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2人の出会いは,1998年5月。当時,某会社のセールスマンをしていた小渕は関西全営業マンの中で,トップの成績を取り,何か息抜きはないかと週1回,土曜の夜だけ,地元,堺の商店街で路上ライブをやっていた。一方,黒田は,その約2〜3年前から堺の商店街で,路上ライブをやっていた。当時,路上でライブをしていた仲間たちは,人通りがなくなると集まって盛り上がっていた。その中で,お互いの事を知る。
「自分,歌,うまいなぁ」 「自分もめっちゃ,うまいなぁ」 と,まだぎこちない会話を交わしながらお互い,相手を探り合うように,音楽性や,ギターの話ばかりするようになる。 ある時期から,黒田は,ギターケースを抱えては来るが,一曲も歌は歌わないまま,ずっと小渕の前で歌をきいている,という日々が続く。 一方小渕のほうは,パワー全開で6時間位,歌っていたため,翌日はしわがれ声で会社に出勤していた。 1998年9月当時,地元のストリートでは,ミスチル,UNICORNなどのコピーばかりがあふれていた。そんな中,黒田と小渕があるストリートミュージシャンの唄を聞いていたとき, 黒田:「こんな感じの歌,カッコエエよな」 小渕:「こんな感じやったら,すぐ作れる」 と小渕から黒田にオリジナルの曲提供話が出る。一週間後に出来あがった曲が「桜」。 黒田が打ち明けるように 黒田:「実は一緒にくみたいんや」 小渕:「ぜんぜんOK」 その夜は朝まで音楽について話した。 結成後の土曜日はミナミ,天王寺などへ出て歌うようになる。その頃2〜3曲オリジナルはあったが,路上ではほとんど歌うことはなく,「オリジナルあるんですか?」とお客様に言われたときだけ歌っていた。その時の反響に2人は驚く。ただ「○○っぽいですね」と言われないようにするためにはどうすれば良いのか?必死で考えた。オリジナルをメインに活動するようになり,お客様も増え出す。につれて警備員との戦いも始まる。 小渕,1999年1月には,約4年間つとめた会社を,音楽をやっていきたいという理由で辞める。次第にライブスケジュールが詰まり,ストリートライブは不定期にはなったものの,時間があれば,路上にでて,ひっかけ橋や天王寺でファンを確実に増やしつづけた。その他,ラジオにも出演。大阪だけでなく,近畿全域でその勢力を伸ばしていく。 インディーズ時代からオリジナルは40曲を超える。うち一曲は,OverDriveさんというバンドに提供した曲も。2000年8月19日,20日には,ZeppOsakaでの単独2Daysライブを終え,また一まわりり成長したコブクロ。12月には,インディーズ最後のアルバム3rdが発売,そしてインディーズ最後の厚生年金会館芸術ホールでの単独2Daysライブも無事終了。そして,2001年春,ワーナーミュージックジャパンよりメジャーデビューした二人。一人でも多くの人に僕達のメッセージを伝えたい。そして出した結論がメジャーデビューだった。 ブクロの原点はストリート。生音に関しては誰にも負けないくらいよく知っている。ギターを出して二人で唄えば,そこでもうコブクロが成立するのだ。 ちなみに,「こぶくろ」とは「桜」を作った時の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたのがそのまま今も続いている。 |

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コブクロ大好きです❣...


応援しています❗️
2018/7/29(日) 午後 6:25 [ shi***** ]
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