Ayaya(綾爺)のトリビア・ブログ

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 イメージ 17/13、熊谷シネティアラで映画空飛ぶタイヤ」を鑑賞してきましたこの日、「ジュラシック・ワールド 炎の王国」の公開日だったので、映画館全体が混んでいました。映画「空飛ぶタイヤ」は公開から1ヶ月経過しているので、20名弱の観客でした。
この映画は、「下町ロケット」などの原作者、池井戸潤のベストセラー企業小説を実写映画化したもの。監督は「超高速!参勤交代シリーズ」の本木克英氏。

 *画面は、赤松運送社長の赤松徳郎長瀬智也)が、宮代専務(佐野高史)からの若い整備士門田阿部顕嵐)をリストラする提案を断るところから始まります。赤松は「従業員とその家族は守る」となんとか厳しい経営を続けていました。イメージ 2そんなある昼休み、門田とキャッチボールをしていた赤松に警察からの事故連絡の電話が入ります。安友運転手(毎熊克哉)が運転していたトレーラーの左前輪のタイヤが外れ、歩道を歩いていた母子を直撃し、母親柚木妙子谷村美月)は死亡、子供は軽傷という内容だったので、急ぎ、港北中央署で高幡刑事寺脇康文)から事故内容を聞く。 
イメージ 3運転手の話ではゆるいカーブでブレーキを掛けた時ガクッとなり、気付いたら母子が左前方で倒れていた。走行時速は40km程度だったし、「訳がわからないうちに事故が起きた」と言っていた。この車の整備をしたのが門田だった。警察から戻ると、赤松はついカアッとなり、「お前のいいかげんな整備のせいだ。クビだ!」と門田を怒鳴りつけたので、門田はふてくされて帰宅してしまいます。
 トラック製造元の「ホープ自工」にて事故調査が行われ、「原因は整備不良」とされたので、事故は事件になり、「赤松運送」に刑事の高幡を先頭とした警察の内部捜査が入りました。捜査では、門田の「整備日誌」が発見されました。日誌は、法定より厳しいチェック点検が記録されており、事故前日の記録分には、事故原因とされた部品「ハブ」についても「問題なし」と記録されていました。門田の整備点検が万全だったことを知った赤松は誤解を侘びるため、門田の家を訪問します。そこには、妊娠中の恋人池上紗理依)がいて、近々、結婚すると紹介されます。門田は、赤松の侘びを受け入れ職場復帰にするになります。

*ところが、警察の捜索から1週間経っても、何の音沙汰もありませんでした。赤松は、「きっと証拠が揃わないからだろう」と、独自調査をしようとした時、宮代が、「今回と同じ様な事故が群馬でも起きていた。」との情報を持って来ました。早速、事故の発生した「野村陸運」へ行き野村社長(柄本明)から、「ハブの摩耗に気付かず交換しなかったのが原因」とのホープ自工の報告を聞かされます。彼は、疑念は残ったけど、それ以上は追究しなかった、と。でも、「ホープ自工の同じトレーラーが同種の事故を起こしたのはおかしい。構造上の欠陥?じゃなかったのかな」 「ホープ自工は三年前にもリコール問題を起こしたし・・。」と今でも疑っていました。


沢田が赤松に追い回されている時、どういうわけか、沢田の所へ品質保証課長の室井秀夫和田聰宏)が、赤松運送の件を聞ききたのです。不思議に思った沢田が独自に社内調査し始めると、同期の車両製造部小牧重道ムロツヨシ)から、製造部門統括の狩野常務をヘッドに極秘開催されている「T会議」の情報が得られました。この会議は、リコール隠しのため、品質保証部と経営上層部メンバーの秘密会議で、「T会議」の「T」は「タイヤ」を意味していました。早速、沢田は会議中に乗り込んで、室井からT会議の事を聞き出そうとしますが、逆に、室井から、三年前のリコール隠しの話を持ち出され、「お前らは品質に口出すな!」と言われてしまいます。沢田はリコール隠しでホープ自工の業績が悪化し、信頼も失ってしまった反省もなしに、同じ過ちを繰り返している事実を知り、怒りを爆発させたのです。

*やっと、沢田と電話が繋がった赤松は、独自調査するため、ハブの返却を要求しますが、沢田はハブを返せないといろいろ言い訳しました。そこで、赤松は、「ハブを返せないのは他に理由があるでしょう?中小企業をなめんな!」と啖呵を切り、ハブの所有権は赤松運送にあるので、返却しなければ、法的手段に訴えるという通告書をホープ自工に送ると通告しました。
ホープ銀は、ホープ自工への融資について話し合っていました。席上、ホープ銀融資担当の井崎一亮高橋一生)は、ホープ自工の経営改善が図られていないため、稟議申請できないとホープ銀専務・巻田三郎升毅)に主張しています。ホープ自工常務狩野威岸部一徳)が「タイヤ事故の件は心配ない」と断言したこともあり、巻田は意を強くして、井崎に「融資の話を進めるように。ホープ自工はグループ企業なのだから当然だ。」と言い始めました。この場に、技術統括狩野が同席していたのは、巻田との癒着した関係と、狩野の姪、香織が井崎の婚約者だという関係を利用して、ホープ銀に融資話を了解してもらう意図があったからです。そのため、井崎は融資についていろいろと悩みます。
イメージ 4しかし、そんな時、井崎は大学時代付き合っていた「週刊潮流」記者・榎本優子小池栄子)から、「ホープ自工のリコール隠し」の内部告発情報を入手しました。この内部告発情報が公表されれば死者が出ていることでもあり、ホープ自工はかつてない窮地に陥るのは明かだったので、そんな会社に融資できるはずがありません。
*実は、赤松もまた事件を追って榎本と接触していて、ホープ自工のタイヤの脱落事故が全国で発生していて、ホープ自工の分析結果によると、そのほとんどが「整備不良」となっていたという情報を得ていました。
このころ、赤松にピンチが訪れます。事故遺族から裁判(慰謝料15千万円)を起こされたり、ホープ銀から、経営状態の悪化を理由に、融資金の全額返済を求められたりするのでした。ホープ自工が手を回したのかもしれませんが、ホープ銀からの融資を引き上げられれば、万事休す。
家への帰り道で、赤松は気もそぞろで事故を起こしそうになる。帰宅して、子供へのイジメが始まっていることを妻史絵深田恭子)から聞き困惑すると、「まだ全て終わったわけじゃないでしょ。弱音吐かないで。」と史絵から励まされたのでした。
*さて、ホープ自工では、沢田が小牧と、内部告発するため動き始めました。ところが、ある夜、二人で室井のPCから、不正データを引き出そうとしていると、ネットワーク管理者の品質保証部杉本元中村蒼)に見つかってしまったのです。ヤバイと観念したのですが、意外にも杉本から、「私も会社の体質を変えたいと思って、「週刊潮流」の榎本記者にリコール隠しの件をリークした」と打ち明けられます。こうして、この同期3人は内部告発の協力体制を取っていくことになります。イメージ 5
内部告発状は花畑部長経由で社長に提出することにしました。理由は、狩野が三年前のリコール処理の功績で「常務」に昇進したので、今回の事は握りつぶす可能性大だからです。ところが、花畑部長から社長に上申される前に、狩野に内容が内々に伝わったため、狩野が告発の犯人捜しを始めました。そして、どうやら、室井の補佐、杉本らが犯人らしいことを掴みます。ただし、雑誌社への電話発信記録が見つかっただけの状況証拠です。狩野は内部告発者を必要以上に刺激しないように指示して、「沢田が社外へリークしないのは、まだホープ自工での出世を考えているからだろう。こういう者にはそれなりの対処法がある」と言い、早速、人事部の浜崎紀之斎藤歩)を使い、沢田を宴席に呼び、一番やりたい仕事を聞き出させました。沢田は、「自動車メーカに入社した以上、「商品開発」の仕事をするのが夢です。」と即答しました。 

沢田が告発状の説明に、社長室に向かうとした時、室井から声が掛けられ人事部に向います。そこで、沢田は、商品開発部への異動を甘く囁かれます。これが狩野や室井の懐柔策であることは、沢田にはわかっていたのですが、「やりたかった仕事をやらせてやる。だからもう何もするな」と言われ、沢田は、迷った末、翌日、商品開発部への異動を受け入れることを伝えます。やがて、内密の人事異動が発令され、沢田は実名での告発だったからか、商品開発部へ異動し、杉本は匿名での告発だったからか大阪へ出向になる辞令が出されるのでした。


しばらくしてホープ自工沢田らが赤松運送を訪問し、「これまでの無礼をお許しください。イメージ 6ハブはお返しします」と言い、さらに、「ハブを返却するまで、社内調整の時間が掛かるため、その間の補償金として、1億円をお渡しします」と提案しました。赤松は、一瞬、1億円あれば銀行の融資返済に応じても経営を続けていけると心を動かされます。しかし、「もし、ホープ自工の社内調整がうまくいかなかった場合、1億円は部品代にさせてください」との条件付だったので、「ホープ自工はハブを返す気なんかなくて、1億円で手打ちしようとしているだけだ」と迷います。会社が潰れてしまっては元も子もないのも事実であり、赤松運送の社員もその家族ももう我慢の限界にきており、誰もがもう終わりにしたいと強く望んでいたからです。

*被害者の四十九日法要の日、赤松は参列に行き、例によって追い返されますが、その時、遺児が赤松を追って来て、参列者へのお礼の文を手渡しました。遺児が描いた母親の絵とメッセージでした。メッセージには、「もし かみさまに 一つだけおねがいするとしたら、「かみさまへ ママにもういちど あいたいです」と書かれていました。これをみて、赤松は遺児に申し訳ないことをしたと胸が熱くなると同時に、ホープ自工への怒りが燃え上がったのです。
*やがて、赤松はいろいろ悩み抜いた末、ホープ自工からの補償金提案を断ってしまいます。すると「では、いくらなら了解してくれるのか?」と言う沢田に対して、赤松は「金額の問題ではない」と四十九日法要の時、遺児から受け取ったメッセージを沢田に渡し、「赤松運送は、被害者のためにも、この事件の真相を究明することにした。」と改めてホープ自工に決意を表明したのです。これには、ホープ自工関係者が驚いただけでなく、宮代も、「今あの金を受け取らないと会社は潰れてしまう。」とつぶやきます。

赤松の頼みの綱はもうすぐ発売される「週刊潮流」の記事です。ホープ自工のリコール隠しが暴かれさえすれば、赤松運送をとりまく状況が好転するはずだったからです。ところが、発売日の早朝に、赤松が買った「週刊潮流」のどこにも、ホープ自工の記事は掲載されていませんでした。榎本記者に連絡すると、「すみません没になりました。上の判断です。」と悔しさを滲ませる榎本の声が返ってきました。ホープ自工は「週刊潮流」に広告を多く掲載している大スポンサーだったので、狩野が手をまわして記事を差し止めたのでした。
そこで、赤松は榎本にせめて記事のゲラを見せて欲しいという頼むのですが、断られてしまいます。ただ、榎本が独自調査した「ホープ自工製車両の不審事故リスト」は渡してもらえました。赤松はそれを元に、全国調査を開始しますが、訪問先では、「もう終わったことだし、仕事が忙しいので帰ってくれ!」と調査に協力してもらえませんでした。でも、高森運送社長、高森将仁加藤満)を訪ねた時「リストに、あの会社が入っていない」と言われ、「富山ロジスティック」という会社が事故調査していたことを聞きつけます。リストは新聞報道された会社だけが掲載されていたのです。
早速、富山ロジスを訪ねると、元整備課長で現在、総務課長の相沢寛久笹木倉之助)が対応してくれました。彼は、「トレーラーのプロペラシャフト脱落の原因は整備不良ではなく、構造上の欠陥だ」と断言しました。理由は、事故トレーラーは購入1ヶ月の新車だったからです。しかし、富山ロジの社長が若い頃ホープ自工で修行をしており、ホープ自工を告発する気がないため、「整備不良」というホープ自工の調査結果を受け入れてしまったが、未だ納得できず、「20年以上整備をやってきた者の名誉に関わるので、赤松に原因究明を託したい」とホープ自工が国土交通省に提出した資料及び、相沢の独自報告書を赤松に渡すことを約束したのです。赤松は車検証のコピーを見て「確かに、これならホープ自工に反論出来たのに・・・・」と残念がりました。さらに、赤松はリスト調査で、赤松運送のハブの破損に加え、富山ロジのプロペラシャフトそして、高森運送の変速装置と同じ要因(クラッチハウジングの破損?)で事故が起きている事が分かったのでした。
(ここは、ポンチ絵でも入れて技術的な解説があると良かったのですが・・。)
*後日、相沢から「この書類には私の魂がこもっています。真実を明らかにしてください。相沢」と書かれたメッセージ付された分厚い書類が赤松宛届けられました
社長の方針によって、事故原因(整備不良でなく構造欠陥)を公表できずに悶々としていた相沢赤松の情熱に動かされ、勇気を持って調査資料を託したのでした。早速、赤松はこの資料を手にホープ自工動車に乗り込みました。応対したのは品質保証部沢田の後任の長岡隆光近藤公園)。「事故は、整備不良が原因です。それに車両は老朽化するんですヨ。」と長岡は得意気にシラを切り始めました。そこで、赤松は調査資料を、品質保証部室井たちの前に叩きつけ、「ホープ自工の報告書では、プロペラシャフトの事故はまれ、多発の恐れはない」と報告されているけど、「他の事故でもプロペラシャフトは脱落している」「原因は、車の構造的欠陥だ。」と主張。長岡の「整備していたか、ちゃんと調べたのですか?」の質問に、赤松は待っていましたとばかりに「調べてはいない。だって、車は購入後1ケ月の新車で、走行距離320kmだったから、全く調べる必要なかったから。それでも整備不良が原因と言うのですか?」この赤松の一言で室井たちの顔色がさっと変わり、焦った様子で示された資料を読み漁ったのでした。
*赤松が帰った後、ホープ自工内では、品質保証部を中心に、情報を外部にリークしたのは誰かなどの犯人捜しで大騒ぎになっていました。この虚偽報告で、国交省からのリコール指摘を隠し、何百億のリコール対策費を浮かせたのですから・・。
しかし、またここでも狩野の百戦錬磨の策士ぶりが発揮されます。室井からの報告を受けて、即座に社内の「T会議」に関する全データを消去させ、赤松のハブも処分させ、証拠隠滅を図ったのです。
赤松らは、警察にもホープ自工へ示した資料と同じ資料を届けたので、ずっとホープ自工を信じ、赤松を疑っていた高幡刑事も、この資料を見て、やっと真実が分かったようです。しかし、警察内部では、赤松から出された資料の信頼性、そして、ホープ自工の報告「整備不良」を信じて赤松運送の家宅捜索までしたのに、今度はホープ自工がホシになることで、警察のプライドはどうなる?等々議論百出。国交省の資料は、本物であり、ホープ自工の報告「整備不良」を鵜呑みにしていたことが間違いだった事にやっと気づき、ホープ自工を家宅捜索することになったのでした。こうして、ホープ自工が「道路運送車両法違反」で家宅捜査され、関係資料などを多数押収する様子が全国に大々的に報道されました。

一方、商品開発部に異動した沢田でしたが、上司の真鍋敏彰矢島健一)から、膨大なアンケートのまとめを厳しい期限でやらされ、なんとか、まとめ上げて、持っていくと、既に分析資料ができあがっていました。実は、同じデータ分析を外部の業者に委託していたんです。また、何度も新企画のコンペに提案しても一案も通りません。関係者に状況を聞くと、「どんないい企画を提案してもムダですよ。政治的判断ですから。」と親しい社員に言われ絶望。飼い殺しの身の上を嘆く日々を送っていました。そんな中、出向前の杉本が沢田に会いに来ました。杉本は3ケ月前に処分したはずのPCを、ソフト修復できたのでと沢田に渡します。PCには「T会議」の議事録や、杉本が収集した不正の証拠の数々が保管されていました。杉本は、家族のことがあり、内部告発できないので、沢田にすべてを託しことにしたのです。今度こそ、ホープ自工に沢田の居場所はなくなるかもしれませんが、沢田は、このPCを警察に届けました。この時の沢田の顔は晴れやかでした。

 *警察では、高幡が赤松から提出された資料と沢田からのPCデーターを基に狩野を追求しますが、狩野は当初、「報告書はミスで訂正する予定だった。」ととぼけてました。すかさず、高幡はPC情報から、T会議の存在、構造的欠陥の認知、隠蔽の証拠が明かであり、そして、欠陥を隠蔽し、ヤミ改修を指示していたことが、役員間では周知の事実となっていたこと。前回リコール騒ぎで社長が交代した時から、申し送り事項として極秘裏に処理してきたこと、を指摘すると、狩野は、「そのPCはどういうPCなのか?」と居直ったので、高幡はPCの裏に貼付してある、ホープ自工の備品ネームプレートを見せました。観念した狩野に高幡は「ホープ自工と言えば名門中の名門。その名を汚すのはリコールではなく不正なんだ!それがまだ判らないか。俺は被害者の遺体を見た。アンタが殺したんだ!」と強く説諭したのでした。こうして、赤松運送への容疑は完全に晴れたのでした。


*暫くして、ホープ自工はホープ銀からの救済融資を受けられず、井崎の斡旋でセントレア自動車に吸収合併されることが報道されました。また、赤松運送がホープ銀から求められていた融資返済の話は、はるな銀行に肩代わりしてもらえることで解決したのです。


*一段落したので、赤松は袖木家の仏壇に線香を上げに行きました。すると、そこで、柚木が赤松を誤解していたこと土下座して謝ったのです。こうして、柚木からの告訴も取り下げられました。暫くして、記者を辞めた優子と井崎の会話。「ホープ銀は元からお荷物になっているホープ自工に金融支援する気がなかったの?」と井崎に優子が聞くと、「俺にそんな事まで判るかよ。ただ、ホープ銀はホープ自工の財布じゃない。」と。「じゃ、グループ企業でも社会的な不正を隠蔽し続けるホープ自工だけは支えたくないと思った人がホープ銀の中に居たということなのネ?」と続けると「さぁーな」と井崎はトボけるしかありませんでした。
  *一年後。赤松が、事故現場に花を手向けていると、そこに沢田もやって来ました。そして、赤松が、「どうしても、判らない事がある。国交省の文書だけではリコール隠しまで暴けなかったはず。ホープ自工の誰かが内部告発したんじゃないか?」と沢田に聞きますが、「私にはさっぱり分からない」と沢田はトボけ通したのでした。「あんたは、どこまで行っても組織の人間だな」と言う赤松に「私にはそれしか生きる道がない」と。そして、赤松が「正直アンタの顔は二度と見たくない」というと沢田も「俺もだ」と笑い返したのでした。こうして、赤松の「今日もいい天気だ」という言葉で別れて行く二人でした・・・。(終) 上映時間:120

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6/27(水)雨のち曇り ニセコ→洞爺湖→支笏湖  月寒 O君宅(泊)
<コース>
ニセコスキー場(アルペンH)→ふきだし公園→望羊蹄→道の駅「大滝」
きのこ王国支笏湖               
<紀行>
*雨の中、「弁慶の刀掛岩」を見ながら、ニセコスキー場へと出発。
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 広大な4つのコースから、「ニセコヒラフ国際スキー場を眺めました。残念ながら、雨で濃霧のため羊蹄山の姿は全く見えませんでした。イメージ 3ここから、京極町の「ふきだし公園」へ。ここは1985年に全国名水100選に選定されました。この湧水は、羊蹄山に降った雨や雪が浸透し、数十年かけて湧き出している天然水です。湧き水口からカップで掬って飲んでみましたが、味はよく分かりませんでした。ここから、洞爺湖へ。昼食はレストラン「望羊蹄」で、人気のハンバーグと美味しい珈琲。白樺で作られた柱、椅子やテーブルが独特な雰囲気を醸し出していました。
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ここから、急遽サミット会場になった「ウインザーホテル」へ立ち寄ってみましたが、凄い濃霧で何も見えませんでした。ここから「支笏湖」に向かう途中、道の駅「フォーレスト276大滝」で休憩予定でしたが、閉店中ため、隣の「きのこ王国」で休憩し、支笏湖へ。
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湖畔に行ってみましたが、濃霧で対岸も分からず。O君宅へ戻りました。
 この日の夕食はカニ三昧。毛ガニ一杯食べた後とタラバガニを三杯酢で食べ比べさせて頂きました。毛ガニの正しい食べ方を教えられながら1杯/人食べるのは時間が掛かりました。O君曰く、カニを食べるときは誰でも無口になって、食べることに集中するそうです。味は、タラバガニより、やっぱり、毛ガニのさらりとした味がおいしく感じました。
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 さらにお刺身も出てきて食べきれないほど満腹なのに野菜サラダラーメンまで出てきました。ラストナイトなので、遅くまで飲み語り明かしました。
 6/28(木)晴れ 大倉山→札幌市内名所観光帰宅
<コース>
大倉山→北大キャンパス→北海道庁旧本庁舎→札幌市時計台→テレビ塔→中島公園→札幌・千歳→羽田→自宅
<紀行>
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次に、「北大キャンパスへ。テロ対策のため、見学者の構内駐車禁止でした。日差しが熱くなってきた中、広大なキャンパスの中で有名なイチョウ並木とポプラ並木を歩いてきた。
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 次の名所「北海道庁旧本庁舎」へ。赤絨毯2Fの長官、知事室を見学してきました。ここから徒歩で「時計台」へ。ここは、日本三大ガッカリ名所になっていますが、現在改修中で、建物がシートで覆われていました。(〜10/31休館)
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大通公園まで歩いて、「テレビ塔へ。この塔の高さは、147mで展望台(90m)と高くはありませんが、札幌市街が良く見渡せます。パンフに日本新三大夜景として、長崎、神戸に次いで函館ではなく、札幌と記載されていることにビックリさせられました。商魂逞しいですね。
   イメージ 16   イメージ 17   イメージ 18   イメージ 20
そして、最後は、日本都市公園100選に選ばれた緑豊かな中島公園へ。池と日本庭園が見事でした。隣接している「豊平館」は、開拓使が建てた洋造ホテルであり、明治政府が建てた唯一のホテルです。鮮やかな色使いで、開拓使の建物示す五稜星があしらわれていました。
   イメージ 19これで観光を終わり、一路、空港へと行く途中、車の中で荷物整理していて、小さな土産物をO君宅に忘れてきたことに気づき電話で確認。急遽O君宅に立ち戻る。旅行中、2回も忘れ物をするなんて・・ヤキが回った証拠と反省しきり。イメージ 21空港では、会社の友人ご推奨の立ち食い寿司にトライ。20分ほど待たされましたが、美味でした。帰りの便も満席状態でしたが、同行予定のT君がキャンセルした席が空席のままだったので、3人席を2人で使えました。羽田着後、反省会?の夕食を食べ、通勤ラッシュアワーを避けて、空港リムジンバスでゆったり帰宅しました。(完)

   私のプライベートでの北海道観光は3回目になりますが、積丹半島は初訪問でしたし、Tのお陰で、大倉山シャンツェやニセコのゲレンデを初めて回れたのは良かったです。ただ、普段の心掛けが悪いせいか梅雨がないといわれている北海道で、雨に見舞われたのが少し残念でした。旅行中、約500kmの走行を殆ど一人で運転してくれたT君に感謝です。ただ、ナビの警告メッセージ「制限速度を超えています」や「急ハンドルに気をつけましょう」が何回となく流れていたのが気になりました。忘れ物について、高齢者の忘れ物が多いのは荷物を一つにしておかないからだ、そうですが、2回も忘れ物をした私や大切なカーディガンをどこかに忘れてきてしまったH君も十分注意していたんですがネ。最後に、O君の「お・も・て・な・し」には、メンバー全員大感激。美味しい新鮮な魚介類や名物フルーツそして、隠れた名物「月寒あんぱん」等お腹いっぱい食べました。ありがとう!また、いつかグループ旅行出来るよう健康長寿を目指しましょう。う!!
 

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*先週、大学時代の仲間(三田実メンバー)5名が、札幌帰省中のO君宅を訪問し、懇親会を開催。その後それぞれに札幌周辺の観光を楽しんできました。記録用に写真多いので、2回に分けてブログアップします。
6/25(月) 晴れ 藻岩山→羊ヶ丘展望台      月寒 O君宅(泊)
<コース>
<紀行>
*森林公園駅から空港リムジンバスで羽田空港第2ターミナルへ。W杯日本VSセネガル戦は途中までライブで、あとはニュースで引き分けを知り、一安心。首都高はいつもの事ながら休み明けの渋滞で、5分の遅れ。イメージ 1ANAチェックインは「eチケット」skipで手荷物検査も搭乗口もスイスイ。座席は3人シートだったのですが、一人体調不良でキャンセルになったので、空席のまま楽に座れると思っていたら、大柄の男性がキャンセル待ちで座り、ショック。定刻に、札幌千歳空港到着。イメージ 2先着のT君が借りておいてくれたレンタカーに乗り、昼食は「札幌ラーメン「王将」で白味噌ラーメンを食べ、藻岩山へ。ここの展望台(531m)からの夜景は、北海道3大夜景の一つなのだが、昼間に観光。でも市街地がよく見渡せ良かったです。
  イメージ 3   イメージ 4

 ここから、「羊ヶ丘展望台」へ。イメージ 5ここは、クラーク博士像で有名で、農業試験場の一部を開放したそうです。ソフトクリームが美味でした。ここから、一路、月寒のO君宅へ。イメージ 6庭には、ジンギスカンBBQのセットが既に準備されていました。別働隊の二人も揃ったところで早速、塾卒業50周年とO君の快気祝い、W杯日本の勝利等々を祝して乾杯。、マトンやラムといった羊肉やほっき貝やつぶ貝もたくさん焼いてくれ、お腹いっぱい食べました。
  イメージ 7   イメージ 8
 S君が見事にほっき貝やつぶ貝を捌いてくれたのには驚かされました。後片付けを終え、居間でのデザートには、夕張メロン、十勝ジェラード、月寒あんぱんなど名産が出されました。初めて食べる名産品もありましたが、どれも美味しく、一同大感激でした。
  イメージ 9    イメージ 10  イメージ 11
その後、私はJRタワー展望台に夜景を見に行きましたが、写真撮影は上手くいきませんでした。戻ってきても、飲みながらのダベリングが続いていました。そして、翌6/27の天気予報(雨)を気にしながら就寝。
6/26(火)晴れのち雨 小樽積丹→雷電海岸  三浦屋旅館(泊)
<コース>
小樽運河→堺町通り→天狗山→余市→島武意海岸→神威岬→雷電海岸
<紀行>
*今日の運転当番は私。高速道(札樽自動車道)に乗って小樽運河へ。運河の写真を撮ろうとして、カメラを忘れてきたことに気づきO君に連絡。遅くまで飲んでいた部屋に忘れてきたこと確認。これから2日間スマホのカメラで充電を気にしながら撮影せざるを得ませんでした。(悲!)
   イメージ 12    イメージ 13
北のウオール街や堺町通りを散策して、北一硝子三号館などガラス細工やオルゴールの土産店を回って休憩は待ち合わせ場所の「メルヘン交差点」角の喫茶店「銀の鐘 一号館」でお代り付きの珈琲を飲みました。ここはカップ記念持ち帰り出来ます。イメージ 14無事、合流後、北海道三大夜景(函館山、藻岩山)の一つにあげられる天狗山へ。昼間でしたが、積丹半島、石狩湾、小樽湾が一望できました。
 ここから、「余市ニッカウヰスキー蒸留所」へ。3種(シングルモルト、スーパーニッカ、アップルワイン)の試飲が出来ました。荷物が重たくなるのでアルコールの土産は買いませんでした。
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帰りに、TVで見慣れたニッカ工場の正門が眼に入り私たちは裏口から入場したことに気がつきましたが後の祭り。イメージ 17昼食は美味しいウニの店という事で、T君が予め調査してくれた「純の店」へ。イメージ 18ところが、時間が遅かったため、ウニ丼は売り切れ。仕方なく、三浜丼(ウニ・甘エビ・イクラ)を食べましたが、ウニの量も多く満足でした。満腹になり、島武意海岸へ向かう途中、雨がパラツキ始めました。ここは日本の渚百選に選定されていますが、展望台から渚まで下りる元気はありませんでした。
  イメージ 19  イメージ 20  イメージ 21
 次の神威岬に向かう道中、キツネに遭遇。慌ててシャッター切りました。神威岬も細い道を歩いて20分位で先端まで行けるそうですが、「女人禁制の門」付近で全景を眺めて終わりにしました。
   イメージ 25  イメージ 26 
  ここから、宿泊する「三浦屋旅館」へ。高台の宿からは日本海の景色が見えました。義経や弁慶の伝説が残る雷電海岸です。「弁慶の薪積岩」は分かりつらかったです。雷電温泉街は過去9軒の旅館があったそうですが今は三浦屋旅館を残して廃墟の温泉となっています。
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 温泉は源泉を加水無しで使っているため、湯温が熱めといわれましたが、私にはちょうど良かったです。料金はリーズナブルで女将さんのおもてなしも感じよく、食事も美味しかったです。ただ、トイレ設備が古くちょっと残念でした。雨夜にも拘わらず、イカ船の灯が坩貔に点灯している様に風情を感じました。(その2に続く)

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