Ai's Tap Room

素晴らしきかな、育児!

雑記

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よい涙。

「ツレがウツになりまして」という映画を最近みました。テレビの再放送でやっていたものをネット配信で見たんです。
 
 
久々に涙がぼろぼろ勝手に出てきました。
 
 
主人公の心の作用が分かりすぎて、どのシーンを見ても涙が勝手にボロボロ出てきた。
 
 
10年位前、私もうつ病と診断されたことがありました。
 
映画の主人公よりは軽度だったと思うけど、どうしても辛い気持ちから抜けられなくて「どうしたら気持ちが切り替えられるのか」もがいてもがいて辛くて仕方なかったり、何とかしたくてカウンセリングに行ったら余慶に落ち込んだり、診療内科で抗精神薬をもらったり、眠れなかったり、ご飯の味がよく分からなくなっていたり、大した理由もないのに声を出してワンワン泣けて来たり、そうかと思うと、何もやる気にならなくて朝も昼も夜もただただずっと眠っていたり、、(本当に寝ても寝ても眠たかった)、音楽を聴いても何も思わなかったり(聞きたいとも思わなかった)、毎日死んでしまいたいと思ったり(私は死のうと行動に移すことはなかったけれど)、誰とも会いたくなかったり、、、、、
 
そんな日があったことを思い出し、その時の気持ちが重なって、主人公の気持ちが分かりすぎました。
 
 
うつ発症のきっかけは主人公とは違っていたと思うけど、泣けて泣けて仕方ない、そして疲れて眠る、の繰り返しでした。
 
その頃は、既に上京し、大学も卒業して音楽の仕事で食べていた時です。
 
直接のきっかけは失恋だったけど、その後の辛さはそれよりも「自分を責める」気持ちだった気がする。
 
最初は「欝病のせいだ」なんて思ってもいなかったので、どうして毎日辛くて仕方ないのか全然分からなかったから、どうしたら普通の気持ちになれるか、毎日そればかり考えてました。
 
当時引き受けていたミュージカルの仕事、今思っても恥ずかしいくらいダメな演奏してました。辛くて仕方ない気持ちで一杯すぎて、自分に自信も全くなくて、いい演奏どころかホント、ダメダメな演奏だった。当然クビ。
 
来る日も来る日も3時間も4時間も外を歩いてみたり、どこかに出かけたら気分転換できるかと一人で遠くに電車に乗って出かけてみたり、カウンセラーの先生に相談したり、音楽の仕事をする気になれず違う仕事をしてみたり。
 
あっという間に体重が落ちて、一時30キロ台だったこともありました。
 
音楽の仕事は全くやりたくないし、なんかこんな自分を音楽仲間にさらすのが恥ずかしくて音楽の仕事は全部断ってバイトばっかりしてました。
 
東京大学の心理カウンセリラーさんに話しを聞いてもらっていたけれど、何回か通ってその先生と話しているとすごくみじめな気持ちになり、なんだか自分は頭がおかしいのか、人格に障害があるのか、などと余計に心が落ち込んでました。
 
そうするとなんだか無性に何かが食べたくなって、一回の食事でパンを一袋全部食べてしまったりするようになって、今後は一気に60キロまで体重が増えました。
 
しばらくするとおでこに沢山湿疹が出てくるようになり、皮膚科を受診したんですが、女医さんは一目みて「心療内科に行って見なさい」と言いました。
 
紹介された心療内科に行って「うつ病」と診断されて、抗精神薬が処方されました。
 
しばらくは一人で東京にいました。ワケもなく泣いたりするところを家族にどうしても見せたくなかった。弱っているところを見られるのがすごくすごく恥ずかしかった。
 
しかし、どうしようもなくなって実家に帰りました。
 
 
妹やそのダンナに会うのも恥ずかしくていやだった。それくらいずっと涙が止まらなかった。何で泣いてるのか、正直今となっては分からないけど涙が止まらないんです。泣いたり弱ったりしているのを家族に見られるのが最も私的に嫌なことでした。
 
 
 
実家では両親が本当にそっとしていてくれました。
 
美味しいご飯を作ってくれて、食べて、ずっと寝てました。よく一人で布団の中でぼろぼろと泣いてました。どうしても涙が止まらないのです。
 
母が車で心療内科に送り迎えしてくれてました。
 
家ではとにかく休ませてもらってました。ずっと寝てた記憶しかない。
 
でも、そういう「怠惰な自分」を実家でさらし続けていたことがたまらなく恥ずかしくて情けなくてみじめに思ってました。
 
夕飯の時に、父とビールを飲んで何かを話した記憶もあります。
 
その頃まだ生きていた祖父のお見舞いに三重県まで母とよく車で行きました。
 
祖父は介護が必要な状況で、母と伯母さんとヘルパーさんとで在宅介護していました。
 
その時に初めて「介護の仕事をする人」を見たんです。とても素敵なヘルパーさんでした。
 
 
数ヶ月実家にいて、「何とかして帰らなくては」と東京に帰りました。どういうタイミングで帰ったか忘れました。
 
「パキシル」という薬を飲んでいましたが、東京に帰ってから飲むのを止めました。本当は突然服用をやめてはいけない薬で、本来医師の指示に従って徐々に抜いていかなければならない薬だったのですが、「うつ病治療をしている」的な自分がイヤでイヤで、そこから抜け出したい思いの方が強かった。
 
そういう意味では私は全然病気を受け入れられなかったんですね。
 
 
 
東京に戻って、吸い寄せられるように介護の仕事に就きました。
 
 
しばらくは音楽の仕事なんか何にもしなかった気がします。
 
 
じゃあ、別に東京じゃなくたっていいじゃんって思うんですが、私にとって、上京してから出会った人間関係がどうしても大好きで、居心地がよくて、戻りたかったってのがありました。
 
 
 
なんでこんなことを書いてるのか分かりませんが、ふと書きたくなりました。
 
 
「うつ病は贅沢病だ」と言っている人がいましたけど、そうかな、、、。絶対違うと思う。
 
気持ちの切り替えがどうもがいても出来ない苦しみもあるってことです。
 
それが続くのがどういう種類の苦しみか。
 
 
 
あれから10年経って、今でも夜突然に涙が止まらなくなることもあるけど、引きずらなくなりました。いや、去年末も知人の自殺をきっかけに気持ちがどうしても上がらなくてきつかったこともあったけど、通過するのを待てるようにはなった。
 
 
あ、別に今、落ち込んでるとかじゃないんですけどね(^^)、映画見て、なんか、、、、、いい映画だったな〜、と。
 
 
なんか、色んな思いがこみ上げてくると同時に、今、自分がとても幸せであると感じました。勿論、泣いたり笑ったり、感情のふり幅が大きい私は大忙しですけど、それでも、周りに恵まれ、良い仲間がいてくれて、大切な人がいて、好きな音楽があって。
 
ま、また「心の風邪」はひくかもしれないけど、風邪を引いたら休みましょ(^^)
 
 
 
 

今日の考察。

イメージ 1
 
画像は今日の話題とはなんの関係もない、Deagan のスイスカウベル・2オクターブセット。
 
もし私が現代音楽系打楽器奏者の方向性で進んでいたら、まぁ、間違いなく入札したでしょう(笑)
 
2オクターブで400ドルは安い!
 
ケースもかっこいい。
 
 
ちょっと欲しい。
 
けど、買わないから画像だけキープ。
 
ディーガンって、音階系打楽器はホント、色んな種類を作ってましたね。
 
 
 
先日、「あぁ、これがプロなんだ、、、」と改めて思ったことがありました。
 
 
楽器やる人って、プロと非プロとは特に試験があるわけでも資格が必要なワケでもなく、その他沢山ある、いわゆる「国家資格」的な業務独占資格、あるいは名称独占資格のように分かりやすい基準はないですよね。
 
だから、そのヒトが「プロ」だって言えば「プロ」
 
まぁ、曖昧です。
 
 
プロにも上下左右(?!)色んなプロがいらっしゃいますけど、プロになればなるほど「言葉」を必要としないっていうか。
 
演奏は、色んな種類の楽器で構成されるし、表現したい音楽は、その楽器の専門家じゃない人が指示を出したり、演出したり、、、、
 
つまり、楽器それぞれの都合や専門的な楽器それぞれの表現の伝え方が分からない人が演奏者にオーダーをするってことが多々あります。
 
 
例えば譜面を使う場合も、楽譜に書ききれないニュアンスを「こんな感じで」というイメージ的な表現で伝えたとする。その「言語」が、自分の楽器の専門分野的に表現がおかしかったり、伝わりづらいことがあっても、その人が求めている「真意」的なものを汲み取って、「あぁ、こういうこと?」と演奏出来る。
 
それって、プロだな、って思った。
 
 
 
そういうことが出来ているプロの演奏者には、自然に、音楽以外の場面でも「表面ではなく真意を汲み取る」能力が備わってくるのかな、って思うことが最近あった。
 
 
人の喜怒哀楽、困惑、嬉しさ、、、、そういうった感情は、表面的には違った表現になって出てくることも多々あり、解釈を間違えるとその人を誤解してしまうことになる。
 
一見、突っかかっているの?って見えることが、真意ではとても真剣だっただけ、とか。
 
 
私はそういう「真意」を見ていく力がまだ全然足りないんだな、と思うことがありました。
 
だから、プロとしても全然まだまだなんだな。
 
 
でも、気づけて良かった。
 
 
「人の良いところを見つけよう、見よう」という考え自体、もしかしたらちょっと違うのかも、とか思った。
 
「見つけよう」なんて、だいたい「上から目線」なんじゃないかな、って思った。
 
その人の「本当の思い」に気づけば、人なんて、いい人しかいないんだろうな。
 
色んな表現があるだけで。
 
色んな視点があるだけで。
 
 
私は人が好きです。
 
 

つぶれた骨のその後。

今日は骨折後2週間目で再度レントゲンを撮りました。
 
この2週間、出来る限りムリせず生活し、介護の仕事も職場の同僚が本当に気を使って下さり、移乗やオムツ交換など胸椎に負担のかかるものは全て替わって下さってます。もう、本当にありがたくて、感謝してもしきれません。
 
皆さんのお陰で仕事も休むことなくさせて頂き、私と組む職員は私の分の負担が回ってしまい申し訳ない気持ちで一杯ですが、「い〜よ、い〜よ、やるから記録してて」とかってPCでの記録業務をふってくれたりして、、、、
 
同僚のお陰で欠勤することなくお仕事させて頂けてます。
 
もう、本当にありがたくて、、、。
 
今日は発症から2週間経ち、痛みもかなり軽くなってきているので「経過良好かな」と病院に行ったんですが、、、
 
レントゲン撮ってみると、第七胸椎のつぶれ加減が前より少し酷くなってました〜(汗)
 
 
骨はまだ固まってないようで、先生からは「連休明けくらいまでは今のままの働き方で注意して重いものも持っちゃだめだよ」とのこと。
 
痛みがやわらいできてつい動いてしまいたくなりますが、ここはまだじっと我慢して早く治してちゃんと働けるようにならないと!
 
 
顔なじみの先生は「しかし、びっくりしたね〜、まさか折れてるなんてね〜、あなた位の年では珍しいことだよ〜、念の為と思ってとりあえず写真撮ったらまさかの圧迫骨折だしね〜、ショックだね〜ショックだね〜、まさかの骨粗しょう症だったりして〜、まぁ、それはないか、今度骨密度測る?」と実に楽しそうに(?!)診察して下さる、気さくな先生(笑)
 
なんか先生嬉しそう(笑)まぁ、この先生のお顔を拝見すると安心するんで、全然OKです(^^)
 
 
それにしても職場の皆さんには本当に本当に感謝です。
 
欠勤になってしまうとやはり収入がなくなりますからね、皆さんのお陰で骨折の治療をしながら働かせて頂けて本当に感謝です。
 
早く治りますように!
 
 
ちなみに、痛みはもう殆どないです。ないから油断して使ってしまわないように注意しなきゃ!
 
 
 
 
 

渡邊恭一君。

トラディショナルなジャズシーンで活躍しているリード奏者の渡邊恭一君が、ネットで音源を紹介する番組を週一でやってるんですが、1920〜30年代あたりのジャズの良い音源をゆる〜いトークで紹介していて面白いです(^^)
 
渡邊恭一君主宰の番組「第五トラディショナル」
 
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こちらの青年が渡邊恭一君です
 
クラ、A.sax、C-melody sax、T.sax奏者です。
 
第五トラディショナルっていう謎なタイトルなのも私的には結構ツボですが、紹介されている素晴らしい音源に対し、トークがゆるい所がさらにツボであります。
 
 
いいっすね〜、ぅい〜っすね〜。
 
 
 

良い季節♪

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窓から空が明るくなっていく所を観察(^^)
 
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どんどん咲き始めてます。
 
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家の前に桜があって嬉しい。
 
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まだまだお楽しみはこれから!
 
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花の色が淡い桜を青空の下で見るのが大好き!
 
 
昨日の圧迫骨折の記事でご心配をおかけしました。日常生活は「ちょっと不便」という程度で、大丈夫ですからね(^^)ありがとうございます。
 
 

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