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「世界限界論と力への意志」
(三)
「イデア」「神」そして「科学」と、それらは我々の理性が「真理」を
追い求めて得た「価値」であったとしても「真理」そのものではない。何
故なら「真理とは幻想なり」であるからだ。「真理」とは永遠不変である
限り、変遷流転する生成の世界は固定化した「真理」をすり抜けていく。
こうして「イデア」も「神」も変化する生成の世界にそぐわなくなった。
ただ、我々は「イデア」も「神」も彼岸へ追い遣ったが、「科学」だけは
此岸にとどまっている。「イデア」も「神」も我々にとっては目的であっ
たが、「科学」は手段であるからだ。彼岸に奉り上げた「真理」に対して
は為す術はないが、此岸にある「科学」に対してはまだ為す術があるので
はないか。つまり、科学的認識をもっと自然により添うように改めること
はできるのではないか。我々は、これまであまりにも自然全体(生成とし
ての世界)に対して無関心でありすぎた。それは自然があまりにも広大だ
ったので許容されてきたからだが、近代化がもたらしたグローバリゼーシ
ョンによって今や世界は「外部」を失い成長は限界に達しようとしている
。押し寄せる近代化の波は限界の壁にぶつかって逆流となって世界に襲い
かかろうとしている。もはや何をするにしても、いや、すでにしているこ
とであっても、科学的認識は「世界の限界」を考慮せずに展望することは
許されない。つまり、科学的認識は生成の世界により添った「生成のため
の科学」でなければならない。つまり、これまでの科学的認識を「世界の
限界」の方の視点から、つまり生成の世界からもう一度認識し直すこと、
「リサイエンス」(Re-Science)が求められているのではないだろうか。
(おわり)
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