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(二十五)
あれは、確か中学2年の時だった。学校のテストで初めて学年一番
になって親父に褒めてもらいたくて急いで家に帰ったら、親父は仕
事で家に戻って来ず電話までも通じなかった。次の日が休日で、お
れはとても待っていられなくて京都の実家に寝泊りしている親父に
会いに行ったんだ。祖父母は高齢でしかも玄関の呼鈴が鳴らなくて
も日に三度は「今鳴った?」と二人で確かめ合うほどの俗に「ウナ
ギの寝床」と呼ばれる奥まった住まいで、ところが、呼鈴が来訪者
を伝える時は決まってテレビの大音量に掻き消されて気付くことが
なかったので、勝手知ったる「寝床」に入り込んで親父が使ってい
る部屋の襖を開けた。すると、親父と見知らぬ女が寝床の上でまさ
にウナギのようになって絡まっていた。振り向いた親父は暫く凍り
ついて、
「何でお前はここにいるの?」
そう言った。そうだ!あれは親父の言葉だったんだ。親父はだらし
なくウナギを垂らしたままの姿でこっ酷く叱って、
「お母さんには絶対に言うな!男の約束だぞ」
そう口止めされてゲンコツと同時に思わぬ小遣いまでくれた。あの
時の親父の顔は馴染みのある父親の顔ではなかった。もちろん中学
生ともなれば「寝床のウナギ」が何をしていたか位のことは解かっ
ていた。ただ、親父が言ったあの言葉が頭を離れなかった。
「何でお前はここにいるの?」
「何でおれはここにいるのだろう?」
おれは世界中の色を混ぜ合わせて出来た黒い闇の中を彷徨ってい
た。目に届くのは満天に燦めく星の光だけだった。ところがその美
しさに見蕩れていると大地を踏み外して奈落へと堕ちてしまった。
それは止まることのない永遠の落下だった。落下は自らの意思で抗
うことの出来ない力だ。まるで命綱を断たれた宇宙飛行士のように
なす術もなく宇宙の果てへと堕ちていった。在るのは光と重力だけ
の宇宙空間だった。世界は光と重力で出来ているのだ。そして光と
重力は単なる「エネルギー」だ。さて、おれはその「エネルギー」
を何と言い換えようか?「神」と呼ぶべきなのか、それとも「愛」
とでも。ああ、言葉は何と無意味であるか!その無意味さこそが我
々の総てなのだ。神の言葉がすでに意味を失ったように、いずれ、
我々が残した言葉も笑い種になることだろう。何故なら言葉は移り
変わりを捉えることが出来ないからだ。それは昔に放ったウンコの
ようなものだ。再び出会うことになった時の何とばつの悪いことか。
おれは宇宙の孤独と語るために言葉を棄てた。在るのはただ光と重
力と自分だけだ。しかし、おれは本当のおれだろうか。過去の自分
を自分だと認めることが出来るだろうか?これからの自分を自分だ
と言えるだろうか?もしかして自分こそが他者ではないのか。果た
して自己すら認識できない者に他者の意味を問うことが出来だろう
か。こうしておれの認識は崩壊し自分自身を見失って光と重力に飲
み込まれて意識を失った。
おれは親父を殺めなければならなかった。そうしなければひと
りで生きていくことが出来なかった。親父がおれに説いたことや諌
めたことを覆すにはそうするしかなかった。この自虐社会という宗
教から離脱してひとり生きるには、おれを自虐道徳で洗脳した親父
を殺るしかなかった。ただ、おれは決して憎しみだけで親父を殺ろ
うと思ったのではなかった。この矛盾した自虐社会をぶっ壊す為に、
つまり、「親殺し」はおれの「反儒教革命」の結論だった。
(つづく)
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バロックの「パソ街!」21―25
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