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「あほリズム」
(466)
『韓国国防省「低空飛行」で日本に謝罪要求=哨戒機レーダー照射問題』
『強制徴用被害者 新日鉄資金の差押え申し立て=韓国』
何だか韓国(南朝鮮)も北朝鮮のようになってきた。
少なくとも文在寅(ムン・ジェイン)政権下では。
たぶんその背後には中国が居るに違いない。
(467)
『周主席「武力行使も選択肢」 米の台湾介入けん制』
アメリカによる経済制裁が契機なのか、中国が動き始めた!
ほら、台湾がヤバい!
そしてその次は・・・
・・・沖縄か?
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仮題「世界限界論と力への意志」
(二)
ここでもう一度ハイデッガー著「ニーチェⅠ・Ⅱ」について、私の言葉
で、つまりこの本を引用せずに私の理解しているニーチェを語ってみよう
と思います。
まず、これは何度も記しましたが、「形而上学」とはその起源の言葉「
Meta-physics」からも窺えるように、自然(Physics)を超えた(Meta-)
本質を思惟する学問で、プラトンはこの世界を超えた「イデア」こそが真
実存在であると考え、それはのちのキリスト教世界観へと引き継がれます
。そもそも人間を始めとして生成によって生まれてくる存在は、やがて寿
命を終えるとその存在は消え失せます。つまり、われわれの世界とは一時
的な仮象に過ぎないではないか。だとすれば、仮象の世界を超えた「真実
の世界」が在るに違いない。こうして形而上学的思惟は必然的にこの世界
を超えた「本質の世界」を創造します(二世界論)。 さて、キリスト教の牧
師の息子であったニーチェは、やがてこれらの世界観(プラト二ズム)を否
定します。自らの思想を「逆転させたプラト二ズム」と言い、変遷流転す
る生成の世界こそが真実であり、永遠不変の「真理」などというのは幻想
で、世界の本質とは「力への意志」であると説きます。「真実の世界」、
または超感性界である「神の世界」を否定したニーチェは、当然世界は「
ニヒリズム」(虚無主義)に陥らざるを得ないと考えます。いや、そもそも
「イデア(理想)の世界」や「神の世界」はニヒリスティックな現実から遁
れるために嵌め込まれた「価値」であって、「真実の世界」を彼岸に求め
ることこそニヒリズムに他ならないと言うのです。我々の理性は、つまり
形而上学的(Meta-physical)思惟は、存在の本質(真理)を問い求めるが、し
かし「真理」とは永遠不変で絶対的なものであるとすれば、変遷流転する
生成の世界(此岸)の下で真《らしき》ものはあっても「真理とは幻想なり」
ということになる。「真理」を掌握できなかった理性は忽ちニヒリズムに
陥り、そこで「真理」を超(Meta-)自然(physics)界へ、つまり絶対不変の
彼岸へ「真理」を委ねます。彼岸へと昇華した「真理」は、プラト二ズム
では「イデア(理想)の世界」に、そしてキリスト教世界では「神の世界」
として上位に置かれます。しかし、ニーチェはそれらは我々がニヒリズム
から遁れるために世界に嵌め込んだ「価値」に過ぎず、根本境涯としての
ニヒリズムはなにも変わっていないと言います。そこでニーチェは《価値
の転換》(プラト二ズムの逆転)を行って、生成の世界こそが真の世界であ
り、生成の世界の本質とは「力への意志」だと考えます。「イデア」「神
の世界」を失った世界は当然ニヒリズムに陥りますが、そのニヒリズムを
越えていく者こそが「超人」なのだと思います。
さて、今や我々の理性は「イデア」にも「神」にももはや関心はなく、
もっぱら科学的認識こそが世界をニヒリズムから解放してくれると信じて
やまないのですが、その科学的認識の対象は「真理」にほかならない。し
かし、「真理とは幻想なり」(ニーチェ)であるとすれば、科学的認識もま
た「イデア」や「神」と同じように「幻想」を追い求めていることになら
ないだろうか。当然のことながら近代科学文明社会は科学的認識によって
構築されている。その科学的認識は「幻想である真理」からもたらされて
いるとすれば、いずれ生成としての世界とそぐわなくなるだろう。その不
適合は固定化した科学的認識から生じるのではなく、生成の世界の変動に
よって発生するのだろう。いや、もうすでにそのズレは現れているに違い
ない。たとえば、科学的認識がもたらした科学技術によって造られた固定
化した社会資本は、生成の世界の時間的変動に耐えられずに経年劣化が避
けられなくなっているし、また、固定化した社会制度は流動的な人々の動
向を把握できずに破たん寸前である。それどころか、科学的認識がもたら
した科学技術によって化石燃料が利用され、本来なら大気中に放出される
ことなどなかった温室効果ガスを大量に排出して地球温暖化をもたらし、
その影響は世界各地で自然災害を引き起こし、また、科学的認識がもたら
した大量生産技術は自然循環にそぐわない大量の産業廃棄物を撒き散らし
、地球環境の悪化はいよいよ限界に達しようとしている。永遠に回帰する
ことのない近代科学文明社会は、図らずもニーチェの根本思想で生成の世
界の本質である「同じものの永遠なる回帰の思想」にそぐわない「幻想」
ではないだろうか?つまり、「科学的認識」もまた「イデア」や「神」と
同じようにいずれ抜き取られる価値設定に過ぎないのではないだろうか。 (つづく)
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「あほリズム」
(462)
日本の排他的経済水域(EEZ)である日本海の「大和堆」周辺
で、海上自衛隊のP1哨戒機が同盟国であるはずの韓国海軍の駆逐
艦に火器管制レーダーを照射されたことが問題になっているが、
近年の中国の台頭によって米中関係の対立が激しくなり、そもそ
もかつての朝鮮は中国の柵封体制の下で政治思想(儒教思想)を共
有する従属国としての長い歴史があり、更には地理的条件からも
中国へ傾くことにそれほどの抵抗を感じないとすれば、特に文在
寅(ムン・ジェイン)政権の下では、従米主義を貫く日本に対して
反日感情からそのような行為が行われたとしてもそれほど驚くに
当らない。いずれ彼らは、民主主義かそれとも儒教思想かの体制
の選択を迫られれば、後ろ向きでしか前に進めない彼らは、そも
そも儒教とは理想とする古き良き時代(周初)への復古を説く道徳
なので、迷うことなく伝統文化へ回帰するに違いない。つまり南
朝鮮は中国に取り込まれると思った方がいいと思う。そして、そ
の次はたぶん台湾だろう。そして、
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「さて、どうする?」
以下のチベット人ペマ・ギャルポさんの提言は、説得力があると思う
のですが、さて、わが国はどうする?
* * *
「中国に蹂躙されるチベット人が提言、憲法改正でしか平和は保てぬ」
かつてチベットでは、世界平和のために27万人もの僧侶が祈り続けてい
たそうです。しかし、その願いは無残にも中国軍の侵略により踏みにじら
れてしまったといいます。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メ
ルマガ」』では、幼少期に祖国チベットを追われ、日本で言論活動を続け
ているペマ・ギャルポさんの提言を紹介。自らの経験を日本への思いにこ
めた提言は、平和な世界のために日本人が担える役割について示唆を与え
てくれます。平和を祈り続けた27万人の僧侶が見た世界平和への願いは世
界共通の思いであって、チベットでは、かつては朝から晩まで平和を願い
続ける僧侶が27万人もいたといいます。しかし、現在はと言えば、チベッ
ト人たちの国土は中国に奪われようとしています。幼少期に祖国チベット
を追われ、日本で言論活動を続けるペマ・ギャルポさん。最新号に収めら
れた「私の提言」には、日本人に目を覚ましてほしいという思いが込めら
れています。
ペマ・ギャルポ(拓殖大学教授)
一国のリーダーに必要なことの一つは、国民に夢を与えて、それを共有
することです。習近平氏が2049年に世界第一の国になると公言したのは恐
ろしい話ですが、これはこれで中国にとっての“夢”であることは確かで
しょう。戦後、日本は経済的な豊かさを求めて走り続けました。国民はマ
イカーやマイホームを手にするという夢を共有しましたが、それはいわば
掛け声のようなもので、国としてのビジョンではありません。漂流を続け
る日本は、国民全体と共有できる国家ビジョンをこの辺りでそろそろ打ち
立てるべきだと私は考えます。
(中略)
私の日本への提言は、積極的に国連改革を進めながら、平和の大切さを
世界に伝える国になるというビジョンを描くことです。国連の存在意義は
大きく国際平和の構築と人類の発展の二つです。私は世界で唯一の被爆国
で、経済力がある日本こそが、その推進役に相応しいと考えます。「日本
国憲法」と「国連憲章」は、その根底に流れる思想が共通していることも
その理由として挙げられます。地域や人口のバランス、世界への貢献度と
いう点で常任理事国は現在の5か国のままでいいのかという問題も含めて、
日本はこれからさらに国連の運営に関して積極的に発言を強め、ぜひ常任
理事国入りを果たすべきです。軍事力を強化すれば戦争が起きる、憲法9
条は絶対に変えてはいけない、という根強い意見があります。私はそうい
う人たちによく考えてほしいのです。恒久平和を念願するということなら
、侵略される前のチベットにも朝から晩まで平和を祈り続ける27万人もの
僧侶たちがいました。しかし、中国はそんな罪なき人々を無慈悲にも投獄
、虐殺し国土を奪ったのです。
「9条を守れ」と主張する人の中には、侵略軍に占領されて非武装のまま
抵抗することを主張する人や、軍事的に抵抗することはかえって国民の犠
牲を増やす、と訴える人もいます。しかし、侵略され植民地化された国の
実態や人々の悲しみを知る私には、いずれも到底受け入れることのできな
い発言です。現実を知らない人間の単なる戯言のようにしか響きません。
法整備をして自国を守る体制をしっかり整えることが、現段階では平和を
保つ唯一の道なのです。
* * *
わが日本国憲法はその前文において、
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理
想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し
て、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持
し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国
際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と謳い、「平和を愛
する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと
決意した。」(一部)ことを前提にして9条(武力放棄)が記述されている。
つまり、その前提である「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上
から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」の下での戦争放棄であって
、チベットだけに留まらず近隣諸国に対する威嚇や侵略によって「専制と
隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めない」覇権主義国家
については、その大前提が崩れているのではないかと思うのだが、さて、
どうでしょうか?
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仮題「世界限界論と力への意志」
我々の理性は「生成そのもの」に与ることはできない。いや、もっと分
り易く言えば、我々の理性は「命を認識することができても、命そのもの
を生むことはできない」したがって、我々の理性は「生成としての世界」
を読み解くことができず、必然的に「ニヒリズム」に陥らざるを得ない。
つまり、いずれ消滅する生成としての存在は「意味がない」、それが理性
の結論である。つまり「生きる意味がない」と言って死ぬのは認識論とし
ては間違っていない。が、しかし理性の限界を超えたところに生成として
の存在の本質があるとすれば、理性的認識だけで存在の意義を判断するの
は誤りなのかもしれない。いや、そもそも固定化した「本質」という思考
が変遷流転する生成の世界を捉えられないのだ。何れにしろ「我々の理性
は生成としての世界を捉えられない」、これがニーチェ形而上学の結論で
あり、そこで彼は「生成の哲学」、つまりニヒリズムを超えて行く超人思
想を説く。
さて、世界とは変遷流転を繰り返す生成であり力への意志であるとする
なら、固定化した世界は生成にはそぐわない。ところが、いまや近代社会
はグローバリゼーションによって地球を征服して人跡未踏の新たな余地を
失い、環境、資源、人口など様々な問題が限界に達して固定化し、生成と
しての存在者は力への意志による新たなパースペクティブが他者と重なり
合って展開できず、国家レベルでも様々な確執が生まれている。
(つづく)
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