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日本の教会で使われている典礼聖歌は、全世界のカトリックで最強の権威がある、という説(笑い話?)がある。ある意味で、バチカンが定めた典礼規則を無視して独自の典礼を創作しようとしているように見えるからなのだそうだ。
有名な話で恐縮だが、典文(奉献文)の結びの栄唱「Per ipsum, et cum ipso, et in ipso(キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに)」の後半部分「Omnis honor et gloria per omnia saecula saeculorum(すべてのほまれと栄光は世々に至るまで)」を会衆が唱えるという逸脱(過ち)がある。
本来、この部分は司祭のみが唱えるもので、会衆は「アーメン」とだけ唱える。そしてこのアーメンはミサの中で最も重要なアーメンとされている。なぜなら、このアーメンは典文(奉献文)全体に対するアーメンであり、ミサの中心であり頂点である全実体変化と犠牲の奉献に対する会衆の信仰告白や積極的参加という意義も担っているからだ。
従って、「すべての誉れと・・・」から会衆が唱えることは、「アーメン」の持つ重要性を相対的に薄れさせることであり、結果的にはミサの犠牲に対する感受性を鈍らせてしまうことにもなりかねない。
日本の司教様たちとて、そんなことを知らないはずがない。私が聞き及んだところによると、作曲者が(知ってか知らずか)会衆が歌うものとして作曲してしまったので、司教様たちもしぶしぶ追認し、そのかわり歌わないときは正しく「アーメン」とだけ唱えること、と定めたそうである。
司教様たちが、間違った曲を訂正させる代わりに典礼規則にない特例を作ってしまうとは、作曲者はどれほどの権力者であったのだろうか。事実だとすれば、なんとも恐ろしい話である。
「Lex orandi, lex credendi(祈りの法は信仰の法)」という教会の格言がある。その観点からすると、典礼と祈りに関する教会の規則から逸脱している典礼聖歌は、カトリックの正統信仰とは異なる神学に立脚した思想性を有している、ということにならないだろうか。
もちろん、日本で使われる聖歌には複数の作曲者がいるから、全部の歌がおかしいということにはならないし、私の知らない素晴らしい歌もきっと沢山あることだろう。私は一信徒として、教会と一致した典礼にあずかりたいだけである。
補足 結びの栄唱について『ローマ・ミサ典礼書の総則』(2000年)では次のように定められている。
151 (中略)感謝の祈り(奉献文)の結びで、司祭はパンをのせたパテナとカリスを取って高く掲げ、司祭のみが栄唱「キリストによって・・・」を唱える。会衆は最後に「アーメン」と応唱する。
236 感謝の祈り(奉献文)の結びの栄唱は、主司式司祭のみが唱える。望ましい場合は他の共同司式司祭とともに唱えるが、信者は唱えない。
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