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カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

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日本では「宗教」というものがひどく誤解されています。
宗教といえば「○○教」のような名前で、変な教祖サマが崇拝対象になっていて、何かにすがらないと生きていけない弱い人間や、心の癒しを求める寂しいオバサンとかが信者になっているイメージ。
日本ではそんな宗教が多いのは事実ですが、宗教というものはそれだけではありません。

日本では「自分は無宗教だ」と言う人が多いですが、これは問題のある表現なのだそうです。ある意味で、宗教のない人間などいないのですから。宗教とは、その人の生き方すべての基本となっている、根本的な世界観や価値体系だとも考えられるのです。
・・・と言っても話が難しくなりますので、順を追って見こうと思います。


日本で宗教といった時に連想されるものは、狭い意味での宗教の、そのまた一部でしかないようです。通常まず連想される「宗教」、ある時から教祖サマが始めた宗教、これを一般に「創唱宗教」といいます。
「創唱宗教」でない宗教もあります。教祖サマがいなくて、ずっと昔からその土地でなんとなく信じられ続けてきた民間信仰のようなものです。これを一般に「自然宗教」といいます。日本では神道がこれにあたります。

神道に教祖サマはいないけれど、八百万の神サマがいるし、お祈りやお祓いをするし、死者のための儀式もあるし、どうみても立派な宗教ですね。
けれども戦前には「神社は宗教ではない」と国が宣言していました。宗教ではなく、日本固有の文化だ、と。これは、明治憲法の信教の自由というタテマエを保ちつつ、実質的に神道を国教として国民の思想を統一しようという帝国主義のカラクリでした。
結果的にこの政策は日本人に無理な思考を押し付け、現代のような歪んだ宗教観を生じさせることになったと言われています。宗教といえば変な新興宗教しか連想できないのもその症状のひとつらしいです。


さて、「創唱宗教」と「自然宗教」は、神サマや仏サマがいたり、霊とか死後の世界があったりして、どちらも超自然的な、いわゆる形而上のことがらを扱っています。
実は、こういった「怪力乱神を語る」宗教の他に、まったく怪力乱神を語らず、目に見える形而下のことがらだけを扱う宗教もあります。

共産主義を考えてみてください。共産党の教えは絶対に正しくて、疑うことが許されず、党の教えに従ってさえいれば労働者の楽園ができる、という主張です。全知全能の唯一神が共産党だというわけで、これを宗教と呼ばずして何と呼びましょう。
同じことは、将軍様マンセーな某国は地上の天国、と今でも頑張っている悲惨な人たちについても言えますね。余り言うと拉致されそうなので止めておきますが。
他にも、西洋医学を拒否して、何か特定の食事をしているだけでどんな難病も治ると信じている人とか、宇宙人からのメッセンジャーだとか、世の中には色々な人たちがいます。

恐らく、これを読んでいる方も、こういった電波な人たちを見て「なんだか宗教クサイなあ」と感じたことがあるかと思います。ただ逆に、「宗教」という言葉を聞いた時に、いわゆる「創唱宗教」しか連想することがなかったのではないでしょうか。

私は英語が得意ではありませんが、英語を参照してみると納得できるかもしれません。
仏教はBuddhism、イスラム教はIslamism、神道はShintoism、共産主義はCommunism。どれもイズムが付きます。
大ざっぱに言って、広い意味での宗教というものはイズムであると考えていいかもしれません。イズムというのは思想体系みたいなものです。何か行動したり判断したりする時のおおもとの前提になっている世界観のようなものです。

宗教とは思想体系であり世界観であるとすれば、こう言うことができるかもしれません。
ある人がある宗教の信者であるということは、言い換えれば、その人がある主義主張を正しいと思っていることである、と。 (つづく)


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http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/14916469.html

キリスト教ってなに? カトリックって、どんなもの?

クリスマスや結婚式といった外面的なイメージはあっても、カトリックの教義(ドグマ)を知っている人は少ないようです。
けれども、キリスト教がどんなものかを判断するためには、キリスト教とは何なのか、何が正しく何が正しくないと主張しているのか、といったことをまず聞いてみないことには始まりません。
このコーナーでは、キリスト教がどんなことを教えているのかを簡単にご紹介していこうと思っています。

教会には、救いに関する重要な真理(信仰箇条)をまとめた文章がいくつかあります。
ひとつは「使徒信経」といい、短くまとまった信仰宣言です。もうひとつは「ニケア・コンスタンチノープル信経」といい、学問的な内容を美しい言葉で簡潔に表現しています。この信経はカトリック教会のミサで信仰宣言として使われています。
ここでは、使徒信経に沿って、適宜ニケア信経を参照しながらカトリックの信仰をご説明します。


使徒信経
我は、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、また、その御独り子、我らの主イエズス・キリスト、即ち、聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、古聖所に降りて、三日目に死者のうちより蘇り、天に昇りて、全能の父なる天主の右に座し、かしこより、生ける人と死せる人とを裁かんために来たり給う主を信じ奉る。我は聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身の蘇り、終わりなき命を信じ奉る。アメン。


ニケア・コンスタンチノープル信経
我は信ず、唯一の神、全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるもの、すべての造り主を。我は信ず、唯一の主、神の御ひとり子、イエズス・キリストを。主はよろず世の先に父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神。造られずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて造られたり。主は我ら人類のため、また我らの救いのために天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、人となりたまえり。ポンシオ・ピラトのもとにて、我らのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られたまえり。聖書にありしごとく、三日目によみがえり、天に昇りて、父の右に座したもう。主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人とを裁きたもう、主の国は終わることなし。我は信ず、主なる聖霊、生命の与え主を。聖霊は父と子とより出で、父と子とともに拝みあがめられ、また預言者によりて語りたまえり。我は一、聖、公、使徒継承の教会を信じ、罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む。アメン。



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http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/11879292.html

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