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(十九)
ある時期、富士山の麓に居たことがある。一年ばかりだったが
、私は歓んでその雄姿のもとに赴いた。やがて新幹線から生クリ
ームを載せたプリンの頭部が目に入ってきて、さらに期待が膨ら
んだ。はやる気持ちを抑えながら駅に降りた時、なんとも言えな
い異臭が辺りに漂っていた。凡その動物は嗅覚によって危険を察
知して、異常があれば本能的にその場から逃げる、嗅覚は他の五
感の反応よりも優先するのだ。私は思わず降りた新幹線にまた乗
って逃げようと思った。私の富士山へ期待はその異臭によって幻
滅した。生クリームを載せたプリンは、一転、落し紙を載せた野
糞に見えた。
あとで知ったことだが、富士山の麓は湧水が豊富で、水を大量
に使う産業の工場が多く在り、なかでも製紙工場が軒を並べてい
た。その製紙工場が吐き出すパルプの何とも言えない臭いが麓一
帯に漂っていた。そこで一句、
田子の浦ゆ 頭の中はまっ白にぞ 富士の麓に「臭い」降りける
始めの頃はその臭いに辟易したが、不思議なもので何ヶ月か経
つと気に為らなくなった。鼻に付いて飯も喉を通らなかった異臭
も、嗅覚が「これじゃあ敵わない」とスイッチを切ってスゴスゴ
と引き籠った。慣れることは大事なことではあるが、残念なこと
に「美」に関しても我々は慣れてしまう。一目でその美しさに魅
了されて片時も忘れられず側に居たいと願い、いざ想いを手にす
れば、やがて口に入れて、喉元を過ぎれば想いの熱さも忘れて
しまう。恋しくて飯も喉を通らなかったIssue(問題)も、
暮らしが「これじゃあ適わない」と本に綴じて書棚に隠す。
富士山の壮大な風景も、日々の暮らしを重ねるうちに相も変ら
ぬ姿にやがて気にも留めなくなり、改めてその雄姿を眺め直す事
も無く日常に急かされて「酒」口を凌ぐ。
「日本一といわれても毎日見てりゃあ飽きるずら。」
そうして富士山は「美」の対象で無くなり、丁度いいゴミの捨て
場所になる、今では命まで棄てているが。「美」とはその非日常
性ゆえにかくも儚いが、異臭を放ち始めたこの社会で、もう一度
改めて「美」を考え直す事はIssue(問題)に慣れた我々に
とっても大切なことではないだろうか。
(つづく)
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「パソ街!」16―20
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