北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

「パソ街!」101―105

[ リスト ]

(百五)

                    (百五)



「どうしたの、まずい?」

「あっ、ごめん!んんーん、美味しいよ」

サッチャンは早起きして二人分の弁当を作って来てくれた。私は駅

の売店で買った缶ビールの一つを彼女に渡してからひと口流し込ん

で、彼女が作ってくれた彩りのある弁当を褒めて、結びの次に存在

感のある鮮やかな黄色の厚焼き玉子を口に入れた。窓の景色は見ら

れることを拒むかのように高速でスクロールされていた。口に入れ

た玉子焼きに少し違和感を覚えた。食べ親しんだものと違って癖が

残った。新幹線はあっという間に東京を離れてしまった。玉子焼き

というのはどうして家庭によって味付けが違うのだろう。いや、ひょ

っとして味付けではなく、それぞれのスーパーが仕入れる鶏卵業者

の飼育の違いが微妙な味の違いになっているのではないのだろう

か。そんなことを思いながら窓の景色を追っていたら食べることを

忘れて考え事をしてしまった。私は慌てて咀嚼して飲み込み、「うま

い!」と言ってから追うように結びを頬張った。春の空は雲一つなく

、まるでホームレスが作ったテント小屋の中から見上げるブルーシ

ートのように青かった。いや、やっぱり飼育の仕方なんてどこも同じ

だよ、きっと。二切れ目の玉子焼きを口にしたときにはもう何も気に

ならなかった。

 ひとたび春が訪れても、「春は名のみの風の寒さや」と歌われるよ

うに、そうは言っても日ごとに勢いを増す陽射しが車窓から飛び込ん

で来て車内のいたる所で反射を繰り返していた。都心ではビルに遮

られて光と影がはっきりと分けられいたが、東京を過ぎた辺りから車

内に閉じ込められた光線が陰になっていた隅にも届くようになった。

ほぼ満席の車内はその明るさと暖かさに促されて和みはじめ、やが

てあちこちから会話が聞こえてきた。そしてその内容から日常を逃れ

た人々の言い訳がましい歓びが伝わってきた。窓越しの空は雲一つ

無い青空で、まるで冬の重たい雲ばかり描いていた画家が春の雲の

描き方が判らずに途中で投げてしまったキャンパスのようで、その物

足り無さが東京を逃れた乗客たちの緊張を解したのかもしれない。

空は、ただポカンとしていた。どこの座席からか中年女性の大きな笑

い声が聞こえてきた。ポカンとした春の空と屈託のない女性の笑い声

が妙に調和していた。私は笑いを堪えて顔を車窓に近づけ、ブルーシ

ート色した東京の空の記憶を拭い去る為に、何度も本当の空の青さを

確かめた。

「気を付けていてもどうしても間違っちゃうんだよ」

「シャンプーとリンスを一緒に買わないからよ」

「えっ、一緒に無くなるの?」

「だって同じ量を一緒に使えば大体一緒に無くなるじゃない」

「リンスなんて滅多に使わないからな」

「あっ、そうなの、男の人って?」

「いやっ、僕だけかもしれない」

私はサッチャンが作ってきた弁当を平らげて、その前に飲み干した

ビールの酔いも手伝って、中年女性に負けない位に周りを気にせず

に話していた。サッチャンは信じられない位ゆっくりとまだ弁当を

食べていた。折角食べやすい様に結んだおにぎりをわざわざ箸で崩

してから口に運ぶ量の少なさに、作ってきた本人に対して思わず、

「どうしたの、まずい?」と聞くところだった。

 どういう経緯からシャンプーの話しになったのか忘れてしまった

が、自分はシャンプーを買いに行って何度も間違ってリンスを買っ

てしまうことを話した。そうなんだ、事実僕の部屋には間違って買

わされたリンスが5つも置いてある。詰め替え用のパッケージの表

示が小さくてほとんど見分けがつかなくて、二度間違った後からド

ラッグストアで細心の注意を払って、間違う客が多いのだろう、バ

ス製品のコーナーに大きな字でシャンプーと書かれた棚を何度も確

かめてシャンプーを手に取り、ミッションをクリアした安堵感から

部屋に帰ってから安易にシャンプーの容器に移し変えてしまい、そ

れでもリンスだとは努々(ゆめゆめ)気付かずに、頭に擦り付けて

も泡立たないことに失意が蘇り、豈(あ)に図らんや、三度までも

騙された恨みに、頭を抱えたまましばらく動けなかった。その時に

私は、これはメーカーの策略だ、と感づいた。事実、容器に残って

いたシャンプーは使えなくなるわ、シャンプーの容器に入れたリン

スもダメになって、実際もう一度シャンプーを買わなくちゃならな

い。呆然と立ち尽くしたまま頭を洗って出直すことさえ出来なかっ

た。ただ、あれほど慎重に確かめたのに、何故リンスを手にしてし

まったのか。他の客が間違って戻したのだろうか。それとも販売店

もメーカーの販戦を渡りに船とばかりに乗っかって、十個に一個は

リンスを紛れ込ませているのかもしれない。リンスを使わない者に

、置いていても仕方が無いから、とリンスを使う習慣を定着させる

ことが狙いなのだ。それならそれで、もうシャンプーやリンスの表

示を止めて、いっそ同じ棚に一緒に並べて「当たり」と「外れ」に改

めてくれた方が気分が納得する。そうでなければ、何故メーカー

はシャンプーとリンスの違いを一目で判るようなパッケージにしな

いのだろうか。ただそれ以来、私はどんなことがあってもリンスを

使わないぞ、洗剤メーカーの販売戦略に引っ掛らないぞと固く誓

ったのはいいが、それからも間違い続けている始末だ。

「日本中の浴室には間違って買われたリンスが必ず置いてあって、

それが洗剤メーカーの大きな売り上げになっているんだよ、きっと」

「へへへっ・・・」

あっ、今のはサッチャンの笑い声だよ。

  殺風景な駅のホームに何度か停車して、車内は幾分空いてきた。

軽くなった電車は更に軽快に疾走した。それは羽根さえあれば地上

を離れて大気圏外へも飛び出してしまいそうに思えた。中年女性の

笑い声は相変わらず聞こえてきた。サッチャンは、やっと弁当を食

べ終えて、話しが途切れ出したらカバンからi-podを取り出した。

「何を聴いているの?それ」

「へへへッ」

「自分の曲?」

彼女はヒット曲もある歴っきとしたミュージシャンなのだ。

「違う、ビバルディ」

「ビッ、ビッ、ビバルディー」

彼女はそのイヤホーンを私の耳に近づけてスイッチを入れた。ビバ

ルディの「四季」の第一楽章「春」が始まりだした。私は人気作家

のように曲を聴いただけで誰の演奏か言い当てることなど出来ない

が、ビバルディの「四季」だけは分かった。

「ねっ!いい曲でしょ」

「どうしたの、もう歌わないの?」

「んんっ・・・。」

サッチャンは少し間をおいて、

「実は、この曲に歌詩を付けようと思ったの」

「うん」

「でもどうしてもダメだった」

彼女は続けた、

「もしかして、いい曲というのは歌なんて要らなんじゃないのかな

って」

「うん」

「で、歌詩が作れなくなっちゃった。」

「ふーん」

サッチャンは詩が作れなくって苦しんでいたが、それは彼女の恋愛

と深く絡んでそうなのでそれ以上聞くのを止めた。バロックに会い

たいという思いも恐らくその辺りにありそうだ。ただ、サッチャン

はイヤホーンをするなりビバルディなど聴く間もなくすぐに眠って

しまった。彼女は「歌は思えど 時にあらずと」寝息を立てていた。

 北国の春はまだ名ばかりだった。

                                  (つづく)

.
ケケロ脱走兵
ケケロ脱走兵
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(2)
  • toshimi
  • Yuka Shibayama
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事