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(十)
ミコの居ない夜は長かった。様々なシナリオが頭を過ぎって一つ
に決められない脚本家のように落ち着くことが出来なかった。一升
瓶の封を切って自分自身を喪失しようと試みたが、肝心の心の痛み
を消すことが出来なかった。気を紛らすためにテレビをつけたら、
バラエティー番組で、喧しいタレントが東京の歓楽街にある居酒屋
の人気料理にまつわる秘密を、お店が渋るのを説き伏せて今回初め
て取材に応じてくれて公開できることになったので、それをクイズ
にしてゲスト回答者が答えるという趣向だった。しかし、夜に出歩
くものといえば専ら山から下りてきた獣たちが、田畑の実りを狙っ
て我がもの顔で駆け回るばかりの山奥で暮らすワシ等が、何で東京
の居酒屋の人気料理の秘密を知らなければならないのか。
「そんなもん知るかいっ!東京だけが日本ちゃうぞっ!」
そう叫んでテレビを切った。全くこの国ときたら平安の古より未だ
に都の流行(はやり)ものであれば何であれ田舎者はすぐ跳び付くと
思っているに違いない。こんなバカげた番組を安直に垂れ流す地元
の放送局に腹が立ってきて、さっそく文句を言ってやろうと思って
電話を取ろうとしたら、突然呼び出し音が鳴って、反対に向うの方
から謝ってきたか、と訝(いぶか)りながら受話器を取ると、
「お父ちゃん、もう寝た?」
ミコが携帯電話で掛けてきた。
「いっいっいっいま寝るとこや。そっち寒いやろ、風邪ひくなよ」
「うん。それよりか、お父ちゃん!ものすっごい星いっぱい見える
で!」
「そうか、それはよかったな」
「こんど、お父ちゃんも来たらええわ」
「うん、そうする」
「お父ちゃん、早よ寝えや」
「うん、そうする」
ミコの声を聞くと思っていたことの一つも言えなくて、棘立った
苛立ちも萎え痛みも消えて、側にあるソファで寝てしまった。
朝ぼらけ、バロックと連れ立って戻ってきたミコの第一声は、
「お父ちゃん!何で布団で寝えへんかったん」
ソファで横になっているわたしを見てそう言った。
「ナンヤ、ガエッデギダンガ(何や、帰って来たんか)」
「何や!その声っ、ダースベイダーみたいや!」
わたしは何も掛けずに寝込んでしまった為、風邪をひいてしまった。
「カゼ、ヒイダ、ガモシレン。ゴッ、ゴッホ!」
「アホやな、もう今日は部屋で寝とき」
ミコのことばに頷いて、シッポを巻いて自分の部屋へ退散した。ふ
たりに変わった様子はなかったが、わたしが変わってしまったので
二人の間に何があったのかそれ以上のことは窺い知る事が出来なか
った。
だが、そもそも恋愛感情とは動物本能の性衝動である。人が異性
を好きになるのに理由はない。ああだこうだ言う説明はあと講釈に
すぎない。だから、彼女自身も自分の思い通りにならない感情に戸
惑っているに違いなかった。やはりそれは、口には出さなかったが
彼女が抱える身体の不安が大きいのだと思う。いわゆる普通の生活
を尽(ことごと)く奪い取られた思春期の辛い体験は、彼女の想いを
躊躇(ためら)わせるに余りあるものだった。しかし、どんな理由で
あれ感情を押し止めて逃げてしまえば自分自身を失うことになる。
自己とは理性に宿るのではない本能に宿る。何故なら、理性は改ま
るが本能は改められないではないか。自分の想いから逃げないでバ
ロックと向き合い、隠さずに話し合えば、彼の本能に届いて受け止
めてくれるだろう。ただ、彼女は頭の良い子だから、自分のことが
彼の負担になることを怖れて彼の身になって考えようとするかもし
れないが、何度も言うが、本能を理性で封じてはいけない。自己を
本能以外に求めれば、やがて自分自身を見失い、自分以外の大きな
理性に従わざるを得なくなる。自分自身を客観的に見つめる事はも
ちろん大切だが、主観を失った客観に一体何の意味があるだろう。
本能を失って、生きることの哀しみや歓びを実感することができる
だろうか。今の社会のこの閉塞感は余りにも理性ばかりを重んじて、
活きることの歓びを生む本能を封じたことによるのではないだろう
か。バロックも自分自身と向き合って何が大切であるか良く解かっ
ているはずだ。そうでなければ人を避けてこんな山奥で暮らそうと
は思わないだろう。ミコは今、わたしの子供としてではなく、ひと
りの女性として逃れることのできない葛藤と斗っていた。そして、
わたしもまた、こどもの恋愛に親が顔を出すことの愚を堅く自分自
身に戒めながら、余計な親心の葛藤と斗っていた。
「お父ちゃん、クスリ持ってきたで、早よ飲み!」
「アリガドウ、ゴッ!ゴッ!」
「もう、分ったからしゃべりな!はい、お水!」
「・・・」
蒲団の中で横になっていると、わたし達の暮らしが本当に正しい
のか不安になってきた。もちろん、ミコはここで暮らしている限り
症状も治まり健康を取り戻しているが、それでも、友だちも居ない
こんな山奥に年頃の娘を隔離してしまっていいのだろうかと、親と
して娘の幸せを想うと複雑な思いがどうしても残った。華やかな都
会で暮らす彼女と同じ年頃の娘たちから見れば、到底耐えられない
暮らしに違いなかった。もちろん、彼女も同意して移ってきたが、
もう一度ミコの意思を確認しなければならないと思った。
ただ、わたしはもう都会で暮らしたいとは思わなかった。退職を
考えるまでは思いもしなかったが、会社勤めのわたしの一生は随分
前から決められていた。早期退職者の募集に応じて、詳しい説明を
受けていると、もし、会社に留まったとすれば、定年を迎えて老後
を安穏に過ごし、やがて自分が棺桶に納まるまでの先がはっきりと
見えてしまった。その時、わたしの残された選択は、今まで通り線
路の上を走り続けて大人しく棺桶に納まるか、それとも脱線するか
しかなかった。ただ、わたしは自分が棺桶に納まるまで見通せる先
の決った道を選びたくなかった。様々な手続きを終えて、保険を解
約する時に道を外れたことを実感した。始めは大きな不安に苛まれ
たが、ミコの身体の為なら仕方のないことだと覚悟を決めると、周
りを気にしながら他人と同じように生きてきたことが寧ろ馬鹿らし
く思えてきた。今、わたしが歩いている道は曲がりくねっていて、
その先に用意されている筈の棺桶は未だ見えない。
(つづく)
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ゆーさんの「パソ街!」6―10
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