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自分のメモを兼ねて、道具についてのブログを再開します。 しばらくはコメント欄を閉じさせていただきますが、Twitterと連動して書く予定ですので、もしもTwitterに参加されている方でしたら、そちらにご意見など、お願いいたします。 さて、第一回は、三条鉋鍛冶の祖、「栗林信吉」についてです。 鉋の二大産地のひとつ、新潟県三条の鉋は、どのようないきさつで作られ始めたか・・・・ということについては、他のサイトに詳細がございますので省略しまして・・・・ 三条における鉋製作の黎明期に、与板から何人かの鍛冶が来往しています。 その中で、坪井幸道→龍眠斉道次→兼行→堤氏の系統や、河内庄次→永弘、初弘系統は、後継者があるため、比較的、伝承が明らかです。 しかし、これらの系統とは別に、与板から移ってきた鍛冶の中に「栗林信吉」がいました。 しかし、栗林信吉には後継者が無く、一代で廃業したために詳細は不明です。 そこで、三条市役所や、三条の鍛冶に詳しい方の協力をいただいて、この栗林信吉についてまとめてみました。 きっかけは、骨董市で入手した鉋が、栗林信吉の作ではないかと思ったことからです。 栗林信吉は、三条市史に、「三条鉋鍛冶の祖」と記された人物で、明治17年、35歳の夏に、与板から三条に移ってきたこと、父親が与板の農具鍛冶であったことや、次男であったことなどが伝わっています。 主に「鶏印」の作銘で鉋を打ったと伝えられていますが、その製作した鉋の現品が存在するという話は聞いたことがありませんでした。 このたび入手した鉋は、”鶏の作銘”ではありませんが、「鶏」の絵が刻印され、龍眠斉兼行とよく似た桔梗紋があります。 銘ははじめ判読できませんでしたが、篆書体で「信吉」であることが判りました。 以上のことから、この鉋の作者は「栗林信吉」にほぼ間違いないのではないかと考えます。 地金はスのない日本鉄、鋼は今のところ不明ですが、火花試験で炭素鋼であることは確かです。 造りは薄手で、ウラスキも浅く精密で、鋼は薄く乱れがありません。 コバの鑢目は、ほぼ縦ヤスリで、粗く仕上げられています。 背中の肉抜きは会津のものほど深くはなく、ほぼ火造りで成形され、縦方向に最小限のセンがけがなされています。 印象としては、たいへん出来の良い鉋で、頭の形も近代的です。 砥石当たりからの感触では、鋼の硬度は十分です。刃先に鑢をかけた印象では、ムラもなく、理想的な熱処理がされているようです。 それにしても、この鉋の作者が栗林信吉だとすれば、この洗練された鉋の造りを、どこで、誰から学んだのでしょう。 堤氏の系統に通ずる印象もあり、桔梗紋もあることから、同郷である龍眠斎あたりに師事していたという事も考えられます。 「栗林信吉」、まだまだ不明な点も多くありますが、この鉋を手がかりとして、三条鍛冶の歴史の一部に光が当たればと考えます。 調査協力 三条市役所経済部商工課 メモ 栗林信吉 嘉永二年、与板の農具鍛冶、栗林権平の次男。 明治十七年夏(九月?)与板から三条へ。 明治四二年九月二十日死去。(六十歳) 嗣子はなく、弟子筋に外山兼吉がいる。 兄、権内はチョウナ鍛冶。明治十七年与板にて四十三歳没。 龍眠斎兼行は信吉より五歳年長。 河内庄次は、信吉より十二歳年少。 Twitterはこちら→ https://twitter.com/windbelldb |
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