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カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

書庫カトリックの祈り

カトリックの美しい祈りを、ラテン語と日本語(文語体)でご紹介。
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イエズスの聖名の連祷

Litaniae Sanctissimi Nominis Iesu

Kyrie, eleison. ▲Christe, eleison. (主憐み給え。▲キリスト憐み給え。)
Kyrie, eleison. Iesu, audi nos. ▲Iesu, exaudi nos. (主憐み給え。イエズス我らの祈りを聴き給え。▲イエズス我らの祈りを聴き容れ給え。)
Pater de caelis, Deus, ▲Miserere nobis. (天主なる御父▲我らを憐み給え。)
Fili, Redemptor mundi, Deus, ▲〃 (天主にして世の贖い主なる御子▲同)
Spiritus Sancte, Deus, ▲〃 (天主なる聖霊▲同)
Sancta Trinitas, unus Deus, ▲〃 (唯一の天主なる聖三位▲同)
Iesu, Fili Dei vivi, ▲〃 (生ける天主の御子なるイエズス▲同)
Iesu, splendor Patris, ▲〃 (御父の輝きなるイエズス▲同)
Iesu, candor lucis aeternae, ▲〃 (永遠の光明なるイエズス▲同)
Iesu, rex gloriae, ▲〃 (栄えの王なるイエズス▲同)
Iesu, sol iustitiae, ▲〃 (正義の太陽なるイエズス▲同)
Iesu, Fili Mariae Virginis, ▲〃 (童貞マリアの御子なるイエズス▲同)
Iesu, amabilis, ▲〃 (愛すべきイエズス▲同)
Iesu, admirabilis, ▲〃 (感ずべきイエズス▲同)
Iesu, Deus fortis, ▲〃 (大能の天主なるイエズス▲同)
Iesu, pater futuri saeculi, ▲〃 (来世の父なるイエズス▲同)
Iesu, magni consilii angele, ▲〃 (御計画の使者なるイエズス▲同)
Iesu potentissime, ▲〃 (いとも力あるイエズス▲同)
Iesu patientissime, ▲〃 (いとも堅忍なるイエズス▲同)
Iesu oboedientissime, ▲〃 (いとも従順なるイエズス▲同)
Iesu, mitis et humilis corde, ▲〃 (心の柔和謙遜なるイエズス▲同)
Iesu, amator castitatis, ▲〃 (操をよみするイエズス▲同)
Iesu, amator noster, ▲〃 (我らを愛するイエズス▲同)
Iesu, Deus pacis, ▲〃 (平和の天主なるイエズス▲同)
Iesu, auctor vitae, ▲〃 (命の源なるイエズス▲同)
Iesu, exemplar virtutum, ▲〃 (善徳の鑑なるイエズス▲同)
Iesu, zelator animarum, ▲〃 (霊魂を深く愛し給うイエズス▲同)
Iesu, Deus noster, ▲〃 (我らの天主なるイエズス▲同)
Iesu, refugium nostrum, ▲〃 (我らの依り頼み奉るイエズス▲同)
Iesu, pater pauperum, ▲〃 (貧しき者の父なるイエズス▲同)
Iesu, thesaure fidelium, ▲〃 (信者の宝なるイエズス▲同)
Iesu, bone pastor, ▲〃 (善き牧者なるイエズス▲同)
Iesu, lux vera, ▲〃 (まことの光なるイエズス▲同)
Iesu, sapientia aeterna, ▲〃 (永遠の知なるイエズス▲同)
Iesu, bonitas infinita, ▲〃 (限りなく仁慈なるイエズス▲同)
Iesu, via et vita nostra, ▲〃 (我らの道と命なるイエズス▲同)
Iesu, gaudium Angelorum, ▲〃 (天使の喜びなるイエズス▲同)
Iesu, rex Patriarcharum, ▲〃 (太祖の王なるイエズス▲同)
Iesu, magister Apostolorum, ▲〃 (使徒の師なるイエズス▲同)
Iesu, doctor Evangelistarum, ▲〃 (福音史家の師なるイエズス▲同)
Iesu, fortitudo Martyrum, ▲〃 (殉教者の力なるイエズス▲同)
Iesu, lumen Confessorum, ▲〃 (証聖者の光明なるイエズス▲同)
Iesu, puritas Virginum, ▲〃 (童貞者の清浄の源なるイエズス▲同)
Iesu, corona Sanctorum omnium, ▲〃 (諸聖人の冠なるイエズス▲同)
Propitius esto, ▲parce nobis, Iesu. (御憐みを垂れて▲イエズス我らを赦し給え。)
Propitius esto, ▲exaudi nos, Iesu.(御憐みを垂れて▲イエズス我らの祈りを聴き容れ給え。)
Ab omni malo, ▲libera nos, Iesu.(すべての悪より▲イエズス我らを救いたまえ。)
Ab omni peccato, ▲〃 (すべての罪より▲同)
Ab ira tua, ▲〃 (御怒りより▲同)
Ab insidiis diaboli, ▲〃 悪魔の罠より▲同)
A spiritu fornicationis, ▲〃 (邪淫の心より▲同)
A morte perpetua, ▲〃 (終りなき死より▲同)
A neglectu inspirationum tuarum, ▲〃 (御勧めを蔑ろにする心より▲同)
Per mysterium sanctae Incarnationis tuae, ▲〃 (聖なる御託身の玄義によりて▲同)
Per nativitatem tuam, ▲〃 (御誕生によりて▲同)
Per infantiam tuam, ▲〃 (御幼年によりて▲同)
Per divinissimam vitam tuam, ▲〃 (いとも神聖なる御生活によりて▲同)
Per labores tuos, ▲〃 (御労働によりて▲同)
Per agoniam et passionem tuam, ▲〃 (御苦しみと御受難とによりて▲同)
Per crucem et derelictionem tuam, ▲〃 (主の十字架と遺棄とによりて▲同)
Per languores tuos, ▲〃 (御死苦によりて▲同)
Per mortem et sepulturam tuam, ▲〃 (御死去と御葬りとによりて▲同)
Per resurrectionem tuam, ▲〃 (御復活によりて▲同)
Per ascensionem tuam, ▲〃 (御昇天によりて▲同)
Per sanctissimae Eucharistiae institutionem tuam, ▲〃 聖体の御制定によりて▲同)
Per gaudia tua, ▲〃 (御喜びによりて▲同)
Per gloriam tuam, ▲〃 (御栄えによりて▲同)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, ▲parce nobis, Domine. (世の罪を除き給う天主の小羊▲イエズス我らを赦し給え。)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, ▲exaudi nos, Iesu. (世の罪を除き給う天主の小羊▲イエズス我らの祈りを聴き容れ給え。)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, ▲miserere nobis, Iesu. (世の罪を除き給う天主の小羊▲イエズス我らを憐み給え。)
Iesu, audi nos. ▲Iesu, exaudi nos. (イエズス我らの祈りを聴きたまえ。▲イエズス我らの祈りを聴き容れ給え。)
Oremus;
Domine Iesu Christe, qui dixisti: Petite et accipietis; quaerite et invenietis; pulsate et aperietur vobis; quaesumus, da nobis petentibus divinissimi tui amoris affectum, ut te toto corde, ore et opere diligamus et a tua numquam laude cessemus.
Sancti Nominis tui, Domine, timorem pariter et amorem fac nos habere perpetuum, quia numquam tua gubernatione destituis, quos in soliditate, tuae dilectionis instituis. Qui vivis et regnas in saecula saeculorum. ▲Amen.
(祈願
主イエズス・キリスト、主は「汝ら求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。叩けよ、さらば開かれん」とのたまえり。こいねがわくは、我らをして主のいと神聖なる愛に感ぜしめ、専ら心と言葉と行いとをもって主を愛し、絶えず讃美するを得しめ給え。
主よ、御身は御慈愛によりて造り給いし我らを司り給えば、願わくは我らをして、常に聖名を敬い愛せしめ給え。とこしえに活きかつしろしめし給う主に願い奉る。▲アメン。)

(つづきです)
カトリックの祈祷文は、即興の祈りに劣るものなのだろうか。「形式的」なものだろうか。 

私はなにも、自然に心から湧き上がってくる祈りを否定しているのではない。
主祷文(主の祈り)を除けば、定型の祈祷文といっても最初は誰かの心から湧き上がってきた言葉なのだろうし。

そうではなく、「定型の祈祷文を唱えるよりも、即興の祈りのほうが、常に、そしていかなる意味においても優れている」と主張する人がいるとすれば、その意見は正しくないと思う。
また、多くの定型文を大事にしているという表面的な事実から「カトリックは形式主義的だ」と結論づけるのも飛躍しすぎだろう。


最上の献げもの

旧約聖書を読めば分かるように、古代ユダヤ人は、すべては神からの贈り物であることを認め、家畜の初子、収穫の初穂、最上のものを神に捧げた。そして、その献げものは神に受け入れられた。
わたしたちキリスト者も、神に対して最上のものを捧げるべきだし、またそうしたいと思うのが当然だろう。

では、神に祈りを捧げる時、即興でそのような神にふさわしい言葉を思いつけるだろうか?
神に捧げるのであれば、その祈りは、神の教え(カトリック教理)に反するものであってはならない。また、時宜にかなったものである必要もある。さらに祈りの表現が美しければ、一層ふさわしいだろう。
・・・人は即興で、神学者と詩人との両方に変身できるものだろうか?

その点、教会の認可した祈りは神学的にも保証されているし、文章としても美しい。さらに祈祷書には、どのような時に唱えるのかご丁寧にも説明されている。たとえば前回とりあげた「聖母の御保護を求むる祈」は、仕事を終える時に唱えるのがよいということで、「終業の祈」の項目に入っている、といった具合だ。


心を尽くし、精神を尽くし

私たちは祈る時に、どのような心がけでいればいいのだろうか。
ルカ10・27には、
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽して、あなたの神である主を愛せよ
と書かれている(マテオ22章、マルコ12章も参照)。

神を礼拝し讃美する時には、全身全霊をかけるように、ということだ。
短い文句を覚える手間すら惜しむようでは困る。

全身全霊で、というのはなかなか含蓄がある。肉体も精神も使え、ということだ。
カトリック嫌いの人は、「カトリックはひざまずいて敬虔そうに見せかけて、口先ばかりで決まった文句を唱える」などと悪口を言うが、それは違う。
カトリックは、心の中で神への愛を燃やすだけでなく、それを体でも表現し、言葉でも表現するべきだと考えているのだ。さらには霊魂(記憶・知性・意志)を動員して、(こむずかしい?)祈祷文をも学び覚えるのである。それを「形式的」などと言うことができるだろうか。
「心の中で神を愛してさえいれば良い」というのは、ちょっと聞くと敬虔なようだが、神から預かった他の能力を神のために使わないというのだから、ほめられた話ではないような気がする。


心を一つにして

主イエズス・キリストは、
もしあなたたちのうち二人が、どんな事でも地上で心を一つにして願うならば、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださるであろう。二、三人がわたしの名によって集まっている所には、その中にわたしがいる。(マテオ18・19-20)
とおおせになった。

「虚栄心から人前で敬虔ぶって祈ってはならない」ということから「祈る時は部屋にこもって一人で祈るがよい」という教えもあるが、別に複数の人が集まって共に祈ること自体が否定されているわけではない。それどころか、複数の人が心を合わせて祈ることには大きなお恵みが約束されているのである。

さて、心を一つにして祈ろうとする場合だが、めいめいが勝手に即興の言葉を唱えていたのでは、皆が心を合わせることなどありえない。
もちろん、一人が祈りを唱えて、他の全員がそれに心を合わせて静かに聞く、ということは可能だ。
ただそれにしたって、次にどんな言葉が飛び出してくるか分からないような状況では、本当に皆が心を合わせることができるのか、疑問が残るのではないだろうか・・・?



・・・なんだか脈絡なく書いてしまったが、要するに、

「あらかじめ言葉の決まった祈りよりも、即興の祈りのほうが良い」とは必ずしも言えない

「カトリックにはあらかじめ言葉の決まった祈りが多い」ということは「カトリックは形式主義だ」という論拠にはならない


ということを言いたかったのだ。
学才も文才もない私の書いた文章ゆえ、とても納得できん! という方も多いだろうとは思うのであるが、まあ、こういう意見もあるんだということでご了承いただきたい。

祈りに寄せて

「カトリックは空虚な形式主義」という説は、けっこう広まっているみたいだ。

それにはいくつかの理由が考えられるが、ひとつには、カトリック教会で多くの「あらかじめ文章の決まった祈りの文句」が大事にされているという点があるようだ。
何種類も出版されているカトリックの祈祷書のどれをみても、主祷文(主の祈り)や天使祝詞(めでたし)に始まり、一日の主な行為や信仰生活に関わる様々な事柄に、教会の認可した定型の祈祷文が存在している。

この「祈りの多様性」を見て、キリスト教を知らない人は「その都度自分の言葉で祈ればいいじゃん」などと思ってしまうのかもしれない。

祈りを覚えるなんて面倒くさい! 祈祷書を見るのも疲れるし。
それよりも、神様に対して素直な心で、自然にあふれ出してくる言葉で祈るほうがずっと正直で、そのほうが聞き入れられるんじゃないの?


・・・ふむふむ、なるほど。でも、どうかな??


あらかじめことわっておくと、カトリックが「文章の決まった祈り」しか祈らない、というわけではない。

カトリック信徒は、毎日いろいろな時に神様に打ち明け話をしたり、手助けをお願いしたりする。「射祷」といって、一日に何度も「矢を射るように」短い祈りの言葉(「神に感謝」とか「み旨のごとくなれかし」とか)を、好みや状況に応じて口にすることも多い。
また、「念祷」など、神に関することがらを黙想して祈ったり、言葉を媒体としないで神の直観に近づこうとする祈りもある(ただしそれらは言葉で唱える祈りを踏まえた上での高次元の話なので、ここでは詳しく説明しない、別の機会に譲る)。


ただしカトリックでは、複数の人が集まって共に祈る時に、めいめいが勝手に祈りを即興で作って唱えるということはない。これはミサはもちろん、ちょっとした祈りの集いでも同様だ。
なぜなら、祈りの集いは、個人の体験や感情を披露する場ではないからだ。自己表現をしたいのであれば、公共の祈りの場ではなくて、別なところで個人的にすればいい。

また、教会を通して信徒に与えられている「祈り」、祈祷文と、個人それぞれの思いや願いごと(これを「意向」という)とは別のものだ。
だから、それぞれの意向を込めて祈りを唱える、という形になる。たとえば、「貧困に苦しむ人々のために」という意向で、皆で一緒に「主祷文(主の祈り)」を唱えて神様に捧げよう、という具合に。
個人で祈る時も同様で、たとえば何か困った時には、信徒の保護者である聖マリアに取次を頼んで神に助けてもらおうとするので、「聖母の御保護を求むる祈Sub tuum praesidium」などを唱えたりするわけである。


さて今度は、先に青字で書いた、カトリックに対する素朴な述懐を検討してみよう。
カトリックの祈祷文は、即興の祈りに劣るものなのだろうか。「形式的」なものだろうか。

(この項つづく)

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