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カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

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主祷文 1


師匠 ローマの聖なる教会が教える祈りoratioを教えようね。それから、信じるべきことがらと、行うべき善業について説明していくよ。それが、「主祷文」、「天使祝詞」、「サルベ・レジナ」、「信経」、「天主の十戒」と「教会の掟」。これらは全部、おろそかにすることなく堅く信じ、かつ、つとめ行うべきものなんだ。

弟子 善悪を区別できる年齢(注1)に達したキリスト者は、何を知ることが必要ですか。

 三つのことを知らなければならないね。天主によく信頼すること、天主を堅く信じること、正しく生きる道を知ること、この三つだ。

 天主に信頼する道はどのようにして知ることができますか。

 「主祷文」(注2)によって知ることができるよ。

 信じるためには何を知るべきですか。

 「信経」と信仰箇条を知らなければならないね。(注3)

 正しく生きるには何を知るべきですか。

 正しく生きるためには、「天主の十戒」と「教会の掟」を知り、また悪を退けるためには「七つの罪源」を知っておかねばならないね。

 正しく信じ、正しく望み、正しく生きるためには、今おっしゃった他にも必要なことがありますか。

 そのとおり、必要不可欠なものがある。それが、天主から直接与えられる三つの善徳だ。正しく信じるには信徳fides、よく信頼するには望徳spes、正しく生きるには愛徳caritasが必要なんだ。
さて、さっきも言ったとおり、よく信頼するには「主祷文」を知ることが大事なので今教えよう。

天にまします我らの父よ、願わくはみ名の尊まれんことを。み国の来たらんことを。み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日我らに与え給え。我らが人に赦すごとく、我らの罪を赦し給え。我らを試みに引き給わざれ、我らを悪より救い給え。アメン。(注4)

 この祈りは、誰が作ったものですか。

 畏れ多くも私たちの主イエズス・キリストが直接お教えくださった祈りなんだ。(注5)

 何のためですか。

 祈りを唱える方法を教えるためだよ。

 祈りとは何ですか。

 祈りは、私たちの心を天に向け、主なる天主に望みをかなえていただくための道とも橋ともなるものなんだ。


注1 善悪を区別できる年齢

概ね6〜7歳前後とされる。カトリック実践倫理において重要な年齢区分の一つ。
罪(大罪)とは、「1.重大な事柄において、2.それが罪悪であると認識しつつ、3.実行しようと決意する」の3つの要件を満たす時に成立する(1つまたは2つを欠く場合は小罪)が、未だ善悪の分別のつかない幼児にあっては2つめの要件を欠くため大罪が成立しない、即ち堕地獄の可能性がない。そのため幼児洗礼を受けていた7歳未満の幼児が死亡した場合(その救霊が確実であるから)、故人の救霊を祈願する成人のそれと異なり、葬儀では彼の霊魂に天国の幸福を与え給う天主を讃美する。

注2 主祷文とは

「Oratio Dominica」の訳、口語では「主の祈り」。冒頭の句を取り、「天にまします」や「パテル・ノステルPater noster」とも呼ばれる。
天主へ「父よ」と呼びかけ、7つの祈願によって人間が望むべきこと、依り頼むべきことが示されている。

注3 信じるために知るべきこと

「信じる」という語に何かしら神秘的かつ曖昧な定義を与える異教やプロテスタンティズムと異なり、カトリシズムにおいて「信じる」とは通常の語義通り「ある事柄を真と承認すること」である。
キリスト教を信じるためにはキリスト教の内容を知らなければならない。そしてキリスト教の内容を明文化したものが「信経」や信仰箇条である。

注4 主祷文の本文

マテオ6・9-13、ルカ11・2-4参照。
ラテン語原文:Pater noster, qui es in cælis: sanctificetur nomen tuum; adveniat regnum tuum; fiat voluntas tua sicut in cælo et in terra. Panem nostrum cotidianum da nobis hodie; et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus debitoribus nostris; et ne nos inducas in tentationem; sed libera nos a malo. Amen.
なおプロテスタント教では、主祷文の本文に続けて栄唱「国と力と栄光は・・・」を唱えるが、これは若干の写本に由来するもので、本来の聖書本文ではなく後代の加筆と考えられる。

注5 キリストのご制定

主祷文は天主御自らが教え給うた祈祷文であると同時に、天主に対して「父よ」と呼びかけており、その畏れ多さたるや言語に尽せない。
そのためミサ聖祭で主祷文を唱えるに当たり、司祭は「Præceptis salutaribus moniti et divina institutione formati, audemus dicere. 救いのための戒めに勧められ、天主のご制定に教えられて、我等敢えて唱え奉る」という招きの言葉を述べ、その畏れ多さを表している。
なお現在の日本語ミサでは「主の教えを守り、みことばに従い、つつしんで主の祈りを唱えましょう」という訳になっている。必ずしも誤訳ではなかろうが、「つつしんで」では「本来なら畏れ多くてとても口に出せないが、主が勧めておられるのであるから、そこを敢えて唱えさせていただく」というニュアンスが少し薄れてしまっているようにも思われる。

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