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日本では「宗教」というものがひどく誤解されています。
宗教といえば「○○教」のような名前で、変な教祖サマが崇拝対象になっていて、何かにすがらないと生きていけない弱い人間や、心の癒しを求める寂しいオバサンとかが信者になっているイメージ。
日本ではそんな宗教が多いのは事実ですが、宗教というものはそれだけではありません。
日本では「自分は無宗教だ」と言う人が多いですが、これは問題のある表現なのだそうです。ある意味で、宗教のない人間などいないのですから。宗教とは、その人の生き方すべての基本となっている、根本的な世界観や価値体系だとも考えられるのです。
・・・と言っても話が難しくなりますので、順を追って見こうと思います。
日本で宗教といった時に連想されるものは、狭い意味での宗教の、そのまた一部でしかないようです。通常まず連想される「宗教」、ある時から教祖サマが始めた宗教、これを一般に「創唱宗教」といいます。
「創唱宗教」でない宗教もあります。教祖サマがいなくて、ずっと昔からその土地でなんとなく信じられ続けてきた民間信仰のようなものです。これを一般に「自然宗教」といいます。日本では神道がこれにあたります。
神道に教祖サマはいないけれど、八百万の神サマがいるし、お祈りやお祓いをするし、死者のための儀式もあるし、どうみても立派な宗教ですね。
けれども戦前には「神社は宗教ではない」と国が宣言していました。宗教ではなく、日本固有の文化だ、と。これは、明治憲法の信教の自由というタテマエを保ちつつ、実質的に神道を国教として国民の思想を統一しようという帝国主義のカラクリでした。
結果的にこの政策は日本人に無理な思考を押し付け、現代のような歪んだ宗教観を生じさせることになったと言われています。宗教といえば変な新興宗教しか連想できないのもその症状のひとつらしいです。
さて、「創唱宗教」と「自然宗教」は、神サマや仏サマがいたり、霊とか死後の世界があったりして、どちらも超自然的な、いわゆる形而上のことがらを扱っています。
実は、こういった「怪力乱神を語る」宗教の他に、まったく怪力乱神を語らず、目に見える形而下のことがらだけを扱う宗教もあります。
共産主義を考えてみてください。共産党の教えは絶対に正しくて、疑うことが許されず、党の教えに従ってさえいれば労働者の楽園ができる、という主張です。全知全能の唯一神が共産党だというわけで、これを宗教と呼ばずして何と呼びましょう。
同じことは、将軍様マンセーな某国は地上の天国、と今でも頑張っている悲惨な人たちについても言えますね。余り言うと拉致されそうなので止めておきますが。
他にも、西洋医学を拒否して、何か特定の食事をしているだけでどんな難病も治ると信じている人とか、宇宙人からのメッセンジャーだとか、世の中には色々な人たちがいます。
恐らく、これを読んでいる方も、こういった電波な人たちを見て「なんだか宗教クサイなあ」と感じたことがあるかと思います。ただ逆に、「宗教」という言葉を聞いた時に、いわゆる「創唱宗教」しか連想することがなかったのではないでしょうか。
私は英語が得意ではありませんが、英語を参照してみると納得できるかもしれません。
仏教はBuddhism、イスラム教はIslamism、神道はShintoism、共産主義はCommunism。どれもイズムが付きます。
大ざっぱに言って、広い意味での宗教というものはイズムであると考えていいかもしれません。イズムというのは思想体系みたいなものです。何か行動したり判断したりする時のおおもとの前提になっている世界観のようなものです。
宗教とは思想体系であり世界観であるとすれば、こう言うことができるかもしれません。
ある人がある宗教の信者であるということは、言い換えれば、その人がある主義主張を正しいと思っていることである、と。 (つづく)
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http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/14916469.html
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