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「それじゃ、神父さんは」と犯罪学の教授はなじるように言っていた――「犯罪学が科学であることを信じないとでもおっしゃるのですか」
「にわかには信じがたいことですな」神父は答えた。「あなたは聖徒研究(ハギオロジー)が科学であると信じるとでもおっしゃるのですか」
「妖婆(ハッグ)……学(オロジー)……?」
「いやいや、妖婆の研究などではない。魔女を火あぶりにする話とも無関係です」神父は笑って答えた。「聖人(ハギオス)や聖物などの研究のことです。中世におこった学問です。中世は残酷にして無知蒙昧の時代ということになっているが、あのころの人たちは善人についての科学を作ろうとしたのでしてな。現代は人道的にして文明開化の時代ということだが、このごろの人たちは悪人についての科学にしか興味がないようだ」
「頬ひげの二つある男」(『ブラウン神父の秘密』創元推理文庫)より
逆説(パラドックス)とユーモアを用いて、世間の通説が実は間違いだということを示すという、チェスタトンお得意の手法です。
いまだに「暗黒時代」という言葉を中世ヨーロッパの枕詞のように使う人がおりますが、実に恥ずかしいことですよ、それは。
研究者によって多少意見が分かれますが、大ざっぱにローマ帝国の滅亡からビザンツ帝国の滅亡までを中世としても、実に1000年の長きに渡ります。とても一口に言うことはできませんが、カロリング・ルネサンス、12世紀ルネサンス、そしてルネサンスと、中世には様々な学問や芸術が隆盛を見ており、暗黒というには当たりません。
ルネサンスの芸術興隆を「腐敗」と見なして宗教改革を起こし、理性を軽視して信仰を科学の光から遠ざけ、果てはブッシュ大統領のごとき原理主義に至るプロテスタンティズムの方が、ずっと「暗黒」というにふさわしい気がしますけれども・・・。それはさておき。
ローマ帝国滅亡後しばらくの間、初期中世においては、確かに「暗黒時代」と言える時期もあります。高度な文明を誇ったローマ帝国が蛮族によって破壊され、学問的にも文化的にも無秩序状態に陥ったのです。
その中で、ただひとり文明を保ち続けたのがカトリック教会でした。
カトリック教会が再び文明と倫理を伝えたことで、秩序が回復し、暗黒時代を脱することができたのです。
中世とて、決して完全な理想的な世界だったわけではありません。中世には中世の悪もありました。
けれども、現代には無い悪が中世にあったからといって、「現代は理想的な世界で、中世は悪しかなかった」と結論するのは非論理的です。現代には現代の善や悪があるように、中世には中世の、現代とは異なる善や悪があったと考えるべきでしょう。
チェスタトンが逆説を用いて表明しているのも、まさにその点ではないかと思います。
私たちが、「中世は暗黒時代だったが、現代は進歩して、ずっと善い時代になっている」と考えるならば、その考えには少なくとも2つの論理上の誤りがあります。
一つ目は、生物学上の理論である進化論を、まったく別の分野である人間社会に対して無批判にかつ正当な理由なく適用しているということ。
社会がある特定の法則に従って変化していく、という考えですね。
これを何というでしょう。共産主義の唯物史観といいます(笑)
もう一つの誤りは、百歩譲って仮に社会が「進化」していくとして、その「進化」が倫理的な善へ向かっていくと無根拠に前提していることです。
社会が特定の法則に従って変化するとして、その変化の先が善い社会だと誰が言えるでしょう。
マルクス主義が正しければ、社会は悲惨な武力闘争と労働者革命の果てに共産党独裁という理想郷へ到達するのだそうですが、そんなのを「善い」と言うのは共産党幹部だけでしょうね。
ことほどさように、私たちが何気なく常識だと思っていることは、考えてみるとメチャクチャ非常識なことだったりします。
この非常識な「常識」を、逆説とユーモアで鋭く指摘するのがチェスタトンの持ち味です。
むしろ、世間の通説が逆立ちしているために、まっとうなことを指摘しようとすると「逆説的」にならざるを得ない、とも言えましょう。
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