 ]
2015/11/4(水) 午後 1:55