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(つづきです)
さらに視線を下へ向けると、五つの丸い物体(東京教区のHPによると、これはパンを表している)を囲んで二匹のスズキが向き合っている。
スズキと言っても、もちろん人名ではない。紋章学では、こういった形状の魚の図像をスズキと呼ぶらしいんである。繰り返すようだが、私は紋章学を習ったわけでもなく全くの素人なので、細かいところを突っ込まれると困るのである…。
五つのパンと二匹の魚といえば、共観福音書に出てくる、キリストが食物を増やして人々に与えたという奇跡だ。
東京教区のHPには、「五つのパンと二匹の魚は新約聖書の話(マタイ14章、マルコ6章、ルカ9章)にあるように、私たちが持っているわずかなものでも分かち合うのなら、神の祝福によってみんなが豊かになることを表しています。」と説明されている。
そ、そうだったの!?
私は、この話は「神の言葉には事物の本質を変化させる権威がある」ということを示すもので、「聖体の秘跡」の予兆の一つである、と習ったように記憶していたのだが。
最後の晩餐で、キリストはパンとぶどう酒を取って「これは私の体、私の血である」と言い、聖体の秘跡を制定された。この時にキリストが意味もなく使徒たちに悪い冗談を言っていたのでなければ、神の言葉の権威によって、パンとぶどう酒は外見はそのままで本当にキリストの体と血に変わったに違いないのだ。
カトリック教会で行われるミサ聖祭とは、「これを行え」とおっしゃったキリストに従って行われるものである。聖体制定の時の主の言葉と同じ言葉によってパンとぶどう酒がキリストの体と血に変わり、多くの人の罪のゆるしとなる十字架上のキリストという犠牲とその恵みが、リアルタイムのものとして眼前に立ち現れるのだ。
この聖体制定を準備するものとしてパンを増やす奇跡が行われた、と私は思っていたのである。
もしかすると、私の記憶違いかもしれない。
だが、それにしたって、教区HPが「分かち合えばみんなが豊かになる」とだけしか言わないのはどうかという気もする。何も知らない未信者には、「みんな仲良くね、独り占めはダメよ」という通俗道徳か、「私有財産制を廃止すれば労働者が豊かになる」という共産主義スローガンのようにしか聞こえないのではないか。 ・・・と要らぬ心配をしてしまった。
いや、実に要らぬお節介である。話を元に戻そう。
五つのパンと二匹の魚は、グレーで彩色されている。
グ、グレー?
前回も書いたように、グレー、灰色という色は紋章で使用できる色ではない。
ふむう、何色を表現したかったのか。近いところでは銀(白)かもしれない。そうだ、そうに違いない!
…ところが、である。前回見たように、地の色は(黄であれ白であれ)金属色という結論であった。だとすれば、金属色の上に金属色を重ねることになり、紋章ルール違反ということになってしまうのである。うーむ、困ったものだ。
(この項さらにつづく)
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