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(三十四)
路上ライブを終えた駅前広場には幾つもの街灯が陽の影になっ
た大地に人工の明るさを降らした。しかし、その上には漆黒の闇
に浮く満月が街灯に負けじと光沢を増して現れていた。歌い終え
たサッチャンことチカコは「路上」を通り過ぎて、かぐや姫のよ
うに「スター」を目指して天上に昇ろうとしていた。やがて音楽
事務所の者が迎えにやって来て、彼女はバロックの翁にその事を
涙を流して告げた。バロックは、
「よかったやん!」
ただ、音楽事務所は路上ライブをこのまま続けて、その延長でデ
ビューさせるつもりでいたが、明らかに彼等が売り出そうとする
彼女のイメージと、バロックの横で歌う彼女の曲は繋がらなかっ
た。そこで、彼等はバロックを説得してバックアップをするので
彼女に合ったラブソングを選曲してくれる様に言ったが、バロッ
クはアッサリと断った。予想しなかった拒絶に戸惑った彼等は、
「わかった!君も一緒に使うからさ、それならいいだろ?」
彼等はバロックにも所属契約を結んでCDの制作も約束すると言
ったが、バロックは、
「嘘っぽい!」
そう言って断った。彼には到底今流行りのラブバラードなどは歌
えなかった。
「今の音楽は変な宗教に洗脳されてるちゃうか。」
「何で?」
「聞いてても現実が見えてけえへんのや。まあ、気持ちは癒され
るのかもしれんけど。」
「そう言えばコンサートで客が動きを合わせているのを見た時、
そんな感じはしたよ。」
「気持ちわるいよな、アレ。」
「新しい賛美歌かな?」
「否、歌詞だけ見るとお寺の門前に書かれた念仏と変われへん。」
「有り難いけど、役に立たない?」
「音楽なんて元から約に立たんよ。」
「じゃ、何なの?」
「おもろ無いんや、説教っぽくて。」
「あっ、それで宗教なんだ。」
バロックもまた生きていくテーマを見つけられない一人だった。
彼は宗教批判が祟って天上からの使者のお迎えは無かった。
「ところでバロックってどんな音楽だっけ?」
私の質問に彼は何も言わなかった。
こうしてまたバロックは一人に為った。当初、音楽事務所の者
はその広場で別のユニットを組んでサッチャンを歌わせようとし
たが、彼女がバロックに気を遣い固辞した為にその話は流れた。
バロックは以前のように中年オヤジを相手に深夜に及ぶ泥酔いラ
イブを復活させたが、私はサッチャンが居なくなった事で稼ぎを
失った。私は決して絵が上手い訳では無いが、ひとたび路上で恥
を曝すと、案外人の冷たい目にも馴れて、「案ずるより産むが易
し」とはこの事だと実感した。折角、産んだものを見殺しにする
のも忍びないので、もう一度路上で絵を売りたかったが、さて、
私は何を描けばいいのだろう?そんなことを思いながら朝まだ暗
い中から牛乳配達をしていた時、マンションの八階当たりの外通
路から、東京湾へ拡がる街並の上に、西の空には漆黒の宇宙に散
らばる星座の煌きを従えた半月が、澄んだ大気の中で朧ろではあ
るが冷たく光り、東には何処までも続く家並みが空に迫り、その
狭間から日の出を知らせる陽光が眠りから醒めぬ雲を朱に染めて
、さらに漆黒の闇を薄めて明と暗が水墨画のように微妙に変化し
て、正に私の前で夜と朝が対峙していた。闇の漆黒に瞬く星、朧
げな月、眠る街並に灯る明かり、夜明けを知らせる陽光の白や黄
色、白雲に映る朱色、空の青、高層ビルに反射するメタリックな
光、それぞれが刻々と移り変わり見飽きることは無かった。
「ああっ、私はこんなところで生きていたのか!」
気付かなかった今までを取り戻すように、配達を忘れて何時まで
もその景色を眺めていた。
「一体何時までかかってんだよ!何かあったのか?」
会社へ戻ると社長が心配して待っていたが、私は配達が遅れた
理由を言えなかった。
(つづく)
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「パソ街!」31―35
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