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設楽原決戦場まつり会場
きのうは実家に義母の墓参りに行ってきました。実家の地区で偶然「設楽原決
戦場まつり」の日と重なりました。そこで墓参りを済ませてから小中生の武者
行列や「火縄銃演武」などがありました。
戦国時代に,長篠城をめぐる戦いは3回行われましたが,ふつう「長篠の戦い
」という場合は,天正3年(1575)5月の戦いを指します。そしてこの戦
いは,前の部分の「長篠城の戦い」と,後の部分の「設楽原の戦い」の二つに
,大きく分けられます。その一つが「設楽原の戦い」です。戦国のあの日と同
じ時期、同じ場所〔設楽原〕で、この地に倒れた戦国将士の無念と彼らが果た
そうとした時代の願いを偲びたいと思いでも祭りです。
甲州の武田軍と尾張・三河の織田・徳川軍が全面衝突となった天正の戦いは5 月21日でしたが、旧暦ですから現在の暦では七月のはじめになります。そこ
でこに日を中心に行われています。
勝鬨(かちどき)を上げる小学生の武将隊
騎馬に乗る大将
「かわい〜い!」の声が聞こえました。
決戦を終えて引き上げる武者たち
陰で子供たちが煙幕を使って演出を手伝っていました。
戦に参加した隊の家紋が多く見られます。
馬防柵越しに火縄銃を撃つ演武
織田軍の火縄銃を使った戦法に、武田軍は馬を降りてたたかったそうです。
発砲の大きな音に身体が反応し震えカメラのシャッターもぶれぶれでした。
膝をついての構えです。
多くのカメラマンがいました。
信玄塚
天正3年(1575)の長篠の戦いの戦死者を埋葬した塚とされる。塚は2つ築か
れ、その上には松を植えて、武田軍を弔った方を大塚、徳川・連合軍側の死者
を弔った方が小塚と呼ばれたとも伝承される。
近くの設楽原歴史資料館広場で
地区のあちこちに(我が家も)幟旗が飾られていました。 |

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