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(十九)
わたしは今まで事あるごとに、如何なる誘惑に飲み込まれそうに
なっても、決して自分自身を見失わないようと記してきたが、ただ、
こと恋愛について言えばそうとばかりは言えない。そもそも恋愛は
自分自身を失っても愛する人だけは失いたくないと思う感情が優先
し、自分自身を相手に委ねなくてはならないからだ。つまり、恋愛
とは女性にとって人生最大の「企投」なのだ。ミコとバロック、そ
してサッチャンのことを記さねばならない。
ミコとバロックの穏やかな日々は、サッチャンの突然の訪問で俄
かに慌(あわただ)しくなった。サッチャンは、なるほどテレビに出
るだけあって洗練された美しい女性でミコが躊躇(ためら)うのも肯
けた。ただ、そればかりではなく彼女の着ている服からは僅かでは
あるが香水の匂いがした。到着した時は化粧や香水までしていて、
流石にバロックが飛んで行ってそれらの化学物質を落とすように説
得したが、ミコにとってサッチャンは逃れてきた街から遥々(はるば
る)追って来た刺客のように思えたに違いない。
「あんたが呼んだん?」
「違うよ、勝手に来たんや」
「いつ帰んの?」
「さあ?すぐに帰るよ、きっと」
「ちゃんと聞いてきて!」
「そんな失礼なこと聞けるかいな」
「何で?」
「せやかて、わざわざ呼んどいて」
「何やっ!やっぱりあんたが呼んだんやんか!」
サッチャンが現れたことでミコとバロックのリズムがずれ始めた。
実際、バロックが直接サッチャンを呼んだわけではなかったが、
そうは言っても、画家さんが友だちを連れてくることを歓んで勧め
たのも間違いなかった。バロックにしてもそれがまさかサッチャン
だとは思わなかったが、些細な行き違いがミコのこれまでの平穏な
日常を乱した。ただ、面白くなかったのはミコだけではなかった。
サッチャンにしても、かつて路上で共に歌った謂わば同士に万感の
想いを抱いて、もしかしたら恋心さえも忍ばせて会いに来たら、気
性の激しいやかましい女が立ち開(はだか)った。ミコはここへ来て
から随分寛(くつろ)かにはなったけれど、小さい頃から原因不明の
病魔に悩まされたことが彼女の性格を穏やかなものにするはずがな
かった。そのことに関していえば、病気を理由に過保護に育てた親
のわたしの責任も免れない。しかし、ミコはそのトラウマを克服す
るためにもう一度自分自身を見詰め直す機会をここで得た。そして、
こんな山奥で稀有のことだがバロックという愛する人にも巡り逢え
て、大袈裟に言えば、自然に帰って、とは言っても彼女はそうする
より他に仕様がないのだが、近代社会の欠陥を超克するための新し
い生き方の端緒に着いたばかりだった。つまり、ミコにとって自然
に囲まれたこの土地以外に自分が生きることができる場所は、もう
この世界の中には何処にも残されていなかった。
サッチャンは、とてもこんな自然の中で暮らせることの出来る女
性ではなかった。かつては「エコロジーガール」として脚光を浴び
たらしいが、たまたま流行りに乗っただけで、華やかな都会の暮
らしを棄てる覚悟など、こう言っては失礼だが、持ち合わせていな
かった。人々の歓心に応えるために自分を生きていた。だから、世
間のないところでは生きられなかった。つまり、世間一般の極めて
常識的な普通のお嬢さんだった。水が温み、引き篭もっていた生き
物たちが一斉に穴から這い出して種を繋ぐための営みに勤(いそ)し
み始めたムカデやゲジゲジやカエルさえも嫌がった。到着した日の
夜、彼女と画家さんにはわたしたちの家の中の部屋をそれぞれ用意
していたが、彼女が「虫がいる」と言ってダイニングに駆け込んで
来て、
殺虫剤を貸してほしいと言った。わたしは、ミコが体調を崩すので
そういうものは置いてないと言うと「あっ、そうか」と納得したが
困惑していた。つまり、彼女は都市近郊で暮らしながら都合のいい
時だけ「エコロジー」を説く「偽」自然主義者の類にすぎなかった。
わたしはそういう人々を「偽」然主義者と呼ぶ。
バロックはその晩に、サッチャンはどうする心算なのかを本人で
はなく画家さんに訊ねた。すると、
「一週間もすれば出て行くはずだよ」
事もなげに画家さんは言った。バロックは胸を撫で下ろして、
「なんやっ!帰んの、東京へ?」
「いや、たまたま知り合った牧師さんから教会で歌を唄ってて頼ま
れたんだ」
「ふ―ん、やっぱりまだ歌(うと)てんのや」
「うん。それにどうもここは居心地がよくないみたいだし」
すぐに、そのことはミコにも告げられて、ミコも改まってサッチャ
ンをあくまでもお客さんとして遇することを勝ち誇ったように承諾
した。
もちろん、わたしも便利な社会よりも山の中の不自由な暮らしの
方がいいなどとは思っていないが、しかし、我々は便利な暮らしを
送るためにどれ程の豊かさを犠牲にしなければならないかなど実は
解っていないのだ。ただ、自然環境を守るために「出来ることから」
などと言っている限り、消費社会の豊かさを身をもって知る現代人
が、何れ自然循環環境に沿って暮らす日が訪れようなどとは到底思
えない。わたしたちは、ただ、自分たちが使っているモノや捨てた
ゴミがどうなったのか、自然によって分解され再び自然循環へと回
帰していくような環境の中で生きたいと思っているだけだ。だから、
安楽に生きたいとは思わない、ただ、安心して暮らしたいだけなの
だ。そのために逐一要らないものは棄てなければならなかったが、
例えばやたら優劣感情を煽るマスメディアなどは一等最初に不要だ
と思われた。それらに接すると我々の生き方は間違っているのでは
ないかと不安にさえなった。もしも、わたしにこの社会の何が誤り
なのかと問われたら、迷わずに、眼前の結果ばかりを求める狭いカ
テゴリーの中での競争のあり方こそが誤りだと答えるだろう。つま
り、ゴールは我々が思っていたよりもずっと先にあるのだ。そして、
いま我々に求められているのは、経済合理性だけに特化した近代社
会の狭い価値観を見直して、その更なる先にある地球環境の中で生
きる生命体として価値観、つまり、「価値の転換」こそが求められ
ているのではないだろうか。
(つづく)
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ゆーさんの「パソ街!」16―20
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