感動しました名犬チロリお一人で見てください読んでください
日本初のセラピードッグ 名犬チロリ
現在、多くの医療機関や福祉施設で活動しているセラピードック。 回復への希望を失ったお年寄りや、重病の患者に笑顔を取り戻し、リハビリへの意欲を駆り立てる。 そんな彼らは数々の厳しいトレーニングを積んだ、言わばエリート犬。
しかし、意外にもその第一号は・・・不幸な境遇に生まれ育った一匹の捨て犬だったのである。
以下動画内容と同じです
このチロリの生涯にある転機が訪れたのは今から16年前のこと、大木さんがある廃墟裏を通りがかった時だった。 捨てられていた母犬と5匹の子犬を取り囲む子供達が目に入った。
母犬は不格好な体型の雑種だった。 しかしそれ以上に目に付いたのは、食い込んだ首輪や足にのこる虐待の痕だった。
大木さんはブルースシンガーとして、アメリカを拠点に生活をしていた。 この時も仕事での一時帰国。 捨て犬をかまっている余裕などあるはずがなかった。
しかし・・大木さんは数少ない仕事の合間に、飼い主探しを始めた。 大木さんにはどうしても放っておけない理由があった。 それは少年時代、大木さんは重度の吃音障害で言葉をうまく発することができずいじめにあい、人と話すのが恐ろしくなっていたのだ。 しかしそんな彼の帰りを暖かく迎えてくれたのが愛犬のマリーだった。 大木さんは愛犬に傷ついた心を癒されていくうち、障害を乗り越えることができたのである。
こうしてシンガーの道を歩み出す傍ら、アメリカの医療現場で活躍するセラピードッグの存在を知り、自らも20年以上ボランティアで活動に参加していた。 自分だけでなく多くの人々が犬に救われる姿を見てきた彼は、チロリたちを見捨てることができなかったのだ。
大木さんの努力が実り、子犬達は信頼できる飼い主のもとへと旅立っていった。 そして、残るはチロリだけになった頃・・。 何と、子供たちが目を離した隙にチロリが動物保護センターへと連れて行かれてしまったのだ。
さらに保護された犬は5日間引き取り手が来ない場合、翌朝一番に処分されるという決まりがあったのだが。 チロリが保護されたのは5日前だったのだ。 つまり翌朝、チロリは殺されてしまう可能性が高いのだ!
大木さんは動物保護センターへと急いだが、大木さんがセンターに着いたときにはもうすでにセンターは閉まっていた。 果たして、チロリの運命は?
翌朝、大木さんが動物保護センターに行くと・・・チロリは無事だった。 実は昨晩、大木さんは藁をもつかむ思いでメッセージを書きセンターの至るところに貼っていたため、それを見た職員が処分を見送ってくれたのだ。 こうして一命を取り留めたチロリだったが・・問題はまだ山積みだった。
大木さんはチロリをある場所に連れて行った。 ここは、いつか日本でもセラピードッグを広めたいと大木さんがはじめたトレーニング施設。 しかし運営はポケットマネーで賄っていた為、9匹の犬に対しスタッフは僅か二人というぎりぎりの体制だった。 ここでチロリを育てたいという大木さんに、スタッフはそれが難しいことなのは大木さんが一番分かっているはずだと言う。
実はチロリにはセラピードックになれない事情があった。 犬は犬種や生い立ちにより大きく性格や行動が左右されるため、どんな両親から生まれどんな生い立ちを過ごしたかわからないチロリをセラピードッグにするのは、リスクが大き過ぎたのだ。
大木さんの強い願いにより、飼うことだけは許されたチロリ。 しかし他の犬は自分の倍近くある大型犬ばかり、当初は威圧され輪にも入れなかった。
そして2ヶ月後、予期せぬことが・・・。 大木さんは驚くべき光景を目にする。
当時末期ガンにより闘病生活を行っていたハスキー犬がいたのだが、チロリはどの犬よりも心配し常に寄り添っていたのだ。 それだけではなかった、歩いてもすぐに立ち止まってしまうハスキー犬に歩幅を合わせ励ますように歩いていたのだ。
その姿は訓練を積んだセラピードックそのものだった。 チロリは誰に教わることもなく、それを行っていたのだ。
大木さんは、チロリをセラピードックとして訓練してみようと決意する。
大木さんが目指したのは、重病患者とも接することができる1ランク上のセラピードッグ。 それは、より高度な技術を必要とした。
例えば、車椅子や杖をついた人に合わせて歩く『ホイールチェアマナー』や、『ケインウォーク』、寝ている人への身のゆだね方を学ぶ『ベットマナー』、患者と目を合わせ意思の確認をする『アイコンタクト』など、全50以上の教育課程は全てを終了するまでに通常2年はかかる困難なものだった。 チロリはどんなに難しい訓練にも根をあげず、順調に技術を身につけていった。
だが・・・杖をついた人と歩く『ケインウォーク』の練習中、杖を手にした瞬間、突然チロリは逃げ出してしまう。
チロリは杖に怯えていた・・・それはチロリが棒のような物で虐待されてきたという証拠だった。 しかし大木さんはあきらめなかった。 チロリを自分んのベットに入れ、杖と一緒に寝ることで杖は痛めつける道具ではないと教え、人間への信頼を取り戻そうとしたのだ。 大木さんは時間の許す限り、チロリとこうして過ごした。
そして・・・2ヶ月後。 チロリは見事に杖への恐怖心を克服したのだ。 さらに、他の技術も恐るべき早さで習得していった。 特にチロリが能力を発揮したのは・・・アイコンタクトだった。
こうしてチロリは、先にトレーニングしていた犬たちを追い越し日本の犬で初めて、セラピードッグの訓練を終えたのである。
そしていよいよ、福祉施設を訪れるときが来た。 当時の日本ではセラピードッグの認知度は低く、訪問許可の下りた施設で結果を出し、評判を広めていくしかなかった。 果たして、訓練を終えたセラピードッグたちは患者さんに効果をもたらすことができるのか・・・?
中里栄子さんは転倒事故で頸椎を損傷し、車椅子生活を余儀なくされた。 そのつらさから笑顔を忘れ、回復の可能性もあった手のリハビリさえ行おうとしなかった。
さっそくチロリは、中里さんに対しアイコンタクトを始めた。 しかし、中里さんの表情は険しいままだった。 その後も何度か施設を訪れたが、彼女が心を開くことはなかった。 やはり、深刻な症状の患者さんに効果を出すことは難しかったのか・・・。
しかし、チロリだけはあきらめていなかった。 アイコンタクトをし続け、障害のある手をなめると・・痛みからリハビリをしようとしなかった手で、頑張ってチロリの頭をなでたのだ。 そして喜んだチロリが得意の笑顔を見せると、無表情だった中里さんもつられて忘れかけていた満面の笑顔を見せたのだ。
その後も数多くの人々に、忘れていた笑顔や境遇に向き合う勇気を与えたチロリ。 評価は徐々に高まり、2003年には協会を設立。もはやセラピードックの力を疑う者はほとんどいなくなり、全国から訪問依頼が届くまでになっていた。
そんなセラピードッグの発展に大きく貢献したチロリだったが、人間の年で80歳になり、徐々に体調を崩すようになっていった。 そんな時・・検査のために訪れた病院である事実を告げられる。
乳ガンにより、余命3ヶ月とのことだった。 チロリは老いも重なり、すでに手術ができない状態だった。 身を呈して人間を救い続けてきたチロリ、大木さんがそんな彼女にできるささやかなお礼は最後のときをそっと穏やかにすごさせてあげることだった。
すでに多くの後輩犬が育っていたため、チロリなしでも活動は可能になっていたのだ。 しかし、それは新たなメンバーで施設を訪問しようとしたときだった・・・。 チロリが大木さんらの後をついてこようとするのだ。
チロリは休むことより、自分を待っている人のところへ行くことを選んだのである。 チロリはいつも通り、多くのお年寄りを勇気づけた。 痛みを和らげるため、モルヒネを投与されていたチロリ。 どれだけ意識があったかはわからない、しかし最後まで笑顔を絶やすことはなかった。
そして一ヵ月後・・チロリは天国へと旅だった。 最後に彼女はあの強いまなざしで、アイコンタクトをし、大木さんへ『ありがとう』と伝えてきたという。
虐待を受け、捨てられたチロリの一生は恵まれたものではなかった。 そんなチロリが、なぜあそこまで多く人を幸せにできたのだろうか・・? 厳しさや、悲しみや辛さを味わってきたチロリ、だからこそ同じよな人たちの気持ちがわかるのだろうと、大木さんは言う。
チロリが多くの人々に与えた奇跡・・。 それは、私たち人間がつい忘れがちな『相手を思いやる心』を伝え続けた結果だったに違いない。
チロリがこの世を去って4年。 今も大木さんはチロリの後輩達を連れ、全国各地の施設を訪問し続けている。 そんな大木さんには、チロリと出会った後ずっと続けていることがある。 それは・・動物保護センターから殺される寸前の捨て犬を救い出し、セラピードックに育てること。
失われかけた命が今では多くの人を救っている。 どんな犬でもしっかり愛情を注げば、セラビードックになれる可能性があるとチロリが証明したのだ。
『奇跡体験!アンビリバボー』より
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