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現在、カトリック信徒のほとんどが、ミサに与るたびに聖体拝領をしています。
教会の掟では信徒は 1年に1回 拝領すればよいのですが、霊魂がふさわしい状態にあれば、そして単なる習慣にならないなら、毎週でも毎日でも聖体拝領してもよろしいでしょう。
しかし私たちは本当にいつも、聖体拝領ができる条件を満たしているのでしょうか?
そもそも、「司祭とともに犠牲をささげることがミサの本質であって、必ずしも聖体拝領をする必要はない」ということを理解しているでしょうか?
今回は、教皇聖ピオ10世の教令『サクラ・トリデンティナ・シノドス』を参考にして、頻繁な(毎週・毎日の)聖体拝領のための教会の教えを見てゆきましょう。
聖体拝領が許される条件
教令では、聖体拝領のために守るべき条件として、3つを挙げています。
1.恩恵の状態にあること。
2.正しい意向と信心を持っていること。
3.拝領前の準備と拝領後の感謝を十分にすること。
恩恵の状態
一つ目の「恩恵の状態」というのは少し難しい表現ですが、簡単に言えば、大罪が無いことです。
まさか、「ミサの後で告解すればいいや」などと思っている人はいませんね? 大罪を持った状態で主の体を拝領するのは、それ自体が涜聖の大罪です。
使徒聖パウロの言葉を聞きましょう。使徒は、告解せずに主の体を拝領する者に対し、恐ろしい言葉で警告しています。
ふさわしくない状態で「主のパン」を食べたり、「主の杯」を飲む人があれば、主の体と血に対して罪を犯した者となるのです。一人ひとり自分がふさわしいものであることを確かめてから、パンを食べ、杯から飲みなさい。主の体を弁えずに食べたり飲んだりする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。
なお、小罪であれば、たとえそれが故意に犯した罪であっても、再び犯さないという決心があれば拝領できます。トリエント公会議によれば、聖体は「毎日の過ちをゆるし、大罪を予防する薬」なのです。
正しい意向と信心
二つ目の「正しい意向」とは、聖体拝領が単なる習慣ではなく、また、「拝領しないと周囲の人にどう思われるだろう」という見栄からでもなく、神を喜ばせようという気持ちや、神と愛のきずなで結ばれ、自分の弱さや欠点をなおそうとする気持ちからすることです。
また「正しい信心」とは、別な教令によれば、
・拝領に際して教会が要求する宗教的知識(教理の知識)を持ち、
・信仰の秘儀を正しく理解して、聖体と普通のパンとの区別をつけられること、
・聖体を礼拝すること、そして
・敬虔に拝領することです。
(果たして現在、私たちはこの「礼拝」「敬虔」を示しているでしょうか…!?)
拝領前の準備と拝領後の感謝
「裁きを受けに集まることにならないように」、拝領する前にゆるしの秘跡を受けるとともに、最低でも拝領の1時間前から(注)は断食しなければなりません。水と医薬品は許されますが、それ以外の飲食は一切、拝領前にしてはいけません。
そして、拝領した後は、主が私たちのような罪深くみじめな者にまでいつくしみを示し、言い表すことができないほどの恵みをくださったことを感謝して、一人ひとりが祈るようにしましょう。
この感謝の祈りは、個人の能力や状態に応じたものであるように、と記されています。一般的には、ミサの後15分程度は聖堂に残って静かに祈るのが適当だとされているようです。
主イエズスが十字架上でおささげになった「救霊のいけにえ」の祭に集う私たちが、主の尊い体を、裁きとしてではなく恵みとして拝領し、主の神秘体に加えられますように。■
(注)
カトリック教会の伝統では、聖体拝領をしようとする際には、病人等を除き深夜0時から水を含め一切の飲食をしてはならなかった(Cf. S.T., III, qu.80, art.8)。20世紀になり拝領前3時間の断食(水や医薬品を除く)へと緩和され、第2バチカン公会議後には拝領前1時間とさらに短縮された。
しかし、たった1時間では、教会までの移動時間やミサ開始から聖体拝領までの時間を考慮すると、実質的には断食を不要としているに等しい。これほどまでに弛緩した規定が適切であるのか、大いに議論の余地があろう。
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