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よ〜〜〜うやく受け取れました! お世話になっているブログcafesologで情報を得て、注文していた、戦前・日本のジャズです。全然家に居なかったので、10日間くらい受け取りが遅れていたのですが・・・、「ピンポ〜〜〜ン、福山運輸でぇ〜〜〜〜す」やった〜〜〜、来たぁ〜〜!「はぁぁぁ〜〜〜〜い」(←いつもよりかなり愛想よい私) こういう時、やたらと梱包が丁寧なCDにちょっとばかし、イラっときながら、シールドを破り、早速再生!! シリーズ第一弾 シリーズ第二弾 〜〜♪、〜〜〜♪、〜〜〜〜〜♪・・・・・ ほうほう、なかなかよいではないか!にんまり。と笑っていられたのは最初の何曲かで、段々身を乗り出して聴いている私。(ちなみに、椅子からずり落ちて、思わず「がははは〜〜」と笑ってしまったテイクもありましたが) いやあ、素晴らしきかな、日本の先人たちよ!!資料となる音源だって、今とは比較にならないくらい少ない時代なのに、、、。日本語で歌手が唄っていなかったら普通にアメリカのバンドか、と思ってしまう。きっと、SPや、ラジオにかじりついて吸収したんだろうなあ。 ビブラフォンや、ザイロフォンの音も入っています。誰が弾いているのかは、はっきりは書かれていないけど。平岡養一さんの名前が解説に出ていました。まあ、この時代なら、平岡養一さんか、朝吹英一さんあたりでしょう。平岡養一さんは昭和5年にはアメリカに行っちゃうので、CD二枚目のバイブは一体誰が弾いているんだって話ですよね。前から言ってる事だけど、誰が演奏したかって、ちゃんと書いて欲しい。ミュージシャンをもっと大事にしましょうよ。 こういう音源を聴くと、その頃って、日本、どんな感じだったのか知りたくなる。!!なので、私自身のおさらいも兼ねて、この時代のことをちょこっと書いてみようと思います。 洋楽導入以降の日本の歩み(めちゃくちゃおおまかに)あ、この場合の洋楽とは、ジャズ的なものではなく、クラッシック的洋楽ですね
1869年(明治2年) ジョン・ウィリアム・フェントン指導のもと、本格的な洋楽演奏を目指す「軍楽伝習隊」設置(陸軍・海軍、軍楽隊の前身) 1974年(明治7年) 宮中雅楽の音楽家による、欧州管弦楽演奏会を浅草本願寺にて行う 1883年(明治16年)鹿鳴館完成 言文一致運動 1988年(明治21年)純国産、山葉(現在のYAMAHA前身)足踏みリードオルガン発売 1889年(明治20年)大日本帝国憲法制定 日清戦争〜日露戦争(1894〜1904) 1903年(明治36年)銀座天賞堂、浅草三光堂から輸入物の蓄音機、発売 1905年(明治38年)日比谷野外音楽堂完成。陸・海軍音楽隊が、交互に演奏。(ヴァーグナーや、ロッシーニから越後獅子まで。演奏会の写真を見ましたが、黒山の人だかりでした。) 1909年(明治42年)三越少年音楽隊 1911年(明治44年)いとう呉服店少年音楽隊(後の松坂屋音楽隊) 1915年(大正4年)山田耕筰の尽力により、「東京フィルハーモニー会管弦楽部」発足(←資金不 足により、二年で解散) 1925年(大正14年)日本でラジオ放送始まる(←3月1日東京試験放送、第一日目) 山田耕筰、あきらめず「日本交響楽協会」創立(←ここから分化した「新交響楽団」が、現在のNHK交響楽団の前・前身。日本青年館落成 1926年(大正15年)ロシア歌劇団来日公演(帝劇) 1927年(昭和2年)イタリア歌劇団来日公演(帝劇) 1928年(昭和3年)日比谷公会堂落成 っと・・・。ここまで一気に書いてふと思ったのだが、こんなことをブログに載せて、私は一体どこへいこうとしているのだろうか・・・??? まあ、いいや。興味のない人はスルーするだろう。 ともかく、この時代の日本のことを調べていると、活気があって、熱意があって、私が元気になってくるんですよね。おもしろい時代です。 ラジオ放送の開始により、音楽はより身近なものになったでしょう。日本のラジオ放送は、アメリカに遅れること、4年4ヶ月。 もう一つの音楽媒体、蓄音機に関しては、こんな記述を見つけました。 めったにない景気で、蓄音機が、小売で舶来物が、一日3〜40台、レコードも千枚くらいでる(銀座の楽器店)
「音楽世界」1929年(昭和4年)二月号 平岡養一(1907-1981) 1907年(明治40年)兵庫県須磨出身。小学校四年の時、父親の仕事の関係で、東京、三田の聖板に移転。 小学校五年生の時(大正8年ですね)、映画好きの姉に連れられて行った、銀座七丁目の金春館に活動写真を見に行ったのが、彼の木琴人生の始まりだとか。音楽はステージ下のオーケストラが生で演奏するので、その中の木琴に魅了されたんでしょうね。 ついでなので、金春館についてもマメ知識を・・・ 金春館・マメ知識
1913年(大正2年)創立。伴奏オーケストラとして、島田晴誉指揮・松竹シンフォニー管弦楽団を持つ。 1917年(大正6年)9月の調査では、「楽隊」は5人にすぎなかったが、二年後には10人に増員された。波多野福太郎以下13人による。その中には、後に指揮者として活躍した、福田宗吉などがいた。 以下、雑誌の引用 金春館は他の館と違ってフルートを入れていた。この楽器はここだけであろう。(キネマレコード大正5年7月10日号) 金春館では、市内営設館ではきかれない、よい音楽を聞かせる。これまではピアノ、ヴァイオリン、及びフルートであったが、先日からチェロを加えた。ここのチェロリストはスライディング・トロンボーンもやるので便利だ。先週は休憩中に、In a loutus fieldというオリエンタル・ワルツを聞かせてくれた。(キネマレコード、大正5年12月号) 金春館では、アメリカの流行曲を紹介演奏した。東洋汽船、日本郵便船などが横浜に入港するごとに、アメリカで流行する新曲を少なくとも30曲ずつ輸入し、これを毎週演奏するので、外人も珍しいと呼ぶことが稀でない(活動雑誌、大正8年10月号) 金春館は、今のホテル日航の裏あたりにあったらしい。っつっても、ホテル日航がどこか知らないけど。 この館の弁士として、若き日の徳川夢声、泉虎夫らが美声をふるっていたとか。 楽士も優秀で、そのまま新響(N響の前身)に入るものもいたとか。 金春館のワクワクするような雰囲気が分かってもらえたところで、平岡養一に戻ります・・・。 と言いたいところだが、もうキーボード、打ち疲れちゃった。この続きはまた今度。 平岡養一の話、結構ワクワク系なんで、興味持たれた方は、この続きもお見逃し無く(^^)! P.S コロンビアのシリーズ、確か明日、続編の発売日だなあ。うぅぅぅむ。 Have a good evening!!
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良いですねぇ、乗り出して聞き入ってしまいそうです。ザラザラした音が又味になっているのでしょうか?
2006/10/25(水) 午後 2:14 [ 美雪♪(昭和46年生) ]
「がははは〜〜」と笑ってしまったのは何でしょう? バートン・クレーン? しかし、すごいタイプ量。続きも楽しみにしてます!
2006/10/25(水) 午後 9:49 [ - ]
msyinm様>そうですね。乗り出しすぎて椅子から落ちそうです(笑)いや、しかし、冗談抜きで、素晴らしいですよ。びっくり。
2006/10/26(木) 午前 0:24
yama様>一枚目のコスモポリタン・ノベルティ・オケの演奏は、かなりツボにヒットして、序盤から、クッ、、ククッ、、、ククク、、、とこみ上げてくる笑いと戦いながら聴いていましたが、「わたしは人形ティ〜ティ〜ナ〜」とこられて、思わず椅子から落ちてガハハ〜でした。いやあ、最高です。
2006/10/26(木) 午前 0:30
平岡養一さんて精二さんおお父さんですよね。名前だけはうろ覚えながら記憶にありますが演奏は全然です。朝吹英一さんの木琴(マリンバだったのかな)は小学生時代にNHKラジオで毎朝演ってましたからかなり音というより雰囲気を覚えています。それにしても、こんなに古いものの発掘に情熱を燃やすtrad jazzさん、面白い人ですね。
2006/10/26(木) 午後 5:16
non様>そうでしたか!精二さんと養一さんの関係を調べなきゃなあ、とは思っていたのですがまだつながっていませんでした。養一さんのほうは一枚CDが出ています。歌う木琴という感じ。朝吹さんのラジオって、「ペンギンタイム」でしたっけ?
2006/10/26(木) 午後 11:14
「ペンギンタイム」ってサンスター歯磨きの?だとすると民放ですね。僕の記憶もいい加減ですからそうだったかも知れませんね。ところで、このアルバムの中に、なんとかいうオペラ歌手と芸者のデュエットでこんな歌詞の歌入ってませんか?昔手回しの蓄音機で聴いたSP盤を急に思い出したもので…「これが別れか(男)しだれ柳の下(女)柳も泣いてるよ(男)おお、涙ハラハラ(女)何時また君に逢うよ(男)別れりゃそれまでよ(女)そんなはかない恋ならばいっそ無い方が良かった(男)。以下合唱
2006/10/27(金) 午後 5:02
手回し蓄音機を聞いてらっしゃたんですか!いいなあ。私も「ペンギンタイム」だったかどうかの記憶が定かではありませんが・・・。ご質問の曲が入っていたか、今即答できませんが、もう一度聞いて(かなり気に入っているので、どっちみちまだ何度も聴くつもりですが)回答差し上げますね。少々お待ち下さい。
2006/10/28(土) 午前 0:17
non様>NBSラジオ「ペンギンタイム」に出演していたのは、どうやら平岡養一さんの方でした。失礼いたしました。後、問題の曲が入っていたかどうかをしっかり聞く前にCDを阿部さんに貸してしまいました。(汗)とりあえず、一枚目には入っていませんでした。(>_<)
2006/11/1(水) 午後 9:27
平岡ファン歴33年です。物書きをしておりますが、一昨年、ようやく念願かない、平岡さんのことを少し書きました。ともすると加速する歴史の谷間に埋もれてしまう偉人をこうして取り上げてくださる方がいるのは心強いことです。頑張ってください。
2007/9/5(水) 午後 0:54 [ yosi ]
tokonaka様>
大変嬉しいコメント、ありがとうございます。平岡ファンとありますが、養一氏ですか?精二氏ですか?tokonakaさんがお書きになった著作、是非読みたいです。どこかで買えるのでしょうか?
もし、このコメントをご覧になったら、そして、もし差支えなければ、当ブログ・トップページのメールフォームをご利用頂き、詳細をご連絡頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
2007/9/5(水) 午後 9:53
すみません。遅くなりました。平岡養一ファンです。私が書いたものは、商業雑誌ではなく、大塚製薬の広報誌「大塚薬報」という企業のPR雑誌です。巻頭のカラーでの特集をさせていただき、楽しい仕事でした。かわいがっていただいた平岡先生への想いがようやく果たせました。私にところに在庫が二冊ほどありますが、編集部をお教えいたしましょうか。お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
2008/7/26(土) 午前 0:02 [ yosi ]
tok*nak* 様>
再び当ブログにたどり着いて頂き、光栄に思います。
雑誌にも興味がありますが、 tok*nak* さんと平岡氏との関わりなどお話伺ってみたいものです。
tok*nak* さんも木琴を演奏なさっていたのですか?それとも平岡氏の演奏のファンだったということでしょうか?
私は戦後に発売された平岡氏のCDを持っているだけで、戦前の演奏(SPならあると思うのですが)は聴いたことがないのです。平岡氏は渡米する前に、コロンビア・ジャズバンドに参加していたようですが、時期的に釈然としないところもあり、実際はどうだったのかな、、、、と気になりつつそのままになっています。
2008/7/26(土) 午後 9:37
私は残念ながら、木琴は弾けません。平岡氏の演奏と、お人柄のファンです。中学校の時に初めて生の演奏を聴き、すっかりとりこになりました。それで、当時日本橋の三越で週末に木琴を叩いておられた先生のミニ・コンサートを聴きによくうかがいました。それから、私が大学一年生で先生が亡くなるまで、お付き合いさせていただきました。NHKのニュースで訃報を知り、ジュースのコップを落としたのを今でもはっきり覚えています。夏の暑い日、青山斎場でお葬式がありました。
戦前のレコードもずいぶんありましたが、ほとんどは差し上げてしまいました。懐かしいです。
2008/7/28(月) 午後 4:53 [ yosi ]
tok*nak* 様>
レスが遅くなり失礼致しました。
そうでしたか、純粋に平岡氏の演奏がお好きだったのですね。
戦前のレコードというと当然78回転ですよね?差し上げてしまったのですか、、、あぁ、残念です。聴いてみたかったです。
私が唯一持っているCDの演奏は、「唄っている」感じで演奏されていて、それがあったかくて心に響きました。
2008/8/1(金) 午後 5:46
お返事が遅くなりました。平岡氏の演奏では、実際に「唄っておられましたよ」。「唄う」という表現が正しいかどうかはともかくも、曲に合わせてハミングのような感じで、踊るようにマレットを振りながら唄っていらしたことが何度かありました。
今でもこうして平岡氏のことに想いをいたしてくださる方がいらっしゃるのは、平岡氏のことを書いた人間としては誠に嬉しい限りです。
晩年、TBSラジオの15分番組を持っておられました。時期によって、「三越夕べの音楽」だったり「三越朝のメロディー」だったりしましたが、亡くなった時も放送があり、その2週間後にほかの番組に変わりました。
秋の夜長に平岡先生のことを思い出して、CDを聴いております。
2008/10/17(金) 午前 1:06 [ yosi ]
tok*nak*様>
一番初めに頂いたコメントが2007年9月ですから、一年以上越しのやり取りを続けていることになりますね、何だかすごいな〜〜、嬉しいです。
実際にも唄いながら弾いていらっしゃったんですね。
マリンバ奏者の方で、平岡氏のマリンバを譲り受けて活動されている方、いらっしゃいますよね。確か、生誕100年の時、盛大なコンサートを行ったとか。平岡氏のファンは今でも結構いると思いますよ。
私も秋の夜長にCD聴きたくなりました。
2008/10/23(木) 午後 11:12