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カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

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2016年11月27日の待降節第一主日より、世界中のすべてのミサは「東面式 ad orientem」でささげられるべし、と典礼秘跡省の長官Sarah枢機卿が発表しました。



今から50年ほど前に作られた新しいミサでは、司祭と会衆とが祭壇を挟んで向き合う「対面式 versus populum」が当たり前のようになっていますが、実はこれは第2バチカン公会議とは何の関係もありません。公会議後の典礼破壊運動のどさくさに紛れて広まった不適切な習慣なのです。


Sarah枢機卿は2015年6月や2016年5月にも「すべての司祭に東面式 ad orientem のミサを推奨する」と述べておられます。当ブログでもその都度、取り上げて来ました。

 枢機卿が痛烈批判! 「対面式ミサは公会議の精神に反している」
 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64683474.html

 【速報】典礼秘跡省長官、東面式ミサを要請
 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/65183034.html


今回Sarah枢機卿は、司祭と会衆が向き合う「対面式 versus populum」は神ではなく司祭が儀式の中心になっている、と改めて批判しておられます。
そして「今年の待降節第一主日」と具体的な開始日の例を挙げた上で、「できる限り早く、司祭と会衆とが同じ方向を向くようにすることが非常に重要」と述べられました。
わたしたちは神に背を向けてしまったのです。主の方に向き直りましょう!」と。


ミサはどう変わるのか


現行のミサが東面式になると、司祭は祭壇の裏側ではなく手前に立つことになります。
そして、会衆に対して「主はみなさんとともに」と呼びかける際には、振り返って挨拶する(伝統的には時計回りに会衆を向き、反時計回りで祭壇に向きなおる)ことになるでしょう。

第2公会議以前に建てられた教会では、祭壇(しばしば美しく装飾されている)は内陣奥の壁に固定されています。しかしそれでは「対面式 versus populum」ができないということで、貧相な「食卓」が手前に設置され、ミサはそちらで行われているというケースが多々あります。
対面式ミサが廃止されることにより、テーブル型祭壇は撤去して従来の美しい祭壇を再び利用することになります。

聖堂の中に、カトリック教会らしい荘厳さが戻ってくるのではないでしょうか。
楽しみですね。Deo gratias!■


Sarah枢機卿の発言原文はこちら:
http://www.catholicworldreport.com/Blog/4902/cardinal_robert_sarahs_address_towards_an_authentic_implementation_of_sacrosanctum_concilium.aspx


典礼秘跡省の長官Sarah枢機卿が、ミサでは司祭は会衆の方を向くのではなく、会衆とともに東(=祭壇)を向く(ad orientem)べきだと述べられました。

http://www.catholicherald.co.uk/news/2016/05/26/vatican-liturgy-chief-urges-priests-to-celebrate-mass-facing-east/


ミサは本来、司祭と会衆が同じ方向(神)に向かい、ともに神に犠牲をささげるものです。

ところが第2バチカン公会議の後に吹き荒れた典礼破壊運動の中で、どういうわけか司祭と会衆が向き合って互いに言葉を掛け合う形式が一般的になっています。
ミサが犠牲であることを否定し、ホスト(司祭)と来客(会衆)の食事会にしてしまおうとする異端思想の影響が指摘されています。


Sarah枢機卿は、司祭と会衆が向き合う形式(対面式)は第2バチカン公会議の教父たちが意図したものではなく、ミサのとりわけ奉献の部では、司祭は会衆とともに東を向かなければならない、と強く求めておられます。

枢機卿は、すべての司祭は特別な許可を得る必要はなく自由に、会衆とともに神の方を向いてミサを挙行することができる、とも確言しておられます。
(司祭が東面式ミサを行うことを、司教が禁止することはできないという意味です)


日本でも、本来のあり方に近い東面式ミサがささげられるようになるとよいですね。
神聖さに対する感覚と、信念と勇気のある司祭が日本にもおられることを願ってやみません。■


あわせてお読みください:

枢機卿が痛烈批判! 「対面式ミサは公会議の精神に反している」
http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64683474.html

カトリック信徒が使う独特の言い回しや単語を蒐集しています。全部マスターすれば、あなたも教会通!?
                               
                               

【あ行】

・アベムス・パパム http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63260131.html
・アレルヤ http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64743991.html
・イベント信者 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64473085.html

【か行】

・帰天 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63265561.html
・子供ミサ http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63547411.html

【さ行】

・受洗 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64894835.html
・聖堂 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63290197.html

【た行】

・大聖堂 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64502679.html
・天国泥棒 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63293442.html

【な行】

・年間 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63303428.html
・ノブス http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64491784.html

【は行】

・不完全痛悔 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63312801.html

【ま行】

・未信者 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63344014.html
・メア・クルパ http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64894876.html

【や行】

・要理 http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/63921215.html

【ら行】
 

【わ行】

・分かち合い http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/64110618.html


許可と強制は別物

ある小学校で、それまで靴下は白無地のみと決まっていたのが、ある時からワンポイントまでOKと変わったんだそうです。するとある児童が、無地の靴下を履いている児童に「柄が入ってなきゃダメなんだよ」と言ったのだとか。
「してもよい」と「せねばならない」をごっちゃにしてるんでしょうね。まぁ、まだ子供ですからね、論理がわからないのでしょうね。

と思ったら、大人の世界でも似たような話があるようです。
いわゆるクールビズを実施している企業は多いですが、ある会社で、重要取引先とのアポがあってネクタイを締めて出勤してきた社員に、「みんなクールビズなのにネクタイしてちゃダメじゃないか」と言った上役がいたんだそうです。時宜に合わせてフォーマルな格好をしたのに叱られるなんて馬鹿げてますね。

自由選択や多様性を認めず、「皆と同じ」であることを強要する・・・同調圧力というやつですネ。


日本司教団の全体主義


理性と愛の牙城たるべきカトリック教会でも、残念ながら日本ではこの同調圧力が猛威をふるっています。

たとえば、ミサの聖変化の時には、全員ひざまずくのが全教会共通の基本ルール。狭い場所に人が密集していて物理的にひざまずくのが無理だったり、脚が不自由など健康上の理由があれば、立ったままでいることも許されています。
ところが日本では、「事情によっては立ったままでもよい」を「いつでも立ったままでなければならない」と読み替えて、ひざまずかない方がよいと間違った指導をする司祭が多く出てきてしまいました。

本来なら司教は間違いをただし、「本当のルールはこうですよ」と教えなければなりません。
驚くべきことに、日本の司教たちは現状を改善する任務を放棄してしまい、低きに流れる傾向を追認・助長します。「ミサの基本姿勢を立ったままとする」と一方的に(日本の正座文化を無視して)決定、それでローマの承認を取ってしまったのです。

司教たちの言い草がまたふるっています。
それでもなおひざまずく人に対して、「皆が立つのだから、自分の良心に従うのではなく周りの人に合わせて立ちなさい」というのです。ある集団の中で多数派であることが絶対的な権威であり、その多数派の意見が正しいかどうかなど関係ない、という主張です。

これを全体主義と言わずして何と言いましょう。

日本のカトリック教会は日頃しきりに政治的なキャンペーンを張ってらっしゃいますケド、実は司教たち自身が一番の全体主義者とは皮肉なもんですネ。


けれども私は悲観はしていません。

冒頭の、お友達に「もう白無地はダメなんだよ」と言った児童も、校則を見れば自分の間違いに気づくことでしょう。また、例外的な許可を絶対化して本来の基準を否定するのはおかしい、ということもいずれ理解するでしょう。
理性を重視するのがカトリシズムの特徴。時の流れの中で、一時的に不合理がまかり通ることがあっても、いずれ自然と道理に戻っていくものだと思っています。

御摂理への信頼と希望を胸に、日々祈って行きたいと思います。■


イエズスの聖心に家庭を献ぐる祈

至聖なるイエズスの聖心(みこころ)よ、主はかつて聖女マルガリタ・マリアにキリスト信者の家庭に王たらんとの御望(おんのぞ)みを明かし給えり。われらは主の御旨(みむね)を尊みて、今日(こんにち)ここに集まり、主がわれらの家庭の王にましますことを宣言し奉る。われらは今より、主の御生活(ごせいかつ)にならい奉りて、この世の平和に必要なる諸徳の花を、われらの家庭に咲き香(にお)わせ、また主の忌みきらい給う世間的精神をば、はるかにわれらの間より遠ざけんと欲す。願わくは、われらの知恵を治めて、信仰を素直ならしめ、われらの心をすべて、主ひとりを愛せしめ給え。われらはしばしば聖体を拝領して、主の愛に燃え、その炎をいつまでも失わざらんと欲す。
至聖なるイエズスの聖心よ、われらのまどいに長となり、われらの精神的および物質的事業を祝し給え。禍いを遠ざけ、喜びを神聖にし、苦しみを和らげ給え。われらのうちに、主の御旨(みむね)を痛め奉る不幸に陥る者あらば、主が悔改むる罪人に対して慈しみとあわれみとに充ちあふれ給うことを、思い出さしめ給え。
ついにわれらの家庭が、死別の不幸にあい、悲しみの雲に閉ざされん時は、去る者も留まる者も、すべて主の永遠の御定(おんさだ)めに服従し奉らん。やがては全家(ぜんか)挙(こぞ)りて天国に相集まり、主の御栄(みさか)えと御恵(おんめぐ)みとを、永遠に讃美する日の来るべきことを思わば、みずから慰むるに余りあるべし。願わくは聖母マリアの汚(けが)れなき御心(みこころ)と、栄(さか)えある太祖聖ヨゼフとは、われらの家庭奉献を主の御前(みまえ)に取次ぎ、われらをして、今日のこの奉献の記憶を、終生忘れざらしめ給え。願わくは、われらの王にして、父なるイエズスの聖心の、世々に活き、かつしろしめし給わんことを。アーメン。

O Sacratissimum Cor Iesu

O Sacratissimum Cor Iesu, Tu beatae Margaritae Mariae desiderium regnandi super christianas familias pandisti: ecce ut tibi placeamus adsumus hodie, ut plenum tuum super nostram familiam imperium proclamemus. Volumus deinceps tuam vitam vivere, volumus in sinu familiae nostrae florere virtutes, quibus Tu in terris pacem promisisti, volumus longe arcere a nobis spiritum mundi, quem Tu damnasti. Tu regnabis in mente nostra fidei nostrae simplicitate, in corde nostro tui solius amore, quo flagrabit erga te et cuius vivam servabimus flammam frequenti divinae Eucharistiae receptione. Dignare, Cor divinum, nobis praeesse in unum convenientibus, benedicere negotiis spiritualibus et temporalibus, arcere molestias, sanctificare gaudia, poenas levare. Si quando misere quis nostrum in tantum aerumnam inciderit ut te affligat, fac in memoriam illi redigas, Cor Iesu, te cum peccatore, quem paenitet, plenum esse bonitatis et misericordiae. Et quum hora separationis insonuerit et mors in familiae nostrae sinum luctum intulerit, nos omnes, sive abeuntes sive manentes, tuis aeternis decretis nos subiiciemus. Hoc solatio erit nobis, animo recogitare venturum esse diem, in quo familia nostra, in caelo coniuncta, tuam gloriam, tua beneficia in aeternum cantare poterit. Dignetur Cor immaculatum Mariae, dignetur gloriosus Patriarcha sanctus Ioseph tibi hanc consecrationem offerre, eiusque vivam in nobis singulis diebus vitae nostrae conservare memoriam. Vivat Cor Iesu, Regis et Patris nostri! Amen.

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