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◆偶像礼拝とは
話を始めるに当たって、まずは「偶像礼拝」の定義を明確にしておく必要があるでしょう。
小林珍雄編『キリスト教用語辞典』(東京堂出版)を見ますと、次のように書かれています。
偶像礼拝(ぐうぞうれいはい) 〔拉〕Idolatria
神以外の何らかの人あるいは者を神として礼拝すること。間違った仕方で神を礼拝することも、一種の偶像礼拝である。
偶像礼拝は大罪中の最大のものとされており、たとえ恐怖乃至はその他の理由から、何らそれを礼拝する意なく、被造物に対して単に外面的礼拝がなされる如き実質的偶像礼拝もまた、大罪であるに変りはない。
このように、カトリックでは偶像礼拝が「大罪中の大罪」として忌避され、厳しく禁じられていることが分かります。
さて、偶像礼拝は次のように定義できるでしょう。
1.神でないものを神として礼拝する
2.不適切な方法で神を礼拝する
この2点のいずれか、もしくは両方を満たすのが偶像礼拝ということです。
つまり、礼拝の「対象」や「方法」が間違っている時、その礼拝行為は偶像礼拝だということです。
これは考えようによっては非常に厳しい定義と言えるかもしれません。絵や像に限らず、人間でもお金でも天体気象でも、なんであれ神以外のものを礼拝するならば、それは偶像礼拝だというのですから。
そればかりか、真の神に対してであっても、礼拝の方法が正しくなければ、それも偶像礼拝だというのですから。
ここでお気づきの方もあるかと思いますが、単に絵や像を作ったり、あるいはそれらを建物の中に置いたりすることは、それ自体は(偶像礼拝の2つの要件のどちらにも当てはまらないので)偶像礼拝ではない、ということです。
当たり前ですね。
画家や彫刻家は偶像礼拝者でしょうか。芸術品を鑑賞することは偶像礼拝でしょうか。美術館は偶像礼拝の神殿でしょうか。・・・そんな馬鹿な話はありませんね。
問題は「絵や像があるか無いか」ではなく、「礼拝の対象や方法がまちがっているかいないか」ということです。
従って今度は、礼拝とは何なのかを見てみる必要があるでしょう。
ある礼拝行為が(対象や方法において)正しいか否かを検証するなら、そもそもその行為が礼拝であることが大前提です。
次回からは、礼拝の定義について見ていきたいと思います。お楽しみに!
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