限定解除とは
現在の免許制度になる前は、バイクの免許には:
・原付免許:……………50cc以下の二輪車のみ運転が可能
・自動二輪免許:………全ての二輪車の運転が可能
…がありました。自動二輪免許があれば、排気量無制限、どんなバイクでも運転する資格が与えられていました(厳密には125cc限定もあったようでしたが、免許区分の詳しい歴史は Wikipedia 等をご参照ください)。
しかし、1975年以降、そうは問屋が卸しませんでした。二輪免許の取得が急に難しくなったのです。
80年代当時は、400ccまで運転できる 「中型限定」 という 限定付き の自動二輪免許が幅を利かせていました。というのも、限定のない、排気量何ccでも運転できる二輪免許は自動車教習所では取ることはできず、教習所では中型の限定付き免許までしか取らせてくれないシステムになっていたからです。
【現在の区分】
・原付免許: ………………………50cc以下の二輪車のみ
・普通自動二輪免許 小型限定:…125cc以下の二輪車
・普通自動二輪免許: ……………400cc以下の二輪車
・大型自動二輪免許: ……………全ての二輪車
AT限定免許もありますが、ここでは省略
【当時の区分】
・原付免許: ………………………50cc以下の二輪車のみ運転が可能
・自動二輪免許 小型限定:………125cc以下の二輪車の運転が可能
・自動二輪免許 中型限定:………400cc以下の二輪車の運転が可能
・自動二輪免許: …………………全ての二輪車の運転が可能
(→教習所では取れなかった)
51cc以上は全て “自動二輪免許” という “同一の括りの免許” であり、それに “条件” が付く形式でした。
【注】今の、普通自動二輪免許と大型自動二輪免許は、別の括りの免許です。
多くの人たちは、教習所で中型限定が付いた自動二輪免許を取得していました。もちろん、これでは400ccまでしか乗れません。
この 中型限定を外し、何ccのバイクにも乗れるようにするのが 限定解除 というものです。限定解除審査は各都道府県の 運転免許試験場のみで可能 でした。繰り返しますが、教習所では取れませんでした。
この状態は、1996年まで続きました。
ちなみに、今でも、例えば、AT限定免許のAT限定を外すことを限定解除と呼びます。限定を外すものは、何であっても限定解除(あるいは条件解除)です。
しかし、当時、二輪の 「限定解除」 と言えば、運転免許試験場の難しい技能審査をパスしなければ取れない免許 を意味しており、ライダーにとっては希少価値のある花形免許だったのです。
401cc以上のバイクは当時も 「大型バイク」「大型二輪車」 でした。
それゆえなのか、当時も俗に 「大型二輪免許」 と言われたりしましたが、厳密には当時の免許は大型二輪免許ではなくて、『限定なしの 「自動二輪免許」』 というものです。
ちょっと細かい話ですが…。
【注】今の普通自動二輪免許保持者が大型自動二輪免許を取得することは、制度に照らし合わせると、限定解除とは言えませんね。ステップアップすることは同じですが。
【注】普通自動二輪免許小型限定の限定を外して400ccまで乗れるようにするのは、限定解除の一種と言えます。
日本国内では暴走族対策もあり、当時の運輸省の顔色を見て、750ccまでのバイクしか販売しないという二輪メーカーの自主規制があったため、「ナナハン免許」とも言われていました。
【注】もちろん、当時の免許でオーバーナナハン、逆輸入のリッターバイクの運転も可能でした。
【注】この規制は1989年頃に撤廃され、国内向け V-Max や GL1500 等のリッターバイクが登場。
現在の免許制度になった1996年よりも前にオーバーナナハンが解禁されました。
当時の自動二輪限定解除審査の様子を思い出して、ここに記録として残しました。
ご閲覧下さい。
以下は、これまでにいただいたコメントです(2016〜2018年)。ありがとうございました。
ヤフーブログ閉鎖に伴い、いただいたコメントは消失してしまう見込みなので、保存のためここにコピーペイストしました。
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ワースト10の岡山県で昭和63年に6回目で合格しました。
懐かしいですね。
限定解除のハンコの押された免許証はいまだに持ってます。
その上に免停の講習済みのハンコも押されていますが・・・(笑)
わたしも免許証はコピーではなく実物を手元に残しておけばおかったです。
コメントありがとうございました。
私は昭和59年に平針で12回目にやっと合格しました。
途中から天白や上飯田で練習したことが懐かしいです。
点数が出てもなかなか合格出来ずにモヤモヤした記憶があります。
自分が受けたときは急制動が50kmからだったような気がします・・・
コメントありがとうございます。
50km/hからの急制動でしたか?それはなかなかハードでしたね。
本文にも書きましたが、ある程度しっかり乗れていても合格見送りにされていたことも多かったような気がします。なんか、大関稀勢の里の綱取りみたいな感じでしたね。
コメントありがとうございます。
当時は取得が困難で価値ある免許だったとか、そういうことはバイク乗りの人しか解んないですよね。わたしの場合もバイク友だちからは尊敬の眼差しで見られていましたが、バイクのことをあまり知らない人からは、ふ〜ん、という感じでしか見られてなかったです。
当方、海外に行っていたため返信が遅くなってしまいました。
興味深いコメントありがとうございました。なるほど、1998年は新制度が施行されてまだ間もない時期だったからですね。
ところで、こないだ平針に電話して聞いたら、今は技能試験の実施日は不定期とのことらしいです。受ける人が激減してしまったからだと思われます。たくさんの受検者で賑わっていた??当時を知る者としてはやや寂しいですね。すっかり変わってしまいました。
限定解除、わたしもとても苦労しました。しかし、当時は苦労するだけの価値ある免許だったと思いますね。
わたしは今は小さめのバイクに乗っていて、大型バイクから降りてしまいましたが、いずれはまた復帰したいと思っています。
コメントありがとうございました。
試験官のU氏やS氏には褒められ鋭角ターンだけは得意でした。(笑
鋭角ターンだけ上手くてもなー」って言われてましたわ。
古い資料があるのはびっくりです。
平針で受検された方ですね?
わたしが受かった時の鋭角ターンは、ハンドルが左にフルロックで、スロットルオープンのタイミングがあと1秒遅れたらヤバかったです。うまく切り抜けましたが。
コメントありがとうございました。
そうです。平針限定解女( ̄ー ̄)ニヤリ。
カーブのスラロームに手信号。
同時期か私の方が1年くらい前(古い)です。
今こんな試験コースを作ったら、各方面から叩かれること間違いないですね。
懐かしく読ませていただきました
私は、昭和61年に20回試験を受けて
平針で合格しました
一番の難所は、波状路を出る時の左折から一本橋
そして、進路変更をしてクランクへ入るまでが難しかったと
記憶しています
あのUターンで入るクランクは本当に難しかったなと記憶しています
クランクの入り口が変わってかなり楽になったと思いますよ
GS750Gに耕運機の様なハンドルも幅の広いシートとタンクも当時は非常に嫌でした
と言ってもあれほど集中して取り組んだことは未だにありませんので
いい経験をさせていただきました
コメントありがとうございます。
波状路を出てすぐ左折、すぐ十字路で左右確認、ここは確かに厄介で、焦ってる様子の人が多かったです。なかなか嫌味なコース設定ですね。
クランク入り口はその②のコース図で示した通り、交差点から少し遠くになり、クランク自体もやや易しくなったと思います。
当時の限定解除は必要以上に難しい試験だったと思いますね。
わたしも全身全霊をかけて限定解除に取り組みましたが、一つの成功体験として、今でも自分自身に自信を付けさせた貴重な体験だったと思っています。
合格が近くなると、3回目の試験(15時頃始まりだったか??)に呼ばれるようになったと記憶しています
実際受験者数は少ないですが、合格者は多かったと記憶しています
私自身、上手に単車をコントロールできる方ではないので
受験回数の免じて合格をさせる為、余り人がいない3回目の試験で
お情けでこっそり合格を貰ったと思っています
と言っても、もちろん完走しましたよ
そうでしたか。
わたしの場合も合格した日はその日の3回目(15時過ぎから)で、受検者は9人か10人でした。合格はわたし1人だけでした。