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あのね、Mちゃん。。。
うつ病の回復期になって気づきがあり、以後心がけていたことがあります。
それは、日記には、明るい気持ちを書きとめようということです。
日記に限らず、単なる閑つぶしで文章を書くにしても、せっかくですから、少しでも希望の栄養にできたらいいなと思います。
うつ病の時は、苦しい気持ちに支配されがちで、本当に辛い時間をたくさん過ごします。
ただ、お薬の副作用もあって五感が鈍ってはいるものの、好物を味わえば一瞬なりとも幸せな気持ちになれ、湯船に身をあずけた時の心地よさなどなど、気をつけていれば案外、苦しさから解放され、心地よく過ごしている時間は日常に転がっているものです。
子どもの頃、漢字は書いて覚たように、書くという行為はエネルギーを要する分、有効な擦り込みになります。 うつ病の時に嵌まりがちな他人を恨む気持ち、不快感も、書きとめることで自身に擦り込まれてしまい、更なる刃を自分に向けることになります。
世の中は思いどおりにならないことばかり、変えようのない嫌な他人に囚われ憎悪するのは、気力の無駄遣いです。
ただ、考えまいとしても、”うつ”の時は、ついつい嫌なことを考えてしまいす。
だから、イヤなことに囚われないために、つとめて、幸せな気持ちを上書きするのです♪
何のために書くのか、吐き出してスッキリできればそれも良いでしょう。
でも、身近にある切実な問題はなかなかスッキリとはいかないものです。
少しでもそんな苦しみから逃れたいのであれば、つとめて、明るい気持ちを書きとめると良いと思います。
書きとめて、幸福な時間を反芻することで、再び幸せな気持ちになれますし、読み返してまた幸せな気持ちになることができます。
幸せな気持ちが何倍にもなるのはとても素敵なことと思います♪
昼食の焙じ茶が美味しかった。
おやつのアイスクリームが美味しかった。
当時、食欲はなかったのに、生来の食いしん坊、食べ物ネタはよく書いていました(笑)
また、苦手だった隣の病室の人におはようが言えたとか、晩ご飯のおかずが完食できたとか、本当にささやかなことばかり書いていたように思います。
少なくとも、”明るい気持ちを書きとめる”と心に決めるだけで、書くことを、健全な楽しみにすることはできます。
今、私の手もとに、美しい夏の絵はがきがたくさんあります♪
何も用事はありませんが、いっぱいおたより書きます。
届いてくれたら、それだけで嬉しいです♪
明日が少しでも、明るい日になりますように。
桜桃と桃が旬を迎えていますネ♪
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大好きなMちゃんへ |
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最近の野党の主張を聞いていると、丸腰で罪も無い人々が一方的に無惨に殺されることは戦争とは考えていないように思える。 |
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生きていれば、それは色々なことがあります
![]() ![]() ![]() 先月から、周辺にはちょっと大変なことが満載です。
季節柄の体調不良がしばらく重なったり、ほっとけない性分もあり、なかなか歯ごたえのある毎日を過ごしております。 それでも、スポクラに週3回は通うことができ、筋トレ、有酸素運動にプールで、頭を空っぽにできるせいか、案外へっちゃらです。 ・・・へ?
![]() いつも空っぽ?
ん、ん〜んそうかもぉ・・・
![]() いずれにせよ、運動後の安堵感や爽快感は、私をメンタル面の落ち込みから、確実に救ってくれます
![]() また、”何があっても取りあえず、3食ちゃんと食べる”、ささやかな掟も、守れています。 なので、客観的に見れば、これでも、おしなべて健康で穏やかな日々を過ごしていると言えるのではないでしょうか ![]() スポクラに行かない日、何も出来そうに無く、何も食べられそうに無い時も、取りあえず”しゅぅ〜、しょきしょき”とお米を研ぐか、鰹節を削ります
![]() 鰹節は、それはそれは小気味良い音をたてますから、耳を澄ませて、無心で削ります。 台所に芳しい本枯れ節の香りが満ちたら、深呼吸をします ![]() 冷蔵庫から昆布を浸したお水が入った瓶を取り出して、出汁を取り、サラダ玉ねぎはさくさくスライス。 小松菜を湯がき、若布を戻し、お魚が焼ける間に大根をおろします。 南瓜も煮ます。 今時分なら、平兵衛酢(※)、トマトを切って、浅葱も刻みます。 鰹節を削るとよくしたもので、考えるよりも、身体が案外リズミカルに動いてくれて、食卓は整っていくものです。 出来上がった頃には、不思議とお腹も空いています
![]() (昆布を入れた水が沸騰する直前にタイミングを合わせ鰹節を削ると良いらしいですが、主婦の手料理は”こだわり”よりも、”取りかかり”そして仕上げることが第一です♪) たとえ何があっても、生命に感謝です。
瑞々しい野菜(タマネギ、ピーマンも。。。)などの食材は、色彩や感触、迸る柑橘の香気などなど、五感で私を励ましてくれます。
一般的に女の方が逞しいのはきっと、台所で、たくさんの気力をいただくからだと思います
![]() 仕事や家事に追われ、退屈する間も無いのは、本当は幸せなことかも知れません。
退屈しのぎに、ネットでタガの外れたイタズラしてみたり、家でゴキブリ扱いされるような男性が、もしも、おられたとしたら、本当にお気の毒に思います
余計なお世話でしょうが、限りある命、悔いなく生きるにはと、ちょっと、考えてみられると良いのかも知れませんネ
※平兵衛酢(ヘベス) 宮崎県特産の柑橘類です。 大分のカボスより皮が薄くジューシー、香りはとても爽やかです。 娘のお友達が以前送ってくれて以来、大ファンになりました。 画像は、我が家のベランダに咲く小ぶりの紫陽花です。 購入して3,4年になりますが、今年初めて、
我が家で咲いてくれました♪
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大切な友人の一人を亡くして、3週間が過ぎてしまいました。
こうあるべきという、心の整理のしかたはわかったつもりです。
また、骨葬への参列を節目にしようと、心に決めたつもりでもおりましたが、何かの拍子にこぼれる涙はどうしようもありません。 これから、薄紙を一枚一枚はがすように、少しずつ、彼女がいないことに、慣れていかねばなりません。
悼みが懐かしさと折り合いをつけてくれるのは、まだまだ先のようです。 私の思い、記事を読まれた方への要望は、前記事等に綴ったつもりでおりましたが、伝えることの難しさ、自身の力不足を今痛感しております。
この数週間考えていたことですが、日曜日の朝はいよいよ、しばらくの間ここを閉鎖、あるいはゲストブックだけでも閉じようかと思ったところです。 しかし、心ある方のメッセージがここで頂けたこと、古くからのブロ友の前記事への”ナイス”、また、骨葬でご一緒させていただいた故人のご友人からメッセージは、本当にありがたいと感じております。
ご縁に感謝、やはり閉じる訳にはまいりません。
ただ、さんざん悩んだ末、「彼女を失った悲しみと折り合うことがリアルの友人と同様に、難しいことと思います。」と仰ってくださるご友人の思いを、ご理解いただく必要もあり、敢えて書かせていただきます。
今回、ブログ上でのお別れのあり方、難しさについて、つくづく考えさせられました。
普通(リアルでは)、親しい人を亡くした時、お通夜や法事の語らいでは、ご縁あって集まった者達が、故人を偲び哀しみを共有しながら、静かにお別れをいたします。 初めてお会いする方であっても、顔が見える安心感があるせいか、穏やかに言葉を交わすことができ、静謐な空気の中で、嘆きや苦しさは、ただ静かな深い哀しみへと変わっていきます。
たくさんの溢れる思いがあったとしても、それを皆、つつましく自分自身の心の中に、収まる器を探すのです。
お通夜や法事の席は、宗教が介在することで秩序が生まれるのでしょうか、大抵は和やかな語らいの時間になります。
哀しさや苦しみもお互い個々のものとして、お辛かったですねと、お声かけはしても、少なくとも、激情を自ら吐き出して他人にぶつけるようなことは誰も致しません。
この哀しみの共有の時間は、お経の意味もわからない痴性派あなろぐなど、信心の無い者にも一様にやさしいものです。
きっと、交わす言葉は、消えていくからこそ、温かく、やさしいのだとも思います。
しかし、ブログとなると、顔も見えず人となりを知るのも難しいことが、穏やかな哀しみの共有に高いハードルを与えていると、少なくとも私は感じております。
また、家族やリアル友等、周囲の理解を得づらいからこそ、余計に哀しみの共有への要求は強まるものなのかもしれません。
(私の場合、彼女とは娘も面識があり、ブログ外でもお付き合いを温めてきたことで家族も理解があり、遠方での骨葬に夫が背中を押して送り出してくれたことは幸いでした。)
ただ、状況はどうであれ、哀しみは自分自身で乗り越える以外にないと、私は思っております。
また、通常(リアルで)は、儀式を通し、時差の修正が行われ、経過する時間を共有出来ます。
しかし、時が止まるブログには来訪者同士が共有する”今”は無いのです。
やっと心の整理を始めた者にぶつけられる見知らぬ人のフレッシュな激情は、時に暴力としか言いようがありません。
悪意が無いだけに始末が悪いです。
もしも”匿名”が、大人の日本人としての冷静さ、良識や良心を剥ぎ取っているとしたら、それは大変残念なことです。
特に、彼女の生死が掴めなかった時に書き込まれたメッセージ、故人の尊厳を傷つける勝手な詮索に胸をえぐられる者も現にいるのです。
それが当時、本当は励ましの裏返しの言葉で、悪意は無かったとしてもです。
今、書く人の自由、匿名性はブログの利点であるものの、大きな欠点でもあると痛感します。
考えは様々でしょうし、消してくれるとよいのにと思うものの、お願いする権利が私にはありません。
ただ、ブログ上では、新聞や書籍と違い、無言で削除が出来るのです。
潔く消すことも、書くことと等しく、言論の自由の一部であると考えるところです。
少なくとも、品格あるブロガーだった故人のブロ友として、書き散らして良いことといけない”こと”、”場所”はわきまえたいものです。
今、亡くなった友人とブログ上のご縁があった方々に、思い出して欲しいことがあります。 彼女は、亡くなる3年以上も前に、こんな記事を書いていました。
2012/2/19(日) 午後 6:50にアップされた記事の一部を引用させてもらいます。
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誰が自殺しようと、うろたえるのは、本当は、まちがっているのだと。わたくしはそう思います。
自殺を異常なことと考え、自殺にいちいち特段の理由を求めるのは、残された人間の、「愛」や「思いやり」の名を語る、実は極めて自己中心的なわがままに過ぎない。そう思うのです。 「狂言」自殺や、自殺「未遂」をせず、きっちり確実に自殺を成功させるような人間は、周囲の人間に、自分の自殺の理由を理解してほしいとか自殺を止めてほしいとか、そんな女々しいことは考えないし考えたとしてもそんなことは潔しとはしないはずです。
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未だ周囲に飛び交う、詮索や同情が、いかに故人の意思に反し、彼女の尊厳を傷つけるものであるか、彼女の”ブロ友”を名乗るのであれば、あらためて考えてみるべきと、私自身の反省も込め、今強く強く思います。
お心当たりの方がおられましたら、ご配慮をいただけると大変ありがたいです。
ブルースター
花言葉は
”幸福な愛、信じ合う心”だそうです。
(メモ帳さまのブログより)
お口直し♪
相も変わらず
スパイシーなオバチャンで
ごめんネ(^_-)-☆
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