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博物館訪問家・ひでのブログ
最近はなにもやる気が起きん…

さて。本講座もいよいよ佳境に入ってきた。
さっそく図面をご覧いただこう。

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前稿の問題7に酷似した図面である。
違うのは全体に一段下にずれているところ。

すなわち、34竜の王手に対し24合とされ、これを同歩と取った時、前回と違って成ることができないのだ。すなわち、両王手にはならない。

ではどうなるかというと、46角による王手が発生し、これに対し合駒が効かない(すなわち「透かし詰め」となる)ために詰み上がるのである。

これは果たして1手詰めといえるのか、それとも3手詰め駒余りの不完全作なのか? という問題だ。

これに対しては、24合が有効合と言えるのかどうかという判断にかかっている。

ずばり言おう。
24合は有効合と考える。
何故なら、34の竜に対する横からの王手を、この合駒で防ぐことができたからだ。
王手を防ぐ、という効果があったので「有効合」と判断したのである。

前回の問題7では、横からの王手を防げなかったので「無効合」と判断したのだ。

では、これは3手詰め駒余りの不完全作なのか?

いや、私は、これも1手詰めの詰め上がり図と考えていいと思う。
すなわち、24合は無駄合だと。

おかしいーー皆さんはそう思うだろう。
さっき筆者は「有効合」と判断したではないかーーと。

だが、ここまでの論考を振り返っても、自分は一度も「有効合は無駄合ではない」とは、一言も言っていないのだ。

字義を見てみよう。
有効とは「効果があること」である。
その反対は「効果がない」、すなわち「無効」でなければならない。

つまり、自分の考えを図にすると、以下のようになる。

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無駄合の反対語は「非無駄合」である。
無効合は無駄合に完全に含まれるが、有効合であっても、無駄合とみなされる場合がある、というものだ。

そもそも先人はなぜ「無駄」という言葉を使ったのか? 
無効合と定義しなかったのか。
そこに自分は言葉の上でのこだわりをもっている。

上の図でいえば、確かに横からの王手を防ぐことができた。
しかし、合駒をしたおかげで、新たに斜めの角度の角による王手を発生させてしまった。
その結果、この王手を防ぐことができず、実質的に手数を伸ばすこともできず、すぐ詰まされてしまった。
ゆえにこの、王手を防いだという効果と、新たな王手を出現させたという事実は、効果という点から見ると相殺されるべきもので、俯瞰的に見ると「無駄」な行為であった、と考えられるのだ。


前回と同様に火事で例えてみると、
・事務所で火事が起きた。(34竜の王手)
・手元にはバケツの水しかない。(王手を防ぐには合駒を打つしかない)
・バケツの水をかけた。(24へ合駒をした)
・火が消えた。(横からの王手を解除できた!)
・しかし、やはり水をかけたことでパソコンなどの電子機器がお釈迦になりデータが消失した。(47角による斜めの筋の王手が新たに発生した)
・被害が防げなかった。(玉が詰んだ)


つまり、火を消すという観点から見ると効果のある合駒だったが、被害を被る(玉が詰む)という観点から見ると、実質的に手数を伸ばすこともできず、無駄であった、という見方まのだ。
ミクロで見るか、マクロで捉えるかという違いなのである。


類似の図を挙げる。

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こちらは初手35角。これに対しては、26合と受ける1手。同角は同とと応接され全く詰まないが、26同桂と跳ねると、19の香による王手で詰んでしまう(透かし詰め)。
よって26の合駒は、角による王手を防ぐという観点からは有効だけれども、手数を実質的に伸ばすことができないゆえに無駄合であり、この図は1手詰作品と言えるーーというのが私の主張である。

では、もっと別のケースを見ていただこう。

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ここで25香と打った時、24への合駒が無駄合かどうかという問題だ。(ここではそのあと32玉と逃げれるので、透かし詰めではない)

要は、飛車を4筋から2筋に移動させた意味があるのか否か、である。

24同飛と取った後、32玉と落ちるが、42歩(桂)成で詰む。
仮に合駒を討たずに32玉と落ちても、まったく同一手順で詰む。
したがって、飛車を2筋に移動させた効果は、その後の詰手順では全く見られない。
だからこの場合の24合は、まったくの無効合だ、と言うのがお分かりいただけるだろう。


では、次の図ではどうか?

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今度は32玉と逃げた時の詰手順が違う。

すなわち、24へ合駒をしなければ42と(または飛成)で詰むが、24へ合駒をして同飛と取った場合は、上記の手順では詰まず、代わりに21飛成と突っ込んでで詰むのだ。

手数は実質的に伸びてはいないが、飛車を4筋から2筋へ転換させたことにより、前の手順では詰まなくなっている。
つまり、「詰手順を変更させた」という効果があったという点で、有効合と判断できるのだ。

しかし、竜という強力な駒を近づけたことにより、21飛成という別の手順が発生した。結果的に手数も(実質的に)伸びてはおらず、合駒も持駒として詰方に余分に渡すだけで、無駄な抵抗とみなすことができる。
前者が「功」であり、後者は「罪」。この二つは相殺されてしかるべき。すなわち、「有効合だけれども無駄合」という判断だ。


いや、そんな七面倒くさい判断をせずとも、単に手数が実質的に伸びるかいなかで有効か無効か判断すればいいのではないか、と主張する向きがあるかもしれない。

しかし自分は、そうした表層的・表面的な事象から物事を判断するのは危険だと思っている。
やはり、手の意味から有効か無効か、無駄合かを判断しないと、見誤るケースがあると思っている。

例えるなら、「平和憲法があったせいで、日本は戦争をしなかった」という主張。
「平和憲法があった」と「戦争をしなかった」の事象の間に、どういう因果関係があるのか、そこのところを明確にしなければいけない。単に、「ほとんどのよその国は、この70年間、何らかの戦争をしている。日本との違いは平和憲法があるかないか、だ」というだけでは、事象の因果関係の説明になっていないのだ。

だから、単に手数が実質的に伸びたか、合駒が取られるだけで、使われずに持ち駒として余るか、という表面的な形だけで、無駄合かいなかを判断するのは危険だと思う。
それこそ、素人では判断が難しいから、簡易的に処理しましょうという、思考停止のロジックでしかない。


最後に、まったく別のケースを挙げて読者への宿題としよう。
この詰将棋は何手詰めか? また、完全作と言えるのか?

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[解説]

初手は39角と打つ。これに対して王手を防ぐには48へ合駒(歩)を打つよりないが、同飛と取って79の角による王手となる。これに対してはやはり合駒を打つしかないが、それを同飛と取ると、最初に1手目に角を打ったのと同じ局面に戻ってしまう。(ただし詰め方の持ち駒は二枚歩が増えている。
が無限にあればこの図は詰まないが、当然歩の数は有限(18枚しかない)なので、いずれ歩が切れた時点で詰んでしまう。(他の駒だと、取った駒を58に打って詰んでしまう)





無駄合については、まだまだ触れたいケースがいくつかあるのだが、とりあえず1回ここで筆をおくことにする。

あまりこういうことに首を突っ込むと幸せにならないことが多い。

皆さんはどう思われるだろうか?

この記事に


香川さんが九代目市川中車として出演した七月歌舞伎座の芝居。
ここでの評判をツイッターから集めてみました。

「中車 歌舞伎」で検索したものです。(中車に関するとこだけ抜粋しています)

私は歌舞伎についてはど素人なので評価も頓珍漢だが、目の肥えたファンの人たちの感想を見てほしい。



[ツイッター 中車の評判]

・歌舞伎座初日昼。中車さん加賀鳶の質見世が決まっただけに、最初の名乗りの早口が惜しい。

・久しぶりの歌舞伎でした〜海老蔵はもちろん格好いいのだけど、市川中車の声の通りの良さ!キンチョールといい小野田一課長といい振り幅が大きくてすごい。

・加賀鳶。勢揃いはなかなか楽しめた。中車さんの松頭もセリフはよかったんじゃないかな。たまに軽いけど。肝はすわってきたように思う。肚がすわるともっと歌舞伎の香りがするんだろうと思う。その点、海老蔵さんの梅頭は肚がすわってる。

・香川照之が歌舞伎の演技上手くなってる。(まだ中車と呼べない)でも化粧はイマイチだったな。と思っていたら。銀座駅までの道すがら、同じことを言ってる人がいて、ワロタ。

・七月大歌舞伎昼の部面白かった。やっぱり連獅子の迫力は素晴らしかった。中車さんのお芝居が改めて好きだと実感しました。

・勸玄くんフィーバー支える 歌舞伎役者・香川照之の安定感(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース  これはかなり当たっている。今月の歌舞伎座、中車の存在は大きい。あとは、「顔」かな。

中車さんの躍進ぶりって、普通じゃないです。やっぱり澤瀉屋の天才の系譜。1月の右團次襲名の時に半端なく溶け込んでる歌舞伎役者でした。今月も安定の舞台。

・香川照之さんこと中車さんの歌舞伎俳優としての進化が、とても楽しかったです。スクリーンに負けない、舞台での存在感と迫力を感じました。海老蔵さんとともに、中車さん、応援してます♪ 素敵でした☆

・昨日、歌舞伎座夜の部観たんだけれどね、中車さんが立廻りの後に大きくバーッタリ!って決まるところが綺麗にハマっていて感動。あぁ、また中車さんはお稽古を重ね歌舞伎をどんどん吸収しているんだなぁって。来月、実は私が一番楽しみにしているのは『刺青奇偶』なんだよね。期待せずにはいられない。

・初生中車だったけど、かっこよかった。歌舞伎役者っていくつからでもなれるんだなって思ってしまう。たぶん中車だからだよな。

・それからね、もうひとつ凄いなぁと思ったのは中車さん。歌舞伎のセリフが完璧になっていた。間といい、流れといい。短期間でここまで来るとは…。この人、本当に何者ってカンジでした 努力していらっしゃるのでしょうねぇ

・七月大歌舞伎昼の部観てきた。「加賀鳶」は中車さんの芝居が進化していて目を見張った。鳶の親分かっこよかった。

・あと市川中車の顔ね 顔強いwwwあんなに濃い歌舞伎メイクしてるのにすぐわかるwwww

・市川中車(香川照之ね)は初めて見たが、あの方も良かった。歌舞伎にしてもドラマにしても自然に見れるし、受け入れられる。いやぁ、見れて良かった。

中車さんがよかったこともきちんと書かなくては。襲名で何度も何度も何度も観たから記憶は鮮明、感想も確定していたこの5年。凄いよ。襲名前からの努力だろうから2000日近く。頭が下がる。ようやく歌舞伎役者のスタート地点に立ったと言うかも知れないが、流した血と涙と汗を垣間見た気さえ。

中車さん、歌舞伎役者デビューしてからもテレビのお仕事してたりして、両立するの大変だろなって思ってたけど…だんだん慣れてきた。初めの頃は見てる方も不安だったけど、だんだん違和感がなくなってきた気がする。舞台経験の積み重ねだろうなぁ。

・夫と姑と歌舞伎を観てきました 花道沿いの良い席でした。海老蔵さんよりも香川照之さんに釘付けだったわ 中車さま素敵でした〜(๑♡∀♡๑)

・七月大歌舞伎 夜の部(歌舞伎座) 舞台効果はよくて、ワクワクさせてもらった。あと、役者がいいです。中車の進歩には驚いた。しばらく観ていないうちに歌舞伎役者になっていた。時代もの、観たいですね。

・みっくんと新悟ちゃんがカップル役でニマニマ。そしてこたちゃんと中車さんがすごくよかった!中車さんは台詞も動きもすっかり歌舞伎になってるのがすごい。コタちゃんもいまや安心して観てられる役者さんですね。

・歌舞伎座 筋書で中車が、「歌舞伎で付けた筋肉を落とさないよう」と語る。この人は五年の間に着実に歌舞伎の身体を身につけてきている。それは舞台の端々から感じとれるものだ。

・香川照之さんが歌舞伎に出ている、という感じだったけれど、市川中車もすっかり馴染みましたね。地方公演も含めて結構歌舞伎も出ているのに、一体どんなスケジュールなんだろう?

・あと中車さん(香川照之さん)はやっぱり上手い。もう歌舞伎役者だよ。

中車さん、特に目立つわけではなく地味だけど、歌舞伎だ。加賀鳶なんて大変なお役が来るものだなと思ったけど。数年でああいうのをやるのはプレッシャーありそうだけど、やっぱりダメだったら来ないものだろうし。すごいね。

中車も順調に歌舞伎になじんでいると思うし、猿翁にそっくりのところがある。澤瀉屋が育成機関であることをしみじみ思う。

・七月大歌舞伎@夜の部『駄右衛門花御所異聞』。巳之助、新悟、児太郎の若手大健闘。中車演じる逸当の忠臣ぶりとラストの傀儡ぶりが面白い。

・歌舞伎座夜の部。大詰の中車さんに大興奮。殺陣に魅了された。スーパー歌舞伎並みに早い殺陣。キレキレで水を得た魚のよう。中車さんの悪の華に今日一番に心踊りました。一座を引っ張る姿に感動。

・歌舞伎座 皆様素晴らしかったが、やはり海老蔵さん、渾身の演技に泣き!ではなく大笑いさせて頂きました。中車さん、歌舞伎演技の良し悪しはわからないけれど立派だった!目つき、口跡キレがある。

・七月大歌舞伎千穐楽。観にこれて本当によかった!中車さんすっかり歌舞伎役者だった。ツラネの七五調もいいし、海老蔵と中車の丁々発止は海老蔵にひけをとらない安定感。そこにいることで演目の安心感につながる役者さんになってきたかな。私にとって右團次さん、笑三郎さん、猿弥さんがそうなんだけど

・歌舞伎役者らしくなった中車さん。人一倍努力しているのだと思う 女形として成長している中村児太郎君などカンカンの宙乗りだけでなく何かと感慨深かった昨日の歌舞伎座

・2〜3年前辺りから、中車さんすごい、上手くなった、違和感ない!てな感想もってたけど、今回観て、あ、歌舞伎役者だ、って思った。歌舞伎の舞台に出てる安定感のある歌舞伎役者。歌舞伎の匂いがしてきたというか、歌舞伎界の中にちゃんと存在している市川中車という役者。違和感ないどころじゃない。




見た人がみんな誉めてますね。
すっかり歌舞伎役者として違和感がなくなった。ばかりでなく、存在感が増してきた、というところでしょうか。

八月も引き続き歌舞伎座です。
「中車強化月間」はまだまだ続きます。

しかも今回は、来年1月から始まるドラマ「99.9」の撮影が早くも始まるとのこと。
中車さんは三部には出ていないので、一部二部が終わったら撮影に駆けつける、ということなのでしょう。相変わらず忙しい人です。

過日(昼の部の休演日)は、映画「新参者」の人形町でのロケに出演していたという目撃情報がありましたし、12日はいよいよ「昆虫すごいぜ!」(タガメ回)の放送があります。

相変わらず、目が離せません。




この記事に


一体だれが読んでるのか? そもそも需要があるのかさっぱり分からない詰将棋講座の時間がやってきました。

今回は、前回予告した「間接両王手」についてです。

さて、間接両王手とは何でしょうか?

これは詰将棋用語ですので、指し将棋に詳しい人に聞いても答えられないと思います。

さっそく図を見ていただきましょう。

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上図(問題7)をご覧ください。
作意は、33飛成まで1手詰です。

この時、23合が無駄合か否か、という判断です。
仮にこれを同竜と王手駒で取りますと、同香と取り返され、まったく詰みません。

しかし、23合を同歩成と取ると、23にいると金と、46にいる角とで同時に王手がかかります。この、別の駒により同時に王手がかかることを両王手と呼びます。

この局面ではこの両王手を解除する術がないので詰みです。

そしてこの、合駒を非王手駒で取った時、両王手で詰む形を、詰将棋の世界では「間接両王手」と呼んでいるのです。


類似の図をもう一つ挙げましょう。

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上の図の作意は、16飛まで1手詰です。
2手目24に何の合駒をしても、同銀と取って、銀と飛による両王手がかかり詰みになります。

さて。
間接両王手の例をご紹介しましたが、これは二つとも、web上にある作品を拝借しました。

問題7は、詰将棋作家である冬眠蛙さんのブログからお借りしたものに若干手を加えています。

そこにはこんなことが書かれています。

33飛成としたとき、23に合駒を打つと、同歩成で取った瞬間に詰みます。間接両王手と呼ばれる形です。
で、これも同様に完全な無駄合なのか、というと違っています。過去に一度だけ、この形で詰上がりだ、と主張する作品をパラで見たことがあるのですが、あまり解答者からも受け入れられなかったようで、以降この詰上がりは登場していません。つまり、この形は、
解答的視点:合駒をした場合も正解とみなされる。
作品的視点:作品として気になるものであり、解説上も間違いなく触れられる。
ケースになっているようです。


また、問題8は、最近ヤフー知恵袋に投稿された質問に添付してあったものです。(「この詰将棋は一手詰でしょうか?」より)
これに対し、いろいろな人が解答を寄せていますが、その中でベストアンサーに選ばれた回答が面白いので、ちょっと長いですが引用します。

詰将棋のルールとしては、いろいろ議論はあると思いますが、 1963年3月に全日本詰将棋連盟が発表した詰将棋規約(通称、綿貫規約)以外に公式ルールと呼べそうなものが見当たりません。
温故知新様のサイトで綿貫規約が見れますので御参照になると良いと思います。
http://onkotisin.org/tume/tumeruru/tumeruru.htm

綿貫規約第10条② 応手変化系の許容手順の(ロ)「 作意外最長順 応手最長順に手余りの存する場合はこれを准詰とし、作意とする次位長数順で手余りのないものを本詰とする。また収束時に合駒をすれば二手延び一駒余りとなる場合はこの手順を准詰とし、合駒をしない手順を本詰とする。」とあります。

准詰、本詰とか出てくる古いルールを取上げるのもなんですが、これ以外には二手変長を認める根拠が見当たらないのもまた事実です。

このルールを採用するならば、「王手がかかっている駒で合駒を取らなくてはならない」とは書かれていませんから、本作で2四への合駒は無駄合ということになります。

どうでしょう?
「綿貫規約」なんてのが出てきました。
しかもこれが作られたのが1963年というのですから、もう54年も前、ということになります。
しかも驚いたことに、これ以降詰将棋の公式ルールが制定されたことがないと書かれているのです。
さらに、内容を見ても言葉が難解すぎて、はっきり言って「前世紀の遺物」と化しています。少なくとも、初心者が見て分かるものでは決してない。これでは普及のしようがないでしょう。

さらに調べると1990年代後半に、当時、規約委員会で委員長をつとめられていた川崎弘さんによる「川崎私案」と呼ぶべきものがまとめられていたが、これも今となってはネット上で見ることもできません。

つまり、詰将棋のルールについては、明文化しようという努力が随時行われてきたが、そのたびにとん挫し、明確なルールができないまま現在に至っているのです。


さらにここで、ツイッター上で「間接両王手」で検索した結果を2,3挙げてみましょう。

・K氏
間接両王手の詰め上がり。一時期流行ったらしい(不利感があるので)けど、やはり無理があるということで、現在はこの詰め上がりで入選はしないはず。だって、最終手で詰んでいませんから(笑)。応手をすると駒が余るから、応手はしないようにという忖度の論理、つまり変長の悪用です。

・Y氏
昭和50年代半ば、藤井国夫さんが[間接両王手の詰上がり]を詰パラに発表し、しばらく流行したが、大して面白くもない((笑)ので、すぐに廃った。
小林看空作 詰将棋パラダイス1976年1月号に掲載された5手詰。
掲載当時、実に19人の無解者を出し、上半期の半期賞も受賞。「三百人一局集」にも掲載されているとか。

難しいので作意を解説します。

56馬、76玉、78馬、46歩、98角まで5手詰。

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初手から難しいし、三手目の駒取りも意外性があるが、何といっても圧巻は最終手の98角でしょう。

何とこれで「詰んでいる」というのです。

すなわち、87への合駒は同馬と取り、79にいる香との両王手になり詰み上がる。つまり、87への合駒は無駄合だというのが作者の主張です。

自分はもちろんこの頃は詰将棋などやってないので、その頃の経過は全く知りません。しかし、本作は「難解な5手詰」としてよく紹介されているので非常に有名。恐らくかの藤井聡太四段も当然知っているでしょう。

そして本作は半期賞まで受賞しています。
つまりこの頃は、間接両王手の作品は完全作として認められていた筈なのです。

では、いったいいつからK氏やY氏が言うように、不完全扱いされてしまったのか……。


私はこれこそ逆に「忖度」の理論ではないかと思う。

つまり、昭和50年代に現れた間接両王手は、当時「詰み」ということで一応の決着を見た。

しかし、その頃の議論が忘れ去られ風化すると(こうした議論は専門誌のバックナンバーを見ることでしか当時は分からない)、何といっても規約で「何が無駄合か」を全く明文化されなかったために、あとから詰将棋の世界に参加し始めた作家や解答者たちが、無駄合について混乱するようになる。

そうすると、作品を選ぶ選者たちは、自然と「混乱しない方」「問題を起こさない方」に舵を切りだす。

つまり、無駄合に絡むような、いたずらに規約に抵触するような作品は、たとえ作っても採用されなくなる。
すると、作家たちは、当然ながらそうした作品を作らなくなる。あるいは、変化(作意より短い劣位順)の中に埋没させることで、問題作としないようにする。

結果としてこの流れにより、あたかも「間接両王手」→「問題作」→「不完全」という流れができてしまった。

つまり、先にルールありきでなく、ルールがないからゆえに混乱を避けようと不採用とする事実があり、それが結果として、あたかも「作品の欠陥」とみなされるように転化してしまった、と私は考えています。

そうでなければ、例えば「間接両王手は不完全である」という内容の論文が発表され、それに対して皆が納得した、という事実がなければならないが、ついぞそういう話は聞かない。(私が聞かないだけかもしれないが)

かつてはこうした真面目な研究や論文が「詰将棋パラダイス」に掲載されていたそうですが、私が同誌を購読し始めた1990年代はすでにそうした傾向は見られず、もっぱら森田正司さん発行の「詰棋めいと」などがその役割を担っていた。
が、森田氏の死去によりそうした論文が公に発表される機会はなくなり、各自がネット上のブログなどで意見を述べるにとどまるようになってしまった。


まあ、ここで御託を並べても始まらないので、私の見解をここで述べてみたい。

私は、「間接両王手の詰み上がりは、詰み上がりと認めるべきだし、その際の合駒は無駄合である」と考えている。

問題7に遡ろう。
23合が無効合である理由を以下に説明する。

23合は33竜の王手を防ぐためのものである。
しかし合駒を非王手駒である24の歩で取られることで、23歩成という王手を呼び込むことになる。
この場合、33竜による横方向への王手と、23とによる横方向の王手は、ベクトルが全く同じの、つまり同一種類の王手だとみなすことができる。
しかし23合は結果的にこの王手を防ぐことができていない。
したがって、効果はなかった→有効ではない→無効合である、とみなすことができる。

一方で、23合は同歩成と取られることで、46角による斜めの筋の王手を新たに発生させた。
これによって詰みの種類に変化があった、という主張は認められる。

しかし、詰みの種類を新たに発生させたということは、受け方から考えると、「より詰みやすくさせた」という意味で、マイナスの効果しかないのだ。つまり、「駄目な種類の受け」ということになる。

変化があったから有効だ、とは言えない。一般に「マイナスの効果」は「効果なし」とみなされるのが普通だ。

受け方の効果としては(詰将棋だから結局詰んでしまうのは当然だが)、手数を伸ばした場合に「効果があった」と認められるべきだ。
が、「合駒を打って、取る」という一連の過程では、2手手数が伸びるのは当然だから、これをもって手数が伸びたとは実質的に言えない。(それが無駄合の主張の本質でもある。)

つまり、
・実質的に手数を伸ばすこともできず、
・既存の王手を防ぐこともできず、
・あまつさえ攻め方に、余分な持ち駒を渡してしまう

こんな合駒を有効合と認めることはできない。


分かりやすく、一般的な事象に例えてみよう。

・事務所で火事が起きた。(33竜の王手)
・手元にはバケツと水しかない。(王手を防ぐには合駒を打つしかない)
・バケツの水をかけた。(23へ合駒をした)
・しかし火の勢いが強すぎてバケツの水では消えない。(23歩成による横からの王手を解除できない)
・水をかけたことでパソコンなどの電子機器がお釈迦になりデータが消失した。(46角による斜めの筋の王手が新たに発生した)
・被害が防げなかった。(玉が詰んだ)

この場合「バケツで水をかけた」は有効な方法ではなかった、と判断できる。バケツでは消せないような火災が起きた時点で「終わっている」(詰み上がり)、というのが論理的な判断というものだ。
心情的に火を見れば水をかけたくなる気持ちも分かるが、客観的・俯瞰的に見れば、それこそ「無駄な行為(合駒)」なのである。



以上、「間接両王手」に関する私の考えをまとめてみた。

いずれにしろ、これは決め事の問題であり、肝心の決め事(「ルール」)が明確になっていないことが諸悪の根源なのだ。

「悪法は無法にまさる」

この言葉をもって今回は締めたいと思う。





※ いよいよ次回は「そもそも無駄合って何なのか?」です。
「無駄合」という言葉の本質に迫ります。


この記事に


さて。
前回の記事では、代表的かつ基本的な無駄合の例を図(問題1〜4)で示した。

今回はグレーゾーン。
これって無駄合なの? 有効合なんじゃないの? という奴を順次取り上げていきたい。


まずはこれ。

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34の飛車を33に成ったのが右図。これで1手詰である。

23合は、同竜と取ると詰まないが、同桂成と取ると、これを玉方は同銀と取ることができない。なぜなら、16に香がいるので、銀が身動きとれないからだ。(こういう状態をチェスの用語で「ピン」と言う)


【無駄合における二大原則】
・「玉方の間違った指し手(ここでは23同竜)を期待して有効合と主張することはできない」
・「合駒を王手駒以外の駒で取っても良い」

上記の二点は、前の稿で解説した通り。

えっ? おかしいんじゃないの? 33飛成、23合、同桂成まで3手駒余りだろう」ーーこう考える人もいるかもしれません。

では次の図をご覧ください。(いきなり「ですます調」に変わるけど気にしないよーに)

イメージ 2


左図(5−1)は、15の桂を35に置き換えただけです。

実はこの図と、問題5の右図は、本質的に何も変わりません。
違うのは、この図では14の銀が最初からピンされているところ。

問題5の方は、合駒を取った時にピンされますが、この二つは全く同質です。それは合駒を取った時に、同じ局面になることで分かります。(合駒を王手駒である竜で取れる、というのはここでは別問題です)

この局面での23合は無駄合に見えますよね?

そもそもなぜこれにひっかかるか?

それは、23の合駒に対して、玉方の駒の利きがあるからでしょう。

玉方の合駒に利きがないものを捨て合(または中合)と呼びます。
利きがないので、攻め方の駒がその駒を取っても、「同〇」と取り返すことができません。

つまり、合駒の目的は、純粋に「攻め方の駒の場所を移動させる」という狙いしかなくなるわけです。(もしくは、「成不成を打診して態度を決めさせる」という高度な狙いもありうる。)

本図は14の銀が利いていますが、16の香によりピンされてるので動けず、これを取り返すことができません。

つまり、実質「利きがない」のと同じことなのです。

いわば、原理的には右図(参考図5−2)と全く一緒なのです。
※玉の利きもきいていますが、23に竜の利きがあるので、やはり同玉とは取れません。

右図の合駒が無駄合である以上、さかのぼって問題5の合駒も無駄合、と呼べることになります。(どれも意味的に同一なので)

どうしても参考図で23竜という王手駒による王手が気になる向きには、次の図面を紹介しておきましょう。

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これも33竜まで1手詰めです。

ただし23合とされたとき、同竜と取ることはできません。(22の角によりピンされているので動けない)
ちなみに、33竜を同角と取ることもできません。(同様に、31角によりピンされているから)


さて。
問題5の合駒は無駄合である、という私の主張でしたが、実は過去にこんな実例がありました。

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打って変わって入玉図です。
作意は、37角まで1手詰。

一見28に合駒が利きそうです。
これを同角は同とで詰みませんが、同銀と取ると、29のと金が69にある飛車によってピンされているため動けず、詰みになります。

これ、問題5と全く同一原理の図ということが分かりますね。


実は今から十数年前、私がまだ「詰将棋パラダイス」を定期購読していた頃、この詰め上がりを持つ短編作品が、初心者向けのコーナーに投稿されました。作者は誰もが知る超有名作家Yさん。(巻き込みたくないので実名は伏せます)

ところが結果発表時、本作が出題不適作と烙印を押されました。
つまり、28合は無駄合とは言えず、駒余りになる、と担当者が判断したようなのです。

その翌月でしたか、Yさんによる反論記事が「詰めパラ」に載りました。
しかし、その結果どうなったかとうと……。

まったく決着がつかず、事態はうやむやのまま終わったのです。


ほとんどの詰将棋作家たちは、我関せずというか、無駄合論争などという不毛な論議に首をつっこみたくはない。怪しい作品は、どうせ作っても発表されないから、むしろ作らない方がよい。
いや、作意を長くして、変化順に紛れ込ませれば問題ない。そう思ったのかもしれません。

それもこれも、本来こうした問題をはっきりさせるべく、何が無駄合で何がそうでない「有効合(?)」なのかを、明快に規約として取り決めてないのがいけないわけですが……。


とまあこのように、私が無駄合と思うケースも、人によっては「そうではない」と感じるケースもあって、事態は混乱を極めているわけです。

その後も、こうした無駄合論争は、作家個人レベルで語られることはあっても、明確な形で解決することはなく、混沌としたまま現在へと至っています。


(続く)



※次回はいよいよ、「間接両王手」を解説します。



この記事に


前回の記事『「藤井四段が間違えた三手詰」を解説する』は、「藤井四段」というキーワードが入っていたためか、結構読まれたようだ。

しかしその割にコメント欄にも何ら反応がなかったのは、あるいは内容が難しすぎて、よくわかんなかったのかもしんない。

当方は、元詰将棋作家といっても、作図力がほとんどない底辺の作家だったので、詰将棋弱者の気持ちがよく分かる。

そこで、藤井四段のブームに乗って詰将棋を始めてみようかという方に、難解な詰将棋の世界を、分かりやすく解説してみたいと思う。(そのために新たに「将棋・詰将棋」という書庫も作った)


実は前回の記事で、さりげなくある文章を書いた。
こんな文章だ。↓

※この局面では、25香や43歩といった玉方に着手可能な手があり、将棋における「詰み」の局面とは言えない。しかし、詰将棋の世界では、これらの合駒は、ただ取られるだけで本質的な意味のない「無駄合」とみなされ、こうした局面を「詰め上がり」としているのである。


実はこの文章、結構面倒なテーマをはらんでいるのである。

大袈裟に言えば、自分が生まれる以前から、50年以上も未解決の問題を、詰将棋界は抱えている。

それがこの「無駄合(むだあい)」という概念だ。

例を挙げて説明しよう。


イメージ 1


部分図で申し訳ないが、左側が問題図の初形。右がその詰め上がり図である。

正解は、「23金まで1手詰」である。
14の金を23に動かして、19の香で空き王手をしたところである)


ところで詰将棋とは、相手の王将を詰ます手順を見つけるパズルのことだ。
つまり本来なら、敵玉は最後に詰みの状態にしなければならない。


ところで、「詰み」とは何だろう?

wikipediaの「詰み」の項目を見ると、日本将棋連盟は「詰み」を以下のように定義している。

一方の側が玉以外の駒の利きを敵玉の存在するマス目に合わせるような指し手、つまり玉に取りをかけることを“王手”といい、かけた側から見れば“王手をかける”という。王手をかけられた側が、その王手を次の一手で解除することが不可能になった状態、つまり次にどのように応接しても玉を取られてしまうことが防げない状態を“詰み”といい、玉側からみれば“詰まされた”という。

長いので縮めて言うと、「玉に対して王手がかかっており、その王手を解除できない状態」のことだ。

そしてこのwikipediaには、チェスにおける詰みには触れていても、詰将棋における詰みには特に触れていない。(このことは結構重要である。)

以上のことを踏まえて、さっきの詰め上がり図を見ていただこう。

実は、盤面には特に明記していないが、玉方には、盤面と攻め方の持ち駒を除くすべての駒(王を除く)が持ち駒として使える、ということになっている。

したがってここでは、1筋に合駒を打って王手を解除することが可能である。

ここで、遅まきながら詰将棋のルールを振り返ってみよう。

全日本詰将棋連盟が機関誌として認める「詰将棋パラダイス」という雑誌があるが、ここのHPに詰将棋の基本ルールに関する記述がある。
転記してみよう。

1)先手(以下、攻方)、後手(以下、玉方)が交互に指します。
2)攻方は玉方の玉を詰ませることが目的です。
3)攻方は必ず相手の玉に王手をかけなければなりません。
4)また、玉方は必ず王手をはずさなければなりません。
5)玉方は盤上と攻方の持駒以外のすべての駒(ただし王は除く)を合駒として使用できます。
6)玉方は最も長く手数がかかるように逃げなければなりません。
7)無駄合いはしないようにします。

上記6)に則って考えるならば、玉方は最も長く手数がかかるように応接しなければいけないので、本来の正解手順は次のようになるはずである。

23金、18歩、同香、17歩、同香、16歩、同香、15歩、同香、14歩、同香、13歩、同香、12歩、同香(金)まで15手詰(歩7枚余り)
なお、途中の歩合は桂や角合でもかまわない。同じことである。(金とか香だと12に打って早く詰む)

しかし、これらは上記7)のルールに反している。
すなわち「無駄合いはしないようにします」

無駄合とは何だろうか?

先のHPでは次のように説明している。

右の図で1八歩と持駒を使って合駒をしても、1八同香で再び合駒以外に王手を防ぐことができなくなります。このような合駒を「無駄合い」といい、してはなりません。
右の図はこの局面で詰みとなります。
(上記「右の図」とは図1の詰め上がり図を指す)


上記ではやや言葉不足だと正直思う。
敢えて補完するならば、
1)すぐに取られてしまい
2)2手手数を伸ばすだけで
3)その後の手順に何ら影響を及ぼさない
4)本質的に意味のない合駒
とでも言おうか……。

いずれにしても、上記のような局面を詰将棋の世界では「詰め上がり」として、厳密にいうと詰みではないが、詰みに準じる形として認めている、ということなのである。

したがってこの図は、「15手詰駒余り」などではなく、「1手詰」が正解となる。

ここまで、お分かりいただけたであろうか?

分かりやすく書くと次のようになる。

将棋の詰み ≒ 詰将棋の詰め上がり

異なる部分は、飛や角、香など、遠駒を使ったときの無駄合に関する部分であり、上記のような詰め上がりを、詰将棋用語で「透かし詰め」(「詰将棋用語集ーさ行」)と呼ぶ。


類似の詰め上がりを二つ紹介しよう。

イメージ 2

今度は部分図ではなく、全体図である。

いま、37にいる歩を36に動かした局面である。
ここで玉方が王手を解除する手段として、各筋に合駒を打つことが考えられる。
しかしこれは、すべて角で取られるだけで、手数を1枚の合駒につき2手伸ばす効果しかない、本質的に無意味な合駒なので、無駄合ということになるのだ。
ただし、この時、最初の合駒を同角成と取らなければならない。
成らずだと、最後28歩、同角、29玉として詰まなくなってしまうのだ。
ここ、「角を成り忘れるかもしれない。だから有効な合駒だ」という理屈は成り立たない。
攻め方の誤った応手を期待してはいけないのだ。攻め方も受け方も最善を尽くす、という前提で、正解手順は決められるのである。


イメージ 3

問題3は問題2とよく似てるが、飛車と角の位置がそれぞれ若干違っている。
ここでも、55歩、46歩、37歩などの合駒が無駄合になるのは同じ理屈である。
注意してほしいのは28歩に対する応手で、ここ同角だと29玉で詰まなくなる。
問題2の角は敵陣である三段目にいたから、成って馬になることができたが、こちらは四段目なので生角のままである。
その代り飛車が三段目にいるので、最後28飛成として詰みあがるのだ。
この場合の28歩合も同じ理屈から無駄合となる。

ここで注目してほしいのは、問題2では王手をした駒(王手駒と呼ぶ)で合駒を取っているのに対し、問題3では、必ずしも王手駒で取ってはいない、ということだ。

無題合の定義で「王手をした駒で取る」という条件が必要と思っている人がいるが、それは間違いである。
もしそんな条件が加わったら、問題3は1手詰ではなく、3手詰駒余りとなってしまう。
すると、こうした詰め上がりを擁する作品は、すべて「駒余り作品」となり、キズモノとみなされ、紙面に完全作として発表できなくなってしまうのだ。
詰将棋界にとって、それは大打撃である。

無駄合とはいわば、詰将棋の繁栄のために、便宜上考えだされた概念と言っていい。
だから指し将棋の世界では、存在しない言葉なのである。

最後にもう一つ、透かし詰めの例を挙げよう。

イメージ 4

今、持駒の香を25に打ったところである。
これで1手詰なのだ。
24合は、同香と取れば14玉と逃げられて詰まなくなってしまう。飛車の利きを自らの駒で遮断してしまうのだ。

しかし、24飛と取れば、もはや玉方は王手を解除することができない。詰みである。

王手駒以外の駒で取ってすぐ詰む、という点を見れば、問題3と全く同じ構造だということが分かるだろう。
すなわち、問題3における28歩合が無駄合なら、問題4における24歩合も無駄合ということができるのだ。


以上、簡単な無駄合の例を見ていただいた。

何だ。こんなの簡単だ。よく分かるよ。
そういう声も聞こえてきそうだが、実は無駄合の複雑さはこの後の稿に控えているのである。

先ほど自分は、詰将棋パラダイスにおける無駄合の記述が説明不足と書いたが、あれはわざとそうしているのである。
細かく書くと、いろいろ突っ込まれ藪蛇となるので、もっとも単純な無駄合の例を引用して、説明したポーズを取っているに過ぎない。
いわば政治家の答弁のようなものである。

次稿から、もっと複雑な、これって本当に無駄合なの?ーーというグレーゾーンの世界を解説していきたい。

<続く>









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