賢い、ということ

 幼稚園時代と、小学校時代とでは、私はどちらでより賢かったのでしょうか。高校生の私は、今の私より本当に幼かったという確信が持てません。

 年をとるごとに人は本当に賢く、強く、美しくなるのだろうか、と不意に考えました。どうなんでしょう??外見の変化ではなく、精神的なより良い成長を時間と経験がもたらさないのであれば、その時間と経験はいったい何のためにあるのでしょうか。

 もし、今この瞬間にも消費されていく時間や、その中で会得している経験が自分にとって無意味なものなら、年を重ねるというのは恐ろしい一面を持っていると考えざるを得ません。

 私の友達には、20歳になりたくないと考えている子が何人かいます。20歳は確かにある種子ども時代との決別を感じさせる部分があるかもしれません。しかし、人生のほんの始まりに過ぎないような気もします。なんで20歳を超えることをそんなに嫌がるのか疑問でしたが、もしかしたらその子達は、年を重ねること自体を畏怖している(大げさな言い方ですが)のかもしれないなと思いました。時間と経験が無意味だと感じている、あるいは、それらが自らを損なっていく可能性を知っているからなのかもしれません。
(ただの考えすぎのような気もしますが…)

 時間や経験に限らず、私たちは常に何かによって何かを損ない続けながら生きて行かなければいけません。何かを損なう代わりに何かを獲得し、それで欠損した部分を埋めていくしかない。代替として獲得した何かは、おそらく常に良いものではないと思います。プラスマイナスで必ずしも0以上にはなりません。そしてきっと、私たちは何を損なわれているのか、何を獲得したのか、それは自分にとってプラスなのかマイナスなのかさえわからないのだと思います。

 そういう意味では、私はより賢くも強くも美しくもない、かも知れない…(涙。

ゼミの課題

私は、そこまで大きな絵を描いたことがありません。せいぜいが80号(約120×約145)くらいでしょうか。ところが、大学のゼミの課題で、7月の制作発表に向けて100号サイズ以上を2枚以上!!

 泣きます。

 私の身長をはるかに超えた(ちびなのでね…)大きさです。

 描きなれたサイズと言うのは、安心感をもたらしていたのだなぁ…と思います。だって何気に怖いですもん!!びびりますよ!!!
 と、おびえながらもついいそいそとパネルを買いに行く算段をしているあたり、先生に乗せられています。言われないとしない、というのは私のような子をさすんでしょうね(汗。

山月記

 中島 敦(なかじま あつし)作。
 進士(中国で、科挙の試験科目の名称)に及第しつつも、詩家になるためにエリート街道を逸脱したが、結局不本意な人生を送らざるをえなかった李徴(りちょう)が、旧友の袁参(えんさん)と再会した折の物語。
 
 割と皆さん知ってらっしゃるんじゃないかなと思います。学校の教科書でよく取り上げられていますよね。言い回しが難しくて一回読むだけでは理解しにくかったのですが、何回か読むと、なんとなぁ〜く共感できる部分もあるように感じます。
 
「…何故こんな運命になつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、考へやうに依れば、思ひ当たることが全然ないでもない。人間であつた時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を据傲だ、尊大だといつた。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。勿論、嘗ての郷党の鬼才といはれた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであった。己は詩によって名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に勤めたリすることをしなかつた。かといつて、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを懼れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。…人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だといふ。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だつた。虎だつたのだ。…」

 自分自身の性格、難癖は分からないものです。わたしも20年生きてきて、ようやく、自分はちっともしっかりしていないんじゃないかと言う全くありがたくない発見をしました。
 どうしても人は自分を正当に評価できない。多かれ少なかれ主観が入ってくるからです。それぞれのパーソナリティが真に発揮されるのは、おそらく、他のパーソナリティと対峙した瞬間ではないでしょうか。他と比べることで自己が際立つ。己を思い知る。それをしないということは、真の自己を持てないということかもしれません。独りでは、わたし達は、なんとなく、曖昧なカタチしかない「自分」を抱えていることしかできません。他との関わりを通して「自分」の一部分が、くっきりと鮮明に浮かび上がる。それでもその一辺が真実の自己か、そもそも真実の自己がありえるのか、という問題はありますけどね…。

 おそらく、わたし達が飼いならすべき猛獣は死ぬまでその姿を現すことはないのでしょう。

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