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フルマラソンは私のランニングの原点

過去参加したフルマラソン大会からこの先出場してみたい有名な大会を紹介していきます。
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第1回徳島マラソン

中四国で最大となった第1回徳島マラソンをはしりました。2週連続のフルマラソンとなりましたが、ひざか゜痛くなってしまいました。練習も筋トレもせずにぶっつけ本番で2大会走ったのが、いけなかったのかしかし昔のようには記録もだせずうまくいきませんでした。高橋尚子選手の気持ちがよくわかるようになりました。実践レ−スだけではどうとしようもないことがわかりました。とはいえ、ゼロからスタ−トという意味では本当に結果もゼロでした。3.18。ほとんど初めて2−5回はこのタイムでしたから・・走行距離も150キロ以下・・・

玉造毎日マラソン

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今は松江玉造ハーフマラソンとして生まれ変わり、主催も地元の山陰中央新聞に変わり、私としては、かえって以前よりもメジャーになった気持です。しかし、玉造毎日マラソンといえば、世界選手権や夏のオリンピックの前哨戦となり有力新人ランナーの登竜門となった大会でした。君原健二も走り大会記録打ち立てた大会なのです。しかし、北海道マラソンが始まり、その運営の大きさに負けてしまったという幹事で本当に残念なことなのですが、ハーフマラソン大会となってしまいました。島大陸上部と陸協のボランティアだけに支えられたこの大会・・真夏の厳しい大会ということもあって3年前に生まれ変わりました。私は連続10回以上は走りましたが、皮肉にも最高記録は始めて参加した大会の3:03に終わり棄権したことも過去2回。山陰の蒸し暑さと生暖かい給水に悩まされつつも、宍道湖の美しさと平坦な往復コース。本当に素朴なマラソンの闘いでした。

北海道マラソン

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21回目となった北海道マラソンは今年も戦前の予想を超えて30度を越える蒸し暑いレースとなった。優勝争いに島根出身の下森選手が30kでまだ独走態勢にいるのを折り返しでみて驚きました。私もそれを見てスピドをあげていたのがその反動が30k過ぎに出て、足がつり出し全身に回るのを必死に食い止めるのが精一杯でした。優勝は本命のギタヒが優勝・・フルは30kからが本当に長くてつらい・・・人生のような感じですね・・私は過去8回参加してサブスリーも2回出していたので、できることなら少しでもタイムを狙いたいと思ったのですが、はるか遠く及びませんでした・・加齢による衰えなのか、練習不足なのか、どちらにしても30k過ぎてからは、60台以上の多くの男性女性ランナーに抜かれていきました。70歳くらいの女性に抜かれたときはショックでした。レースは駅どおりから公園通りを抜けすすきのから中島公園にむかう終盤は大歓声の前で、全身つってもコ゜ールへ向かうしかない・・制限時間内で・・

ベルリンマラソン

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2001年、2002年と連続で高橋尚子選手、2005年には野口みずき選手が優勝を飾ったことで、すっかり日本での人気も定着したベルリンマラソン。
多くの観光名所の前を通るコースの沿道は、力いっぱい応援する観客で埋め尽くされ、60以上のミュージック・バンドやダンスグループが大会を盛り上げます。この他に類を見ない熱気のなか、マラソン選手は、文字どおりゴールへと迎え入れられるのです。特にブランデンブルク門を過ぎたあと、ゴールまでの300メートルは、歓声と拍手に包まれ、各々の達成感を心から味わうことができるでしょう。
ゴールでは、マッサージや、温かいシャワーなどの手厚いアフターケアが用意されています。マラソンエキスポBerlin Vitalやマラソン・パーティー・ランニングなど、大会関連イベントが数多くある。

2001年高橋尚子選手が世界で女性で始めて20分を切って世界新記録を樹立した大会でもあります。その際に1kまでガードランナーに囲まれて走る高橋尚子選手を追いかけて走りました。私のすぐ前には当時世界記録保持者のロルーペが走っていました。彼女のすらりとのびた美しい黒い筋肉の足が印象的でした。優勝した後の会見に向かう彼女に出くわしたのですが、疲れの後は全く見られず茶髪に染めた尚子ヘアが似合っていた。おめでとうと声かけると、ありがとうといっていただきました。周りはほとんどドイツ人、迎えの車がこなくて貴重な間があった瞬間でした。

ボストンマラソン

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ボストンマラソン(Boston Marathon)は、毎年4月にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで開催される、マラソン大会。1897年に第1回大会を開催し、オリンピックを別にすると、2006年4月現在開催されているマラソン大会ではもっとも古い歴史を持つ。

誰でも走れるわけではなく、参加には参加資格タイムをクリアしている必要がある。

日本人では、瀬古利彦が2回優勝している(1981年・1987年)。 このほかの日本人優勝者としては、

田中茂樹(1951年) 2:27:45
山田敬蔵(1953年) 2:18:51
浜村秀雄(1955年) 2:18:22
重松森雄(1965年)2:16:33
君原健二(1966年)2:17:11
采谷義秋(1969年) 2:13:49
がいる。 このうち、田中・山田・浜村の走ったコースは後に距離不足が判明し、いずれも記録抹消の憂き目を見ている。山田と浜村の記録は当時世界最高記録とアナウンスされていた。

女子での日本人の優勝はまだない。

2006年の大会では、日本からは土佐礼子、嶋原清子が招待された。
100回記念大会に参加したが、そのとき過去の優勝者は招待選手となっていた。瀬古、君原、山田敬蔵らが参加していた。まだ道端には雪が残り、早朝は冷たい激しい雨が降っていた。幸いスタト前にはやんだ。私は先頭ブロックに入っていたので、招待選手もみれた。参加選手は15000人ときいたが、実は沿道からゼッケンのない覆面ランナーが2万人以上も走り、コースはごったがえしていた。沿道の人垣も何十にもなり、ボストンの町はマラソン一色に染まり、100万人の声援を受ける。ヒトヒトヒトで気分が悪くなるほどであった。トイレに行きたくても沿道の外にでることができないすさまじい観衆であった。ワンウェイであるし前半はほとんどが下り坂、これほど恵まれたコスはないと思った。しかし前半の下り坂で足をやられていた。サブスリーをねらったが32kの心臓破りの丘からペースダウンまたしても3:03であった。

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