北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

バロックの「パソ街!」21―25

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                  (二十二)




 卒業が間近になってくると、卒業生の誰もが新しい社会へ羽搏こう

として変身し、脱ぎ捨てた抜け殻に未練を留めないようにと急にヨソ

ヨソしくなった。それまで愛想好く声を掛けてきた友人でさえ、顔を

合わしても目線を逸らそうとした。誰もが人生の岐路を迎えて飛び立

つ社会への不安と向き合っていた。この国では18才でその後の人生

が決まる。否、高校入試で既に決まっているとも謂われる。それまで

口にもしなかった仕事の職業訓練を目指す者や、事情があって進学を

諦めた優等生など、他人事ではあるが興味が尽きなかった。そんな中

で、大きな夢を語っていたのはお笑い芸人の養成所を受かった者一人

だけだった。

 おれは、登校しなくてもいいことを幸いに相変わらず城天で歌って

いたが、高校生として歌っている時と明らかに周りの見る眼が変わっ

てきて、何らかの決定を強いられるのが耐えられなかった。

「プロになるの?」

そう聞いてくる者もいたが、自分では納得できる曲が全く作れなかっ

た。地元でやり辛くなったのもあるが、城天で歌うことにも飽いてき

た頃、考え事をしていて私鉄電車の駅まで来てしまい、「そうだ!京

都へ行こう」などと思わず、何気なく京都行きの特急電車に吸い込ま

れた。実は、親父は京都生まれだった。テレビの付いた特急電車は「

テレビカー」と呼ばれて今では当たり前かもしれないが、その私鉄で

は随分以前から走っていて、子供の頃はそれに乗りたくて用もないの

に京都に連れて行くようにせがんだ。もちろん家にテレビはあったが、

多くの子供はテレビを持ち歩けるようになればいいのにと思っていた

ので、「テレビカー」は夢の乗り物だった。だから、「ワンセグ」が

出てもそんなに驚きはしなかった。むしろ遅すぎると思った。大阪市

内を離れるとノンストップで京都市内に滑り込み、親父の実家へ行く

時には、終点に着くと下りの各停に乗り換えて通り過ぎた下車駅まで

後戻りした。ただ、両親が離婚してからは一度も訪ねたことはなかっ

た。車窓からその辺りを眺めたが一瞬のうちに通り過ぎてしまった。

しばらく来ないうちに京都は様変わりしていた。碁盤割された洛中に

千年を越えて軒を連ねてきた瓦屋根の平らかな町並みは、盤を誤った

のか将棋の駒のようなビルが大地から生え出して高さを競い、一瞬に

して平安の暮らしを遮ってしまった。「平城」であれ「平安」であれ、

古(いにしえ)の人々は「平」の字に強い願いを込めたのではないだろ

うかと、平成の時代にふと頭に過ぎった。ただ、観光客に人気の街の

一角だけは取って付けたような京風が演出されていた。内外の使い分

けは京都人が古くから培ってきた生活の知恵である。権力の下では人

は面従腹背と懇ろになるしかない。親父はそれを臨機応変と説明した。

おれはその言い換えこそが京都人らしさだと思った。

 終点の三条駅はいつの間にか地下ホームになっていた。地上に出て

すぐに土下座像に驚かされて三条大橋を渡ると、鴨川の川原にはすで

に何組かの者が演奏していた。しばらく眺めてから、コンビニで地図

本を買い、歩いて「イノダコーヒ」へ向かった。そこは京都ではよく

知られた珈琲専門店で、親父と一緒に京都へ来た時は必ず連れて行か

れた。ここのコーヒカップは今も愛用しているほどだ。カウンターに

座って「コーヒ」を頼んで地図を眺めた。さすがにノッけから鴨川の

川原でやるには気が引けた。すぐに砂糖とミルク入りの「コーヒ」が

出てきた。スプーンで混ぜながら地図を見て、「城天」のような場所

を探していると円山公園が眼に留まった。円山公園の野外音楽堂とい

えば、かつて関西フォークの拠点として、高石ともや、岡林信康とい

ったシンガー&ソングライターの草分けを輩出し、あのザ・フォーク

・クルセダーズを産んだ伝説の場所でもあった。

「よしっ、決めた!」

おれは「コーヒ」を飲み干して円山公園に向かった。

 珈琲店を出るとその通りを下って町家を抜けた。京都は大仰に「京

都らしさ」を掲げた処ほど京都らしくない。それは観光客の要望に応

えて外向けに演出されたものだ。ただ、人の訪れることのない忘れ去

られた処で時間が止まった懐かしい風情と出会うことがある。静けさ

が心地よい町家の一角に質素な和菓子屋を見つけ、拳ほどもある牡丹

餅を買った。帰り際にはおばあさんの「おおきに」に送られて、それ

を頬張りながら八坂神社の石段を登った。

 日本の伝統文化といっても今やその精神は忘れ去られようとしてい

る。茶の湯にしても時代が大きく変わって「わび」「さび」さえ伝え

難くなっているのではないだろうか。合戦に明け暮れる戦国時代の武

士(もののふ)たちが、恐怖に苛まれて非道の限りを尽して殺し合い、

死屍累々たる戦場から生還を果たすと、まず、殺めた者への弔いと自

らの救いを神仏に祈り、一方、茶の湯は凄惨な戦場の対極にあって、

「わび」「さび」は儚きものに宿る美意識によって殺人鬼と化した昂

ぶる魂を鎮めて、再び日常を取り戻す為の重要なこころの拠りどころ

であった。こうして信仰や茶の湯といった文化は、武家社会の庇護の

下でその意義が認められた。ところが、武家社会の消滅と共に本来の

意義が失われ、今ではうら若き乙女達の花嫁修業になってしまった。

そこで行われているのは「お茶会ごっこ」である。同じことが寺院に

於いても言える。つまり、伝統文化といってもその由るべき社会が失

われれば意義そのものが希薄に為るのは避けられない。ところが、そ

の精神だけを無理矢理引っ張り出して再び蘇らせようとするところに、

我々のスノビズム、つまり社会そのものはすっかり変わってしまった

のに過去の精神が性懲りもなく現れてきて「武士ごっこ」や「戦争ご

っこ」といった古臭い精神論が語られる。ただ、旧いズボンのポケッ

トに忘れたものを取り戻そうとすれば、ポケットと一緒にズボンも付

いてくるということを忘れてはならない。ただ道に従えば自ずと救わ

れるというのは旧い世界のことだ。大仰に言えば、我々が今求めるべ

きは、新しい社会に相応しい新しい精神ではないのか。

 「古都」京都を蓋っていた厚く重たい歴史の雲は流れ去って、どこ

までも晴れ渡った観光日和の秋の空が「観光地」京都に広がっていた。

                              (つづく)

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