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カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

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前回は、「宗教」というのは、生きていくうえで基本となっている世界観であり、何か行動したり判断を下したりするときの前提となる価値観であり、要するに、ある人の根本的な思想体系なんだ、という話をしました。
う〜ん、これじゃ難しいな・・・。「思想体系」というのは、互いに関連する主義主張の集まりだと考えてみてください。
ある宗教を信じるというのは、その宗教の主義主張を真実と認める立場になる、ということです。(このことについては、また今度、「信じる」ことについての記事で説明します。)


さて、次のような意見を言う人がいます。
どんな主義主張にも与せずに、どんな立場からも自由でいるべきじゃないの?
私はどの宗教にも属していないから、宗教間の争いは中立の立場から公平に判断できるよ。


はて?
どんな主義主張も持たない人っているのかなぁ?
それに、完全に客観的にものごとを判定できる人間なんて、いないよねぇ。



「宗教」とは、ある人のすべての考えや行動の前提となる根本的な世界観・価値観に関わる主義主張だと言いました。その観点からすれば、「どの宗教にも属していない」人は大勢いても、「宗教を持たない」人などほとんどいないことになるのではないでしょうか。

むしろ、「宗教を持っていない」ということは、「自分は何かする時に前提となる価値観がないので、いつも行き当たりばったりだ」と公言していることになってしまいます。
もしそれが本当なら、そんな人、恐くてとても近寄れませんよ。仲良くされるのか殺されるのか、会う時次第で分からないのですから。友人を愛し殺人を厭う程度の一貫した主義くらいは持っていてもらわないと困りますね。

さて、ものによっては、主義主張(=宗教)に名前が付いているものがあります。カトリシズムとかコミュニズム(共産主義)とかがそうです。エゴイズム(自己中心主義)とか拝金主義とかもそうですね。
名前の付いていない主義主張だって沢山あるでしょう。たとえば、日本人が自分では「無宗教」だと主張しながら神仏や先祖を崇拝し宗教行事(墓参や祭)に参加するという、これを適切に言い表す名前はまだ定まっていません。
しかし、名前はついていませんが、これだって多くの日本人が生育環境や教育などによって知らず知らず受け入れている宗教にほかならないわけです。
「自分は無宗教だ」と言う人も、何か感じて・考えて・行動して生きている以上、何らかの主義主張を(意識せずに)肯定しています。その主義主張に名前が付いていなくても、自分ひとりだけの主張だとしても、それも立派な一つの宗教と言えるのです。


こういったわけですから、多くの人が賛同しているキリスト教とかイスラム教といった主義主張と、賛同者が自分ひとりという主義主張とは、どちらもそれが宗教であるという点では立場は同じと言えます。(私としては、キリスト教やイスラム教の方が、誰か一人の思いつきの主張より上だと考えますが、それは措いておきます。)
名前の付いた宗教(=主義主張)に所属していないからといって、宗教(=主義主張)を持っていないということにはなりません。ましてや、他の宗教を客観的に見ることができると錯覚するのは思い上がりとしか言いようがありません。


たとえてみれば、人は皆、色眼鏡をかけているわけです。自分だって色眼鏡をかけているくせに、それを忘れて、自分は正しい色を見ることができると思い込むのは愚かなことです。
大事なのは、自分だけが色眼鏡をかけていないかのように振舞うことではなく、自分がどんな色眼鏡をかけているか知ることではないでしょうか。そして、より正確に見ることのできる色に、自分の色眼鏡の色をチューンアップいくことも必要なのではないでしょうか。少なくとも、自分の眼鏡だとどれだけ歪んで見えるのか、考えていなければならないでしょう。
試験勉強で使いませんでしたか? 教科書などで大事な語句の上に緑色のマーカーを引いて、赤いシートを通してみると文字とマーカーが黒くつぶれて見えなくなる、アレ。自分は今、赤い色眼鏡をかけているので見えないけれど、別な色眼鏡であれば語句が見えることもある、そういう感覚を忘れたくないものです。

「自分は無宗教だから中立だ」と無邪気に言ってしまえる人が宗教について話す時、往々にして頓珍漢なことを言ってしまうのは、そんなところに理由があるのかもしれません。自分だって色眼鏡をかけていることを度外視しているからでしょう。

宗教研究の難しさもそこにあります。学的に誠実な研究者であれば、自分も先入観をもって観察していることを常に自覚していますが(そのつもりになってるだけ、の人も多いですが・・・)、先ほどの緑マーカーと赤シートの例のように、どうしたって見えない物があるかもしれません。だからといって、一つの研究の途中で次々と色眼鏡を変えてしまっては、一貫した観察になりませんから、そうもいかないわけです。

カトリック(と自称する)論者の中にも、けっこう多いんですよ。「キリスト教も仏教も、現世の蔑視を主張する点で同じだ」とか、「カトリックが天国の霊魂(聖人)を敬うのは、日本の死者(祖霊)崇拝と親和性がある」とか、無頓着に言っちゃえる人が。
表面上だけでも明らかに違うんですけど、「万宗同根論」とか「宗教多元主義」とかいう歪みの激しい偏った眼鏡をかけていると、まったく違うものも同じもののように見えてしまうんでしょうね。そんな人はきっと、カトリシズムそのものも、ろくに見えていないんじゃないでしょうか。


今回はだいぶ余談が過ぎました。
次回はもう少し話を進めてみたいと思います。


続きを読む
http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/28565835.html

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