のんびりDiary

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病気のこと(現在に至るまで)

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★退院から今日まで

退院すると旦那と娘を家に残し、私は実家の世話になった。
実家は新築でバリアフリーだったので、行動するのに楽だった。
食事も母が作ってくれたので、私はリハビリに専念出来た。
上がらなかった踵も少し浮かせるようになり、
手摺を使って、階段も上れるようになった。(1、2段だけれども・・・)
足の筋肉は大分付いてきた。
ただ、入院中から続いていた尿意切迫感と頻尿は中々改善されなかった。
(尿道に管を入れていた期間が長かった為、筋肉が付いてくれば良くなると言われたのだが・・・)

お盆に兄弟が集まった。
Qooの話になり、二番目の兄が「俺が面倒をみるしかないだろうな。」と言ってくれた。
兄の所にも柴犬ミックスがいて2人(2匹)が慣れるか心配だったのだが
車で5分位の所に住んでいるので、いつでも会いに行けるし
何よりもありがたかった。
早速Qooの引越しを終え、娘が夏休み中だったこともあり
お盆明けに家へ帰ることにした。

8月15日、通院日。この日病院から我家に帰った。
私が1階で生活できるように
旦那と娘が、2階からベッドを下ろして準備してくれていた。
リハビリの方も順調で、家の中は一人で歩くことが出来た。

最初のうち朝食と昼食は旦那が作ってくれたが
夕食は惣菜がほとんどだった。
家の中も散らかっていて、どこに何があるか分からない状態。
「この家は、私がいなければダメなんだ。」と思った。
その気持ちが、自分を奮い立たせてくれたと思う。

病院で先生に「家事をやっていい」と言われたので、少しずつ始めることにした。
まず家中の不要な物をリサイクルに出したり、廃棄処分した。
かなりの量だった。
思えば家を建てて15年、日々の生活が忙しくて中々出来なかったんだよね。
料理は、娘に教えながら一緒にやった。
家計のことは全て私がやってたので、ファイルに整理して旦那に教えた。
娘の夏休みが終わると、実家の母に手伝ってもらいながら1階を整理した。

9月の受診で呼吸器科の先生に「ゆっくりなら2階もOK」と言われたので
今度は2階を整理。
こうして家中が片付いたのは、10月末だった。
その頃には、リハビリ科の受診も終了し
ほとんどの家事も買い物も出来るようになっていた。

今では、短距離だったら車の運転も出来るようになった。
障害者申請も最初1級と言われてたのが、申請時には3級だった。
介護保険も半年後の更新はしなくてもよくなった。
体に自信がついてきたので、Qooにも会いに行っている。
あとは自分の体に相談しながら、日々をのんびり過ごそうと思ってる。

★退院

ベッドの手摺につかまって立てるようになってからは、とんとん拍子に進んだ。
膝を曲げることは、まだ出来なかったが、伸ばしたままなら、足を運ぶことが出来た。

7月に入ると、手摺につかまりながらではあるが
ベッドから車椅子・ポータブルトイレに一人で移動することが出来るようになった。
歩行器につかまって歩けるようになったのも、それから直ぐだった。
ここまで来たら、普通のトイレに挑戦。
でも、座ることは出来るが、立ち上がることが難しい。
片手を便座について、もう一方の手は手摺につかまり、ようやく立つことが出来た。

この頃、酸素も歩行時4ℓ、安静時1ℓまで下がった。
そしていよいよ「在宅酸素療法は必要だけど、7月いっぱいで退院できそう。」と言われた。
うれしい反面、不安もあった。
前に退院した時は、1ヶ月しかもたなかったし、
(前は無理矢理退院したんだけど・・・)
家に帰って、一人で出来るんだろうか心配だった。

いよいよ退院の準備。
旦那が、トイレと玄関に手摺を付けてくれた。
玄関の踏み台やお風呂の手摺・椅子など必要な物も揃えてくれた。
この時点で、介護保険の認定は未だだったが、認定後に福祉用具購入費の支給申請が出来た。
購入費が戻ってきたのは、ありがたい。

7月末、一人歩きの練習開始。
腰がふらついて歩けない。
でも、つたい歩きしながら徐々に出来るようになった。

この頃、ショックなことがあった。
動脈血液検査の結果、酸素なしだと酸素濃度が60でギリギリ。
先生に「今後、二階に上がるのは止めた方がいい。」と言われた。
「ペットも出来れば手放したほうがいい。」とも・・・。
愛犬Qoo(チワワ)は、息子のようなもの!
それは出来ないよ〜!
自分の存在が周りを不幸にしているように思えた。

旦那には、前の退院の時から
「Qooを飼うのをやめた方がいいんじゃないか。」と言われていた。
私は、「Qooのせいじゃない。」と突っぱねてた。
けれど今回は、急性増悪の怖さもあり、手放す覚悟を決めた。

飼い主探しは、難しかった。
知り合いをあたったりしたが、みんな既に飼っていたり
犬嫌いだったり・・・
『犬・猫ネットワーク』に頼もうかと思いながらも
二度と会えないとなると踏ん切りがつかない。
結局、飼い主が決まらないまま
私が実家に身を寄せることにした。

そして8月2日、退院日を迎えた。

★リハビリ開始

リハビリは、ベッドに座ることから始まった。
パルスオキシメータ(酸素計)を付けて、
30分ただ足を下ろして座っているだけなんだけど、結構辛い。
この頃、酸素は10ℓくらいだったかな?よく覚えていない。
30分で足は紫色になったけど、これは慣れてくると大丈夫。
少し経って、車椅子で散歩も始めた。(押してもらってだけど・・・)

精神状態も安定してきて、ようやく病気と向き合えるようになったのもこの頃だったかな?
思えばずっと病気から逃げていた気がする。
いつか覚めると思ってた夢も現実だったんだよね。
「これって現実?」って、いつも母に聞いてた気がする。

いつも回診に来る先生が休みで、久々に部長先生が回診に来たので
「酸素は外せるの?」て聞いてみた。
先生、「外せない。」
私、「一生?じゃあ、障害者になるの?」
先生、「なる。」
私、「何級?」
先生、「1級。」
私、「もう仕事出来ないの?」
先生、「仕事できないのが1級の条件だから・・・。」
ショックだった。
仕事は好きだったし、一生働くつもりで人生設計を立てていた。
ちょっとパニックに陥った。

でも、落ち込んでばかりもいられない。
車椅子で動けるようになったこともあり、病院内の福祉相談室へ連れて行ってもらった。
福祉医療制度・介護保険のこと色々聞く事が出来た。
早速、障害者申請と介護保険申請の手続をすることにした。

申請するにあたって、先生に書類を書いてもらったのだが
書類に「ポータブルトイレへの移動がやっとでしょう。」と書いてあった。
時間が掛かっても歩けるようになるって聞いてたのに・・・
本当に歩けるようになるんだろうか?
とても不安になった。

座ることに慣れてきた頃、尿道に付けていた管が外された。
リハビリも理学療法士の先生が付いてくれることになった。
ベッドに寝て「足を上げてみて」と言われたのだが、ほとんど上がらない。
理学療法士によるリハビリは、足を上げたり、
ベッドに座って足を前後左右に動かしたりすることから始まった。
少し動くようになると、先生が力を加える。
そうやって少しずつ力をつけていく。
続けてやると息が切れるので、呼吸を整えながら行った。

理学療法士によるリハビリの他、自分でもリハビリをやった。
足はもちろん、握力と腕もボールやゴムを使って鍛えた。
(この頃、爪も自分で切れなかった。)
ベッドの手摺につかまって立てるようになったのは、
6月末頃だったと思う。

★2度目の入院生活

『間質性肺炎急性増悪』で入院してからのことは、あまり覚えていない。
2〜3日は、HCUに入っていたらしい。
ただただ苦しくて、「これは夢だ。そのうち覚める。」と思ってた。
その反面、あまりの苦しさに「いっそ、殺して。」とも思ってた。
後で旦那に聞いたのだが、かなり危険な状態だったらしい。
肺が機能してなくて、人工呼吸器を付けるにしても機能していない肺に負荷が掛かり過ぎるから
自然に肺がふさがるのを待つしかないとのこと。

一般病棟に移ってからも苦しさは続いた。
この頃は、腕を動かしても酸素の値がどんどん下がっていってたらしい。
一度夜中に酸素マスクが外れてて、家族が呼ばれたようだ。
それからは、実家の母が心配で付き添ってくれるようになった。

三度のパルス療法を行って、病状が落ち着いてきたのは3月末頃だろうか・・・
でもその間、副作用でうつが出てきた。
これからの生活は家族はどうなるのか?
テレビを見てもいいニュースは何も無いし、考えることは、悪いことばかり!
とうとう抗うつ剤を処方された。
心療内科の先生に「悪いことが大概ニュースになるんじゃない?こんな時代だからお笑いがブームになるんだよ。」と言われた。
確かにその通りだよね。
ポジティブに考えれるようになるまで結構時間が掛かった。

でも今思えば、一番大変だったのは旦那だろうな。
先生に「3ヶ月は何があってもおかしくない。」と言われていたらしいし
しかも娘の受験・卒業・入学もあった。
今まで、学校や塾、家のことは全て私任せだったし・・・
それでもよく乗り切ってくれたと思うよ。
感謝しなきゃね。

2008年5月、ようやく酸素マスクが外されチューブに変わった。
同時に食事もOKが出た。
絶食後、最初に食べたのはプリンだった。
美味しかった。
初めのうちはペースト状の食事だったが、まずくて食べられない。
すぐ柔らかめの物に変えてもらった。

リクライニングで上半身が起こせるようになって、
自分の足が動かないことに気づいたのもこの頃だったと思う。
ショックだった。
人間の筋肉ってこんなにもろいものなのかと思った。
先生に歩けるようになるか聞いた。
「時間はかかるけど、歩けるようになる。」と言われた。
寝たきりの期間の3倍はかかるらしい。
辛いリハビリの始まりだ〜!

★退院〜2度目の入院

2008年1月26日、退院。
やっぱり家はいい!
『家事はなるべくしないこと』と言われてたので、実家の母に来てもらった。
食事は美味いし、何より自由!
愛犬Qooちゃんも癒してくれるし・・・最高!!
「もう少し体力ついたら働こう。」とこの頃本気で思ってた。
ただ、入院する前の会社は、一応パートとして席だけは置いてたけど
中途半端な状態だったので、正式に退職した。

退院して何日過ぎてからか覚えていないけど、だんだん朝起きることが辛くなってきた。
日中も布団やソファで過ごすことが多くなってきた。
食事もあまり受け付けない。
薬を飲む為に果物を口にするのがやっとって感じ・・・

2月13日の通院日には、歩くものやっとだし、帯状疱疹まで出てしまった。
もちろん「即、入院」と言われたのだが、私は涙ながらに「家へ帰して」とお願いした。
何であんなに入院したくなかったのか・・・今でも疑問に残る。
確かに娘の受験は気になっていたけど、かといって何もしてやれることはなかったしね。
やっぱ現実を受け入れれなかったんだよね、きっと・・・

通院日から一週間、体は限界だった。
トイレに起きるのもやっとだった。
胸に触ると、パチパチ変な音がする。
(後で分かったが、肺から空気が漏れていた音だった。)
2月21日、とうとう自分から「病院へ行く」と言った。
「具合が悪くなれば救急で来るように」と念を押されていたので
救急車を呼んでもらい、病院へ・・・
当時、家に置いてた酸素の機械は、最高が4Lだった。
全然間に合ってないと救急隊員が言ってたのを微かに覚えている。

病院へ到着すると直ぐ、足の付け根からの点滴が始まった。
尿道に管を通され、絶対安静の処置が施された。
こうして私は『間質性肺炎急性増悪』により、2回目の入院生活を送ることになる。

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