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(十二)
山間地の夏の盛りは短い。野菜の収穫に追われている間に、何時
の間にか朝夕の涼しさに気づき、秋が近いことを知る。それでも日
中の陽差しはまだそれに気づかずに、蝉たちの断末魔の叫び声に応
えて残暑を衰えさせる気配はない。日影がなくなる頃、わたし達は
一日の仕事を終えて、日差しがなくなる頃までそれぞれが自分の好
きなことをして時間を「創る」。バロックは専ら魚釣りに勤しんだ。
ミコも、去年までは籐篭編みに凝っていたが、今年から彼に誘われ
て釣りを始めた。それまで家に籠もってばかり居た娘が、日焼けし
た顔から白い歯を覗かせて笑うのを見て驚かずにはいられなかった。
ある暑い日、魚があまりにも獲れないので釣りを諦めて、バロック
と一緒に川の中に入って泳ぎ方を教えてもらったと嬉しそうに言っ
た。
「水着、どうしたんや?」
彼女はそんなもの持ってなかった筈で、わたしは恐る恐る聞いた。
すると、
「誰も居(い)ーひんのに裸に決まってるやん」
「二人ともか?」
「うん」
それ以来、もうわたしは二人の仲を心配することを止めた。彼女は
小さい頃から塩素消毒されたプールには入れなかったので泳ぐこと
が出来なかった。しかし、自然の中の暮らしが自律神経を回復させ、
育ち盛りの身体は見違えるように健康を取り戻した。ただ、町の中
でも変わらずに居られるかどうかは判らなかった。
「お母ちゃん、もう来られへんて」
三人で夕食を取っているとき、ミコがわたしの様子を伺いながら囁
くように言った。
「何でや?」
「大阪へ行くねんて」
「何しに?」
「修行しに」
「修行?」 「何の?」
「霊媒師の」
「ブッ!れっ霊媒師っ!」
わたしは飲んでいた汁を吹きそうになった。ミコの母親は、従って
わたしの(元)妻は、週に一度訪れてミコの必需品や皆が使う日用品
を届けてくれた。ただ、訪ねて来てもわたしを避けるようにして帰
った。もともと大阪に居る時は、わたしも彼女もミコを助けようと
共に協力し合っていたが、わたしの知らぬ間に彼女は怪しげな世界
へ救いを求め始めた。もちろん、その頃はわたしも勤めていたので
協力するといっても相談に乗るくらいで、ミコの日常生活の総ては
彼女が差配してくれた。ただ、毎日苦しむ娘と向き合って、我が身
に代えてでも助けてやりたいと願う親心から、たとえ掴んだ藁が救
いの綱に見えたとしても責めることは出来なかった。しかし、わた
しのエンジニアとしての認識が彼女の想いを認める訳にはいかなか
った。
「そんなもん成ろ思てなれるんか?」
「お父ちゃん、知らんだけや。お母ちゃんすごいで」
「何が?」
「予知能力」
「よちのうりょく?」
ミコが言うには、彼女はミコが化学物質に被爆するかもしれない場
所を予め知ることができるらしい。
「どうやって?」
「見えるねんて」
「何が?」
「悪い空気が」
「ほんまかいな」
彼女はミコの身を守りたい一念からひたすら気に掛けて神経を集中
させていると化学物質に汚染された空気が漂っているのが見えるよ
うになったらしい。
「お父ちゃん、実は、うちも見えるねん」
「ほんまかいな。なっ!バロックどう思う?」
「いやーっ、ミコもすごいですよ」
「何が?」
「霊感」
「霊感?」
「お父ちゃん、そんなん信じへんもんな」
わたしは娘に「みこ」という名前を付けたことをその時初めて後悔
した。
卑弥呼の邪馬台国は、奈良大和地方に在ったと思う。それは「邪
馬台」という名前が示している。もしも、九州に在ったとすれば、
「邪馬台」の地名を偲ばせる場所がなければならない。しかし「や
まと」は古くからの奈良地方の地名である。人は地名を付ける時に
決して同じ地名を使おうとはしない。つまり、嘗て九州に在った「
邪馬台」の地名を奈良でも使うことは絶対にない。だから、邪馬台
国はもとから「やまと」地方にあったに違いない。因みに、邪馬台
国の「邪」も支那人が「やまと」民族を蔑むために当てた漢字であ
る。
生まれてきた娘を「卑弥呼」の「卑」を取って「弥呼」と名付け
ようとした時、(元)妻が頑なに拒むだろうと躊躇っていたら、寧ろ、
彼女の方が積極的に受け入れた。今から思えば、彼女はもともと神
秘主義に関心があったに違いない。ただ、司馬遼太郎によれば、そ
もそも仏教は霊魂を否定している、と語っている。認めていない。
わたしは技術者としての認識を忘れて、たとえ霊魂が成仏できずに
この世を彷徨っていたって別に構わない。ただ、この世界が我々の
眼に見えない大きな力によって操られていると信じることが耐えら
れないのだ。それを認めてしまえば、我々の力ではどうすることも
出来ない亡者の霊魂に、この世界を預けてしまうことにならないだ
ろうか。自分の意思で生きようとするモチベーションが失われてし
まい、辛いことがあればすぐに信仰に縋ろうとする。それどころか、
巧妙に亡者の霊魂を騙る預言者モドキが現れて、頭を垂れて盲信す
る人々を洗脳によって支配しようとするかもしれないではないか。
亡者の霊魂の存在を信じる前に、まずは自分が生きていることを信
じようではないか。嘗て、宮本武蔵はこう言った、
「神仏を敬い 神仏に頼らず」と。
(つづく) |
ゆーさんの「パソ街!」11―15
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