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(十)
ある日の放課後、北森「教師」に、おれはもう「先生」という曖
昧な敬称は遣うまいと決めた、否、そう呼んであげると満更でない
人にだけ、従ってその人を蔑む時にだけ遣おうと決めた、その北森
さんに職員室へ呼び出されて、乱暴な言葉遣いを注意された。それ
は彼がおれの担任やったから。彼はまだ教師に成り立ての青年やっ
た。
「どうしたんや?最近お前ことば遣いおかしいで」
「実は・・・」
おれは憲法まで持ち出して自分の反儒教革命を説明した。
「・・・おかしい思わへん?何かおれたち道徳に去勢されてるって
感じものすごいするわ」
「福沢諭吉でも読んだのか?」
「福沢諭吉?あの『学問のすヽめ』の?」
「そうっ、一万円札になってる福沢諭吉や」
「いやっ、別に読んでないけど」
「何や知らんのか?」
「教科書に載ってたけど、それ以上は知らん」
すると北森は腰を浮かして、机に積み上げた書類や本の中を探し始
めた。そして、
「在った、これや!」
そしてその文庫本をおれに差し出した。
「いっぺん読んでみ」
そう言って『学問のすヽめ』をおれにすヽめた。
「先生、あっ違う!北森さん、持ってんの?」
「アホっ!曲りなりにも俺は教師やぞ。教師が『学問のすヽめ』を
持ってなかったらそれこそモグリやろ」
「あれっ?『学問のすヽめ』ってこんな長かったん」
「ああ、学校で習うのは始めのとこだけやからな」
おれは福沢諭吉の『学問のすヽめ』がこんなに何編もあることを初
めて知った。
「学問のすヽめ」を読んで驚いた。それは「学問のすヽめ」とい
うより大半が古(いにしえ)より維新まで継がれたこの国の封建社会
への批判だった。時代は、二百年以上閉ざしていた門戸の閂(かんぬ
き)を欧米列強に破られて、開け放たれた世界には堰を切ったように
近代化の波が押し寄せていた。すでに亜細亜の諸国は西欧帝国主義
の圧倒的な力に屈し植民地にされている。戸惑う国民を啓蒙し近代
化を推し進め独立を守る為には国民が上下貴賎の名分を棄て公に頼
らず、「一身独立して、一国独立す」、個人の不羈独立こそが肝心
だと説いた。ところが自らを頼らず独立の気概に疎い人民は、或は
権力を頼んで政治を曲げ、他は政治を他人事のように眺めるばかり。
その無気無力を養ったものこそ孔孟の教えだというのだ。
「此国の人民、主客の二様に分れ主人たる者は千人の智者にて、よ
きやうに国を支配し其余の者は悉皆(しっかい)何も知らざる客分な
り、既に客分とあれば固(もと)より心配も少なく唯主人にのみ依り
すがりて身を引受ることなきゆゑ、国を患(うれ)ふることも主人の
如くならざるは必然」であって、その結果、「政府は依然たる専制
の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ」となる。つまり、
「故に今、我が日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」
彼の批判が一世紀以上経てもなお変わらずにそのまんま現代社会
への批判として通じることに驚かされた。果たして、我々は個人と
して不羈独立の精神を培ってきただろうか?そうして我が国は国家
として、――抑(そもそも)「国家」という名称が儒教的なんや、国
は家とは違う!――独立しているのだろうか?
それでは福沢諭吉は儒教思想の何が問題だというのか?彼は「返
す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」と言い、「上下貴賎の
名分」の弁(わきま)えを説いたのが儒教だと言うのだ。彼は「儒者
の主義中に包羅する封建門閥の制度も固(もと)より我輩の敵なり」
だから「専ら儒林を攻撃して門閥を排することに勉めた」(掃除破
壊と建置経営・続全集七) それは彼にとって「門閥制度は親の敵
で御座る」(福翁自伝)だからだ。福沢諭吉の儒教批判は熾烈を極め
「腐儒の腐説を一掃して遣ろうと若い時から心掛け」(福翁自伝)た
が、しかし「今世の人が西洋文明の学説に服しながら尚ほ其胸中深
き処に儒魂を存」することを痛歎せねばならなかった。(福翁百話)
では、どうして多くの人々が彼の書物に親しんだにも拘わらず、
更には彼が「腐儒の腐説」とまで蔑んだのに「儒魂」は残ったのか?
それは彼が専ら儒教の思想批判に終始したからではないだろうか。
しかし儒教は実践に拘った教え(道徳)である。そこでは言動や行為
といった作法(形式)を重んじ、そしてその形式こそが「名分」を弁
(わきま)えさせるのだ。つまり、儒教とは本質ではなく形式こそが
重要なのだ。形式が本質を導くのだ。福沢諭吉は儒教の箱(形式)の
中の「儒魂」を批判したが、しかし「儒魂」は敬語や礼儀といった
箱(形式)にこそ宿っていたのだ。だから、いくら「儒魂」をやっつ
けても、敬語や礼儀といった形式を残したままでは、「上下貴賎の
名分」に拘る「儒魂」は何度でもその形骸からゾンビのように甦っ
てくるのだ。
我々は明治維新を未だ終えていない。「文明開化」以来の民主主
義という宿題を克服しただろうか?「名分」に頼らない独立不羈の精
神が重んじられているだろうか?「文明転化」を迫る時代の流れの
中で、再び我々の民主主義が試されようとしている。
北森さんがすヽめてくれた福沢諭吉の「学問のすヽめ」は、おれ
が決めた敬語と虚礼を廃す反儒教革命に大きな自信になった。
(つづく) |
バロックの「パソ街!」6―10
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