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(二十八)
夏はすべての子供たちのためにある。古代ギリシャの賢人たちは、
萌え出ずる生き物たちの不思議に「何だこりゃ?」と素直に驚いた。
やがて、「何だこりゃ?」に飽いた大人たちは物知り顔でその仕組
みを説くが、子供たちが本当に知りたいことはそんなことじゃないん
だ。地球は自転しながら太陽の周りを回っていて地軸の傾きが四
季をもたらす、なんて全然答えになってないって思ったはずなのに、
どうして大人になると忘れてしまうんだろう。たとえば虫は何で六本
も足があって飛ぶこともできるのかとか、勉強すれば勉強するほど
みんなと同じように考えるようになるのはどうしてだろうかとか。子
供たちは世界の中で驚き、大人たちはそれを外から眺めるだけ。
だから、大人たちはツマンナイのだ。
もう子供でもなく、かと言って大人とも言えないミコも、口には
出さないが自分の生き方に悩んでいるに違いなかった。しかし、生
き方に悩むことこそが子供心を失いかけていることには気付かない。
ところが、この夏は一気に三人も子供たちが増えて、その子供た
ちが気軽に聞ける相手ということでまずミコが選ばれたようだ。ミ
コは足元にまで纏(まと)わり付かれて窘(たし)なめながらも満更で
もない破顔を見せた。ただ、こと自然の中ではミコに敵う小供など
いなかった。植物の名前や生き物の習性、果てはその獲り方から食
べ方までミコに教わるまで彼らの知らなかったことばかりだった。
ミコは、夜が明けぬ前から起き出して身支度をしてから鶏舎に向
かい、目蓋を落として微睡む鶏たちを起こして回って鶏鳴を促し、
鶏舎を開いて庭に追い遣り、産み落とされたばかりの卵を集めるこ
とから一日が始まる。白々と夜が明け始める頃になると、ミコを慕
う子供たちが眠い目を擦りながら現れて彼女の仕事を手伝い始めた。
とはいっても、面白半分から追い立てるばかりで、時には思いもよ
らぬ反撃に遭いべそを掻いていた。それが終わると牛舎に行って、
かつては十頭余りの肉牛を飼育するために使われていた牛舎には、
乳の出が悪くなった二頭の乳牛を譲り受けて飼っていたが、それで
も十分に家族の需要を賄えるほどで、朝の搾乳はミコの仕事だった。
さすがに子供たちは怖さ半分で近寄ろうとせず、傍らでミコの搾乳
を眺めていた。そして、身軽になった牛たちを木陰のある野原に放
った。朝の仕事を一通り終えると、いよいよ子供たちが待っていた
虫取りに、彼らを引き連れて蝉時雨の山に入って行った。そして、
樹液に群がる昆虫や土の中からようよう這い出して羽化したしたば
かりの蝉を素手で捕まえてみせた。そんな時でもあやちゃんは子羊
のユキちゃんの首に繋いだ紐を放さず連れて行った。
影が短くなる頃には、子供らはもっぱら水遊びを楽しんだ。プー
ルに入ることのできなかった子供たちはミコに見守られながら清流
のせせらぎでそれまでの鬱憤を晴らすかのように大きな歓声を上げ
た。それに飽いたら魚釣り、山登り、午睡、ハイキング、花摘み、
洞穴の探検、山菜取り、木登り、バードウオッチング、編み籠など、
どれもミコが率先して教えた。そして、長い長い夏を終える頃には、
ミコを先頭に顔を真っ黒にした三人の子ども達と一匹の子羊が列を
作って畔道や山道に甲高い声を響かせて静かな山々の生き物たちを
驚かせた。世界はミコと三人の子ども達と一匹の子羊のために存在した。
(つづく)
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ゆーさんの「パソ街!」26―30
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