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(七十二)
サッチャンからの電話だった。
「バロックから連絡が無いんだけど、何か知ってる?」
私はつい先日連絡があったことを告げた。
「えっ!」
彼女は絶句した。私も言った後で、バロックがサッチャンには何
も知らせてないことを知った。
「信じられない!」
そう言ってからサッチャンは、バロックのことを聞き出そうとし
た。サッチャンは私にとっては謂わば恩人で、乞われれば言わざ
るを得なかった。私は恐る々々言った。
「路上しばらく止めるって。」
「えっ!、どうして?」
彼女のツッコミは早かった。
「さぁあ?」
私はバロックがどうしてサッチャンにもその事を言わなかったの
か考えていた。
サッチャンはヒット曲の後、イメージチェンジをした新曲を出
した時、ある音楽関係者との熱愛が報じられた。私も関心を押さ
え切れずにコンビニでその雑誌に載った写真を見た。深夜の物陰
で人目を憚らずに抱擁する男女の姿が写っていたが、その女性が
サッチャンかどうかはヘソのピアスが見えなかったのではっきり
しなかった。相手の男は、雑誌によれば、既婚者だった。その頃
は、サッチャンも忙しくしていて、バロックにも私にも事の真意
を伝えることなどなかった。いまさら蔽った土を穿り返して覗き
込むつもりなど無かったが、私は、恐らく私以上にバロックも、
もどかしく思っていた。ただ女性は、否、サッチャンは土で蔽い
隠してしまえば後は何も無かった様に振舞えた。「あっ!」私は
、何故バロックが急に東京を去ったのか判った。バロックが東京
を出たのは将にその頃だった。
「ねえ!聞いてる?もうっ、何か知ってることがあれば教えてよ
。」
「あっ、ああ・・・。」
私は何を言っていいか判らなくなって、もう一度順序立てて考え
てからでないと、思っていることを軽々しく口にしてはいけない
と思い、話しを逸らした。
「あっ、今度、個展をする事になったよ。」
「へえーっ、おめでとう。すごいわね!」
「ありがとう、ほんとに君には感謝してる。」
「何時?」
「まだまだ先、来年だよ。」
「必ず行くからね。」
「ありがとう、決まったら教える。」
私のチェンジは成功したかに思えたが、
「バロックも知ってるの?」
「あっ!知らない。決まったばかりだから。」
「ちょっと、バロックのことちゃんと教えてよ。」
「ええっ!」
私は、女社長から個展の為に二十号(727×530mm)を超える
大きな絵を描くように言われた。それまでは六号(410×273mm)
までの絵しか描いた事がなかったので、同じ大きさの絵ばかりでは
詰まらないと言われて安請け合いをしてしまった。ところが、これ
が全く上手く描けなかった。ただ大きくすればいいという訳にはい
かなかった。短編小説なら纏まりのある話しも、広げてしまったが
故に辻褄が合わなかったり、明らかな嘘が露呈したり、まるでこの
小説のようになってしまった。ただ、作家にしろ画家にしろ、凡そ
創造に携わる者にとって無くては為らぬ能力とは何かと言えば、嘘
を上手く吐く能力である。サッチャンからの電話は、有りもしない
空間を墨で塗りつぶしながら、どうすれば上手く騙せるかと苦心し
ている時だった。
「ちょっと、会えないかしら?」
電話での遣り取りにもどかしくなったサッチャンがそう言った。
サッチャンは元の学校へ復学していて、その学校はこのアパート
のすぐ近くだった。それでも、私はメールの交換をしても、会い
たいとは思わなかった。それはバロックに遠慮してというよりも
、ホームレスだったという負い目が、サッチャンに限らず若い女
性に対してあった。もちろん男としての性的欲望は寝てる間に満
ちて、朝起きるとゲージの針は上を向いていたが、その欲望を充
たす相手は何時もバーチャルだった。私はこれを「自虐視姦」と
呼んだ。
「校門の前に居るから。」
私は、恩人の命令に逆らえず、サッチャンの学校へ向かった。
(つづく)
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「パソ街!」71―75
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