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2019/09/01
自動二輪限定解除
http://genteikaijo-hirabari1986.blog.jp/
2019/08/31
閲覧、ありがとうございました。
ライブドアブログへ移転しています。
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日記
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注:
ヤフーブログの閉鎖(2019/12/15)に伴い、当記事は「ライブドアブログ」へ移転させています。ご了承ください。
久しぶりに、平針運転免許試験場(愛知県)に行ってみました。大型自動二輪免許の技能審査が今どんな雰囲気で行われているのか、興味があったからです。
【その①】で紹介しましたように、1986年の二輪の技能試験のコースと比べると、現在では試験コースがかなり簡素化されています。少なくともそう言わざるを得ませんが、見方を変えると、正常な、普通の姿に戻ったのかもしれません。
1986年当時の試験の時間帯と受検者数は、午前(受検者約25人)、午後(約25人)、夕方(約10人)となっていまして、水曜と金曜の午前と午後は中型と小型に充てられていました。ですから、月曜60人、火曜60人、水曜10人、木曜60人、金曜10人と、1週間で最大200人が受験していたことになります。年間のべ1万人です。
今回わたしが見に行ったのは平日の午前ですが、大型二輪が9名程度、小型二輪ATが1名でした。半年ぐらい前に電話で問い合わせたことがあったのですが、技能試験の曜日は決まっていないようで、不定期に試験が行われるらしいです。
大型二輪9名程度のうち、1〜2名を除いて日系の外国人の方々でした。
小型二輪ATの受検者はベトナム人の方で、ベトナムでは175ccとかに乗っていたとしても、日本の免許に書き換えると原付免許(50ccまで)になってしまうそうです。それで、125ccの免許を取りに来たとのことでした。
試験開始前、審査官は何やら一生懸命に事前説明をしていました。
しばらく経ってもまだ説明していたので、いつまで説明しているんだろうか? と思って、近づいてわたしもその説明をよく聴いてみました。
「急制動では、指定された位置よりも前からブレーキをかけてはいけません」
「指定位置よりも前でブレーキレバーに指をかけても減点対象になります」
などと、かなり丁寧です。
結局、20分ぐらい説明していましたね。
せっかくのありがたい合格への助言も、上の空の様子の受検者もいましたが…。
試験車両はNC750です。
大型二輪の試験車両で2気筒というのは、どんな乗り味なんでしょうね。特に、極低速で。わたしはNCには乗ったことがないので解りませんが。
向こう側は125ccATです。
格納庫の外には CB750 も出されていため、もしかして CB も使用することがあるかもしれません。
試験コース。
さて、実際の試験ですが、最初の3名の方々は、一本橋を5秒ぐらいで渡りきっていました。もちろん減点ですが、受かるのかな?
脱輪するよりはマシですが、そもそも論として、一本橋5秒の実力では練習不足は否めませんし、合格は難しいと思いますね。普通二輪でも7秒ですし。
しっかり10秒かけて渡っていたのは1人か2人しかいませんでした。
スラローム。
下の写真は1986年当時、スラロームがあった右カーブです。【その①】 【その②】で記述していますが、かつてはこんな曲がったところに5つのパイロンが並べられていたのです。こんなクレージーな試験場は、日本全国探しても、おそらく平針だけだったと思います。
こちらは鋭角ターンがあったところ。バイク1台が通れるぐらいの狭い道を降りたり登ったりするコースでしたが、今はすっかり変わっています。
坂道発進の斜度も、かつてはもっと急勾配でした。
波状路の設置場所は変わっていますが、障害物の高さ、本数、間隔は定められていますので、今も昔も同じです。
この写真の方は前後の荷重配分も良く、スロットルオープンのタイミングも良くて、上手でしたね。姿勢も良いです。もっと腰を前方に移動させて、前方荷重を増やしてもいいぐらい。これで、これ以上腰を後方へ引いたらダメです。
後輪が山に乗るタイミングでクラッチをつないでスロットルオープンです。
【追記】平針試験場の波状路ではありませんが、波状路の障害物です。
上底=6cm、下底=14cm、高さ=5cmの台形です。9本あります。各障害物間の間隔は不均等に設定されています。形や大きさ、本数や間隔は、全国共通のはずです。
クランクをただ通過するだけを目標としていたのか、ほぼ一定のスピードでトロトロ走行している方もいました。角をハンドルで曲がる感じでは、合格は難しいですよ。直線部分ではやや加速するぐらいであって欲しいです。
バイクは、スロットルを閉じれば、車体を寝かせやすくなります。一方、スロットルを開ければ、車体は起きます。その感覚を身に付けていただきたいですね。
クランクを一定速で通過する人は、スロットルの開閉により車体が寝たり起きたりすることを体験していないということです。普通自動車など四輪車のクランクなら、極低速で通過しても構わないんですが。
ところで、クランクの写真を見ますと、バイク全長が2.3mとして、曲がり角の間隔が3台分の7mはありますよね。昔はこんなに間が空いてたかな?
昔はもっと短くて、例えば2番目の角から3番目の角までは4mぐらい、車体2台分あるかないかの距離だったように思います。
3番目の角? そうです。かつての平針のクランクは、左→右→左のW字型だったのです!
S字コースです。この方はスムーズに走行していました。
S字に関しては、クランクと違い、出入り口以外は一定速で良いと思います。もちろん、直線部分での加速は可ですし、昔ならその方が好印象でした。
今はそこまで “冒険” しなくてもいいだろうとは思いますが…。
試験会場はのんびりマッタリとしていましたね。かつての限定解除の賑わいはありませんでした。ギャラリーは皆無でしたが、暑かったせいもあるかもしれません。春や秋だと、もしかして時間潰しで見ている人も多いかもです。
ちなみに、四輪のコースも閑散としていました。技能試験を受けに来ていた人は、昔と比べたら非常に少なかったですし、走っている車両の数も少なかったです。こちらも日系外国人の方が多かった印象です。
さて、合格発表までは追跡しませんでしたので、何名が合格したかは分かりませんが、わたしがザックリ見た感じでは、合格してても良さそうな方は1名だけです。
個人で練習できる練習場さえあれば、独学に近い形であってもしっかり練習することで、いわゆる一発試験でも十分に合格できるような気はします。ただ、練習場というインフラが巷にほとんどないので、練習量の確保が問題になります。やはり、見ていて、練習量が足りてないな…という印象の受検者が大半でした。
そういう意味では、今も試験場での合格はやや難易度が高いように思いました。
完
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当サイトの目次です。以下の http:// からご覧下さい。
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・はじめに
・試験車両
・試験コースの概観
・大型二輪の試験コースの詳細 (1986年の平針)
❶外周と急制動 ❷スラローム ❸外周および8の字 ❹波状路 ❺一本橋
❻クランク ❼たこつぼコース ❽鋭角ターンと坂道発進 ❾帰還
・合格のポイント
・当時の練習にまつわる話
・練習場について
【その④】
・技能審査の受検体験記
・練習時間
・当時の受検状況について
・統計データ (1982年)
・限定解除審査を受けた感想
・運転免許試験場と教習所
・当時の免許証
限定解除アーカイブ
【その④】
技能審査の受検体験記
当方が受検準備を始めたのが1986年3月でした。グリーンパーク天白で練習を始めたのが3月7日でした。
5月22日に事前審査を受けてパスしましたが、愛知県平針では事前審査はほとんどの人が一発で通っていたようです。【その①】でも書きましたが、事前審査では8の字のコース上を押し歩きし、次にバイクを左に倒して起こし、最後にセンタースタンド掛けができれば終わりです。走行試験に使う実際の車両でしたので、エンジンガード等は付いていました。
6月5日に1回目の技能審査を受けました。初めての受検でコースを完走して周囲の受検者から驚かれたのですが(完走すらできない人が多かった)、ただ単にコースを走れただけに過ぎなかったのでしょう。審査員から特に褒められもしませんでしたし、わたし自身あまり嬉しくもありませんでした。
2回目と4回目も完走しましたが、これらについては全く記憶に残っていません。
3回目の受検ではオーバースピードで急制動に突っ込み、後輪をロックさせてしまって停止線を越えたため試験中止になりました。その時の試験車両GS750Gはしっかり整備されていたのか、スロットルレスポンスが非常に鋭くて、とても力強かったことを覚えています。
基本的にグリーンパーク天白で自主練習をメインにしていましたが、7月頃に上飯田練習場での練習、40分×10回を加えました。この頃までに5回目の受検を終えて、 60点を取ることができました。後述しますが、55〜65点だとその取れた点数を教えてくれたのです。
その後、8月下旬までの約1ヶ月間は北海道ツーリングのために受検するのをお休みしていました。1ヶ月の休み明けは若干感覚を忘れてしまったのか、この時に受けた6回目は一本橋から脱輪してしまって試験中止になりました。
7回目と8回目は60点。あと少しでしたが、もう合格をくれてもいいのに…とも思いました。
当時の審査員は毎回、帰還後の受検者1人ひとりに簡単なアドバイスをしてくれていました。
結局、わたしは準備から約7ヶ月、初回の受検から約4ヶ月、10月16日に9回目の受検で合格することができました。9回目の審査員は8回目の時と同じ人で、その審査員もわたしのことを覚えていたようでした。
当日のこの時間帯には限定解除の受検者が9人いましたが、合格者はわたし1人だけでした。
さすがにこの時はとても嬉しかったですね。
練習時間
【その③】でも少し触れましたが、上飯田練習場で 「40分×10回」 の、グリーンパーク天白で 「平均35分×54回」 の練習をしましたので、60分を1時間に換算して38時間、50分を1時限で換算したら 46時限も乗ったことになります。
練習自慢じゃないですが、とにかくたくさん乗らないとダメだろうなぁと思っていました。元々要領の悪い人間ですし…。
あの頃は大学の授業そっちのけで、限定解除のことばかり考えていました。
ちなみに、1986年当時の教習所の教習回数は、免許なし、または原付か小特しか受けていない人の場合、
・ 普通第一種免許を取得するためには、50分×27時限以上
・ 自動二輪 中型限定免許を取得するためには、50分×10時限以上
と定められていました(今よりも少ない)。
そして、普通免許を受けている人の場合ですと、
・ 自動二輪 中型限定免許を取得するためには、50分×9時限以上
でした。
【参考】この、普通免許ありで中型限定免許を取る場合、当時の教習料金は6万円ぐらいでした。
これらと比べても、当時のわたしの練習量は破格の時間数だったと思います。
それでも、8回も落ちてしまったのですから、かなり下手だったのでしょう。
しかし、豊富な練習量のおかげで波状路や鋭角ターン等の低速での安定走行には絶対的な自信を付けることができました。
以下の写真はグリーンパーク天白にて練習した際にいただいた領収書です。
1枚1,000円で、全部で54枚あります。
ただ、当時の合格者たちの多くは、多分ここまでは練習してなかったと思います。
合格まで恐らくトータル20〜30時間ぐらいの練習量ではないかと思います。もちろん、中型二輪免許持ちの人で…です。
練習にかかった費用は、上飯田練習場の10回回数券で35,000円、グリーンパーク天白で54,000円で、計89,000円です。
当時、技能審査料と車両使用料が合わせて1,700円。
確か、審査料が1,200円で、車両使用料が500円と記憶しています(ただし、他の人のブログによると、翌年に値上げがあったらしい)。
わたしは9回受けたので、計15,300円です。
限定解除に合格しても、免許証のウラに判子を押すだけなので、免許証発行手数料などはありません。
全て合わせて104,300円でしたが、交通費のガソリン代も入れて計12万円ぐらいだったと思います(以上はわたしの場合です)。
当時の受検状況について
以下の写真が当時の限定解除審査申請書です。
受検の度にこのような申請書を書いて、愛知県証紙を購入して貼り、申請窓口に提出していました。
なお、試験時間帯は、午前、午後、夕方と3回ありました。中型と小型は毎週水曜と金曜の午前と午後で、それ以外は大型二輪(限定解除)を行っていました。
だいたい10日おきに受検することが可能でした。
午前25人ぐらい、午後25人ぐらい、夕方10人ぐらいが受検していたと記憶しています。なので、大型二輪は単純計算で週200人、年50週として年間にのべ数で
1万人ぐらいが受検していたんじゃないでしょうか(後述しますが、1982年の平針の例で、その年に9,966回の挑戦があったという記録が残っています)。
申請書とは別に限定解除審査通知書という書類もありました。これは、不合格になる度に返却されるもので、次回の予約に使われていました。
前回受けた9月に受かると思っていたのに受からなかったので、今日こそは絶対に受かる…と合格を確信していましたし、それだけの自信がありました。そこで、この書類を提出する前に記念に…と、コピーを撮っておいたのです。
赤鉛筆の書き込みは、受かってから嬉しくてこのコピーに思わず書き込んでしまったものです。
12回分まで書き込めるようになっていますが、13回以上の人はこの用紙が2枚あり、ホチキスで止めていたらしいです。3枚あった人もいたらしいです。
わたしの場合で 「不合格」 の判子の文字が8個も並んでいますが、これがたくさん並ぶとメゲてきますね。いかにも 「おまえは不合格だ、不合格だ!」 と暗示をかけられそう。
ですが、60点だった時は 「60」 と記載してくれます。なので、惜しくも不合格だったのかどうかが判りました。「65」 「60」 「55」 は書いてくれていたようで、このような点数が付くと合格の兆しが見えてきます。
「60」 と書かれると、あと3〜4回以内に受かるよ…とギャラリーの中にいた過去の合格者が受検中のわたしに言ってくれました。
一方で、わたしの友人で15回目に受かった人は、点数なんて1回も書かれたことがないと言っていましたから、受かるパターンはいろいろでしたね。
なお、一般的な話ですが、二輪車・四輪車に関わらず、技能試験(技能審査)では点数が50点以下の場合、一律50点とみなされます。50点まで減点された時点で採点を止めてしまうか、採点を続けても無意味だからでしょう。
しかし、脱輪や転倒等の一発アウトにならない限り、ほとんどの人は最後まで完走させてもらえました。せっかく受検料を払って来ているのですから、せめてものお情けなんでしょう。
それでも、完走だけ目指してあまりにもタラタラと走っていた受検者は、途中で帰って来るように指示されていました。度重なる加速不良(−10点)による減点超過です。
無難にコースを完走できただけでは、絶対に合格していませんでした。
今の教習所ではあまりないかもしれませんが、メリハリがない…なんていう理由で減点されていったのです。大型二輪なら大型二輪なりの走りをしなさい…と当時はよく言われていました。
しかし、これは至極ごもっともな話で、他の交通を妨げないよう、加速すべきところはしっかりと加速しなければなりません。
統計データ
当時の限定解除のデータ(ただし1982年のデータ)がありますので、ここではそれを紹介したいと思います。
平針運転免許試験場での合格までの平均受検回数は15回…と言われていたようです。
1982年のデータで全国の受検回数140,119回、合格者数9,628人という数字が残っています(ちなみに、現在では毎年7万〜9万人が大型二輪免許を取得しています)。単純計算で合格率は平均 6.87%ですが、実際には14万人の人が各1回受検したわけではありませんよね。1人が何回も挑戦します。
仮に1人当たりの平均受検回数を10回とすると14,000人が受検したとみなせますので、9,600/14,000=69%…となります。つまり、計算上10回受ければ10人中7人までは結局は合格して免許を手にしていたことになります。
限定解除の合格率が 1%とか 3%とか、司法試験よりも難しいなどと言われることもありましたが、それはちょっとオーバーですね。以下に示すように、平均的にはそこまで低くなかったです。
しかし、合格者数を受検回数で割った合格率のワースト10位までが 4%未満という低い値でした。
都道府県ごとの合格率を下から並べてみますと(1982年)
ワースト 1位:栃木県 1.31%00074/5,655
ワースト 2位:長野県 1.97%00025/1,269
ワースト 3位:徳島県 2.34%00007/298
ワースト 4位:群馬県 2.50%00175/6,996
ワースト 5位:広島県 2.51%00072/2,865
ワースト 6位:青森県 2.99%00024/803
ワースト 7位:宮城県 3.04%00115/3,781
ワースト 8位:埼玉県 3.07%00201/6,548
ワースト 9位:秋田県 3.37%00041/1,216
ワースト10位:岡山県 3.98%00128/3,213
ワースト14位:愛知県 4.80%00478/9,966
ワースト19位:東京都 5.77%01,897/32,864
ワースト22位:岐阜県 6.23%00223/3,577
ワースト30位:三重県 7.79%00214/2,747
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ベスト 5位:佐賀県 14.70%00112/762
ベスト 4位:北海道旭川方面 15.79%00039/247
ベスト 3位:北海道釧路方面 16.54%00066/399
ベスト 2位:香川県 17.78%00272/1,530
ベスト 1位:静岡県 17.82%00555/3,114
*北海道は4地区に区分けされていました。
*東京都は4つの試験場を1つの数字にまとめて集計されていました。
他の方のブログで、栃木県は暴走族が多いから限定解除が難しかった…というコメントを見かけました。当時の1.3%というワースト1位の数字を見てしまうと、まあ納得…といったところです。
一方で、静岡県や香川県はなぜか合格率が高い。静岡県の受験回数は栃木県の0.55倍しかないのに、合格者数は7.5倍。つまり、13倍以上も合格しやすい。
選挙で、1票の格差は3倍以内に…どころではありませんね。
このように、都道府県により合格率にかなりの違いがありました。
上手い人や下手な人が特定の県に集中しているとは考えにくいですから、やはり厳しい県もあれば、そうでもない県もあったということです。
年によって合格率やランキングの入れ替わりはあったと思いますが、1982年の愛知県平針における合格率は4.8%でしたので、比較的難しかった方だと思います。
こんなこともあって、愛知県に住んでいる人が比較的合格率が高い岐阜県や三重県、明らかに合格しやすい静岡県など他県に住民票を移して、そちらの試験場で受検している人も当時はいたようです。
例えば、ここでワースト3位の徳島県に注目してみると、徳島県の受検回数は298回ですが、すぐ隣の香川県ではその5倍以上もの受検回数となっています。合格者は38倍以上もの数です。
1980年(昭和55年)の国勢調査のデータによると、徳島県の人口が825,261人、香川県の人口が999,864人。徳島県の方が人口が少ないですが、大差というほど少ないわけでもなく、人口比83:100ですから、受検者数が5倍以上も違ってくる合理的な理由が見当たらないのです。
このことから、香川県の方が受かりやすいからと、住民票を移動させて越境受検していた徳島県民の人たちが当時たくさんいたんじゃないかと。この可能性は決して否定できません。
お願い:当時の徳島県、香川県の情報をお持ちの方、コメント宜しくお願いいたします。
受かりやすい県に住民票をわざわざ移すなんて…と思われるかもしれませんね。今ではとても考えられないことですが、当時、これは一部では本当にあった話だと思います。
(参考:自動二輪大型免許取得実戦ノート(1984年発行))
これは聞いた話なので信憑性に乏しいかもしれませんが、この制度が施行された年の翌年(1976年)?の限定解除の合格者は全国でわずか1,200人。そのうち、800人が警察関係者だったらしいです。
限定解除審査を受けた感想
まあ、限定解除は当時、非常に難しいとされていましたが、きちんと乗れていれば受かっていました。やはり、ろくに練習しないで受検する人が多く、そのため落ちる人が多かったのは当然といえば当然ですし、受検回数が多くなってしまったのだと思います。
ですが、乗れていれば受かるとはいえ、愛知県の平針ではそのコースの難易度や審査員がくれるアドバイスやコメントから、今の基準で考えても必要以上に難しく、要求されるレベルは非常に高かったと感じています。
例えば、○△のところで少しフラついたね…などと指摘されるようなら、その日はまず合格できていません。「少し」 フラついた結果が、何かかんか言って減点の累積が35点以上になっていて、合格点70点に届いてないのです。
そして、前にも書きましたが、割と多くの受検者が、走りにメリハリがない…なんていう理由で減点されていました。
もちろんそれだけではなく、左右や後方の安全確認、方向指示器を出すタイミングなど、安全法規が守れていないという理由による減点は容赦なかったです。
誤解を恐れずに言うと、ちょっとギリギリだなぁ…という受検者の場合、もうあと2〜3回様子を見ようか…という扱いをされていたんじゃないか、と思えてしまいます。
大相撲で言えば、横綱昇進を2〜3場所、見送るような感じです。
大型二輪を横綱に例えるのも変ですが、わたしの率直な感想です。
現在では、普通自動二輪免許(限定なし)を持っている人が大型自動二輪免許の教習を受ける場合は最低12時限で済みますが、46時限相当も練習したわたしの感覚だと、とてもとても、今の12時限の練習で当時の技能審査に合格できる気がしません。
高校の友人では平針で2人が合格し、うち1人は7回目で合格していました。
大学の友人では平針で4人が合格し、うち1人は7回目で合格、1人は15回目で合格していました。
その他、岐阜県民で1回で合格したと豪語していた友人もいましたが、別の友人は平針で2〜3回受けた時点でギブアップしてしまいました。
運転免許試験場と教習所
運転免許試験場での技能審査は平日に限りますので、何回も練習場に通ったり試験場に行ったりして合格できるのは時間的に余裕がある大学生ぐらいしかいませんでした。社会人が有給休暇を使って受検して、合格を勝ち取れた人ってほんのわずかだったと思います。
(出典:1980年代後半の某二輪雑誌)
ところで、1996年に法改正がありました。改正前は、中型二輪限定免許で大型二輪車を運転したとしても免許の条件違反であって、違反点数は2点、反則金は6,000円で済みました。
【注】あくまでも6,000円は反則金(青切符)であって、罰金(赤切符)ではありませんでした。
改正後は独立した免許となったため、普通二輪免許で大型二輪車を運転すれば無免許運転(免許外運転)となります。現在の違反点数は25点ですから、免許は取り消し処分の上、欠格期間は最低でも2年間となります。罰金もあります。
この部分では非常に厳格になりました。
しかし、その代わりというか、教習所でも大型自動二輪免許が取得できるようになったのは歓迎できることだったと思います。
(出典:1980年代後半の某二輪雑誌)
昔は暴走族対策もあって401cc以上は取らせない免許だった と言えます。
これが、1996年の法改正以降は、免許を取りたい人にはキチンと練習してもらった上で免許を取らせるというスタンスに変わったのです。
つまり、アメとムチを使い分けるようになったのです。
警視庁発表の運転免許統計によりますと、1996年(平成8年)までは指定自動車学校を卒業して大型自動二輪免許を取得した人の数はゼロでしたが、1997年には約78%が、1998年は約88%が、1999年以降、現在では90%以上の人が自動車学校を経て大型自動二輪免許を取得しています。
(出典:警視庁 クリック拡大↑) 当時の免許証
最後に、当時の免許証(モノクロコピー)を掲載します。
*自動二輪中型限定免許
限定解除審査に合格すると、免許証の裏に判子でその旨が記されます。
これが限定解除です。
「自ニ車限定解除」 などと記載されていたケースもあったようで、都道府県や年度によって、表記が微妙に異なっていました。
次回の免許証更新から、表側の免許の条件欄から 「中型二輪に限る」 の文字が消えました。
*昭和63年(1988年)に更新した免許証のコピーは撮っていませんでした。
*右下、免許の種類欄の、左から4番目が自動二輪免許。
*右下、免許の種類欄の、右から4番目と3番目の 「大型二」 「普通二」 はそれぞれ 「大型第二種」 「普通第二種」 を表します。二輪免許とは無関係です。 ご覧いただきまして、ありがとうございました。
ライダーの方々、事故を起こさぬよう安全運転でバイクをお楽しみ下さい。
(【その④】終わり)
全4話 【完】
・はじめに
・試験車両
・試験コースの概観
・大型二輪の試験コースの詳細(1986年の平針)
❶外周と急制動 ❷スラローム ❸外周および8の字 ❹波状路 ❺一本橋
❻クランク ❼たこつぼコース ❽鋭角ターンと坂道発進 ❾帰還
・合格のポイント
・当時の練習にまつわる話
・練習場について
お願い:宜しかったら、コメントお願いいたします。お待ちしています(最大240字)。
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・はじめに
・試験車両
・試験コースの概観
・大型二輪の試験コースの詳細 (1986年の平針)
❶外周と急制動 ❷スラローム ❸外周および8の字 ❹波状路 ❺一本橋
❻クランク ❼たこつぼコース ❽鋭角ターンと坂道発進 ❾帰還
・合格のポイント
【その③】
・当時の練習にまつわる話
・練習場について
・技能審査の受検体験記
・練習時間
・当時の受検状況について
・統計データ (1982年)
・限定解除審査を受けた感想
・運転免許試験場と教習所
・当時の免許証 限定解除アーカイブ
【その③】
当時の練習にまつわる話
当時、しっかりと練習してから受検しようとせず、いわゆる “記念受検” だった人が多かったのは事実です。確かに、限定解除をしようにも、練習させてくれる施設があまりなかったのも事実でした。
ただ、見た目にも練習している人とそうでない人との技量の差は明らかでしたし、今もそうでしょうけれど、練習しなければ絶対に受かるはずはありませんでした。
車体バランスを養うにはオフロードバイクがいいと、例え250ccであっても限定解除の目的意識を持ってオフ車に乗っていた人はいました。また、重さに慣れるため当時400cc最重量だったホンダGL400カスタムをわざわざ選んで乗っていた人もいました。
【ウィングGL400カスタム】
なお、法令順守についてはもちろん400ccバイクでも練習可能です。
わたしの場合も方向指示器や車線変更のタイミング等について、普段の走行でも常にイメージトレーニングを続けていました。
単に課題技能がこなせるだけでは全く不十分で、こういった法令順守や安全確認もしっかりできていて初めて取れる免許でした。
(出典:1980年代後半の某バイク雑誌)
練習場について
401cc以上の自動二輪車を対象にした公認の自動車教習所は当時はありませんでしたので、非公認の練習場のお世話になりました。
念のため書きますが、「教習所」 ではなくて「練習場」です。
全国では、教習所と呼ばれていて、かつ、大型二輪の教習をやっている施設はいくつかあり、例えば、東京都内の 「都民…」 「ナカガワ…」 「杉本…」 などは有名でした。しかし、もちろん教習所と称していても技能審査免除にはならず、運転免許試験場でいわゆる “一発試験” を改めて受検しなければならなかったのは言うまでもありません。
名古屋市内では上飯田練習場がありました。矢田川の三階橋の東側の河原にありましたが、グーグルマップを見ても当時の練習場は今はもうなくなっています。
指導員付きで、料金は40分3,800円でした。10回綴りの回数券だと35,000円でした。
*このページの一番下の 「*補 足*」 参照。
わたしはここで10回練習しました。個人指導してもらったのはよかったです。
特にカリキュラム的なものはなく、各人のレベルに合わせて課題等の指導をしてくれました。
ただ、10回目が終わった時点で指導員がわたしを見て 「あぁ、こりゃあ…」 という渋い顔で首を横に振っていたのを今でもハッキリ覚えています。「こんなこっちゃあ受からないぞ」 と言いたげでした。
しかし、その後は後述するグリーンパーク天白さんに専ら通い詰めていました。
ちなみに、中型二輪と小型二輪は40分3,100円でした。
中型や小型については公認の自動車教習所は当時いくらでもありましたが、こういった非公認の練習場で練習し、平針のいわゆる “一発試験” を受けている人は中型や小型でもたまにいました。
*****
この他に、名古屋市天白区土原にグリーンパーク天白というバイク屋さんの裏に狭いながらも二輪のコースが設けられていて、30分1,000円(当時)で練習することができました。8の字、一本橋、波状路(地面に角材4本埋め込んだだけ)と小さなスラローム、長方形の外周(概ね12m×30mぐらい)があるだけの非常に簡素なコースでしたが、試験場から近く、大変便利でした。
ただし、この1,000円の場合は指導員は付きません。自由練習です。
車両はGS750Gが2〜3台とCB750Kが1台ありました。
*グリーンパーク天白の練習場の見取り図(1986年当時)
最初は空き地になっていたものを、お客さんからの提案もあって、試乗用にと舗装したのがキッカケだったそうです。
コース使用料500円+車両使用料500円…という名目で、合格した暁にはコース使用料の500円についてはここのお店でのバイク購入費用に充当できることになっていました(1986年当時)。
また、月2回、10〜17時、定員10名で、このバイク屋さんのご主人が指導員となって1日5,000円の講習会が行われていました。
わたしの場合、5,000円の講習会は都合がつかず、一度も受けることがありませんでしたが、30分1,000円の自由練習に計54回通い詰めて練習しました。
*これについては【その④】でも述べます。
今だから白状しますが、30分といってもわたしが練習していた頃は自己申告制でしたので、実際には40分ぐらい乗っていたこともしばしばありました。
当方が合格後にお店をフラッと訪ねてみた時には、タイマーで時間管理をしていたような…。
当時のお店の場所は、今は某スーパーの駐車場になっていました。現在は移転したようです。
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この他に、豊田市には豊田ライディングスクールが教習を行っていたようですが、当方はそこまで足を運んでないので同校の当時の詳細は不明です。
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次の【その④】では当時の受検記録の記載、当時の免許証や申請書類等を掲載したいと思います。
* 補 足 *
2016年1月1日に上飯田練習場があった場所に行ってみました。当時の練習場は全く跡形もなくなっていました。
川で釣りをしていた年配の人に尋ねたところ、最初 「もうちょっと下流に行くとあいち自動車学校や庄内橋自動車学校がありますから、そこのことじゃないですか?」 と言われていましたが、わたしが古い地図を見せると、「この場所で間違いないですね。そういえばこの辺りに小さな練習場があったかな」 と。
30年以上前から住んでいらっしゃる方だそうですが、あまり記憶に残ってない様子でした。
当時、名鉄線は橋が架かっていて、その上を走っていましたが、現在では地下を通っているようです。
上飯田練習場は自動二輪車だけではなく、普通自動車やトラックやバス等の大型自動車、大型特殊自動車(フォークリフト)の練習もできる非公認の練習施設でした。
(【その③】は終わり 【その④】に続く)
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