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仮題「世界限界論と力への意志」
(二)のつづき
さて、今や我々の理性は「イデア」にも「神」にももはや関心はなく、
もっぱら科学的認識こそが世界をニヒリズムから解放してくれると信じて
やまないのですが、その科学的認識の対象は「真理」にほかならない。し
かし、「真理とは幻想なり」(ニーチェ)であるとすれば、科学的認識もま
た「イデア」や「神」と同じように「幻想」を追い求めていることになら
ないだろうか。当然のことながら近代科学文明社会は科学的認識によって
構築されている。その科学的認識は「幻想である真理」からもたらされて
いるとすれば、いずれ生成としての世界とそぐわなくなるだろう。その不
適合は固定化した科学的認識から生じるのではなく、生成の世界の変動に
よって発生するのだろう。いや、もうすでにそのズレは現れているに違い
ない。たとえば、科学的認識がもたらした科学技術によって造られた固定
化した社会資本は、生成の世界の時間的変動に耐えられずに経年劣化が避
けられなくなっているし、また、固定化した社会制度は流動的な人々の動
向を把握できずに破たん寸前である。それどころか、科学的認識がもたら
した科学技術によって化石燃料が利用され、本来なら大気中に放出される
ことなどなかった温室効果ガスを大量に排出して地球温暖化をもたらし、
その影響は世界各地で自然災害を引き起こし、また、科学的認識がもたら
した大量生産技術は自然循環にそぐわない大量の産業廃棄物を撒き散らし
、地球環境の悪化はいよいよ限界に達しようとしている。永遠に回帰する
ことのない近代科学文明社会は、図らずもニーチェの根本思想で生成の世
界の本質である「同じものの永遠なる回帰の思想」にそぐわない「幻想」
ではないだろうか?つまり、「科学的認識」もまた「イデア」や「神」と
同じようにいずれ抜き取られる価値設定に過ぎないのではないだろうか。
どうしよ?・・・とりあえず(つづく)
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