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「同じものの永遠なる回帰の思想」
「ニーチェⅠ」 「ニーチェⅡ」
かつて、木田元著「ハイデガーの思想」(岩波新書268)を読んで、
これはとても解り易かったので、このブログでも記事にしたことがあった
。(「存在とは何だ?」改稿)随分前に、その木田元氏(2013年死去)
が新聞の書評か何かでマルティン・ハイデガー著「ニーチェⅠⅡ」(平凡
社ライブラリー)を絶賛していたのを読んで、ハイデガーがニーチェを語
っていることを知って驚いたこともあって、早速ネットで取り寄せた。が
、まったく難解で先に進めずほとんど読まずに積読していた。ニーチェの
本は「悲劇の誕生」から「ツァラチュースツァラは斯く語りき」までラン
ダムに「一応」目を通してきたが、どうしても晩年の永劫回帰思想だけは
理解できずに居る。ネットなどで調べても凡そのことは把握できても核心
が掴めない。永遠の時間の中で限界のある存在は無限に同じ場面に遭遇す
る、とすれば我々はそれを「然り」と受け止めなくてはならない、のはぼ
んやりと理解できても、ではペシミズムに陥らずに超えるにはどうすれい
いのかが解らない。ニーチェ自身も思考を積み重ねて辿り着いた思想では
なく、ある日突然に直観的に閃いた思想であることを告白しているが、言
葉によって直截的には語っていない。たぶん言葉では語れないのだと思う
。そういうこともあってハイデガーなら読み解いてくれると期待したが、
まず使われる言葉の意味をギリシャ時代から辿って定義し直して、そして
様々な命題の誤謬が延々と語られ、優に千ページを超える重厚な本のどこ
に私が捜し求める「真理」が隠されているのか倦ねてしまった。
覚束ない理解を承知の上で、それではニーチェは、古い価値が崩壊して
(神の死)、喪失によるペシミズムを乗り越えて「新しい価値定立の原理を
確立する」ためにはいったい何が重要かと言えば、真理などではなく芸術
であると言う。同書からの抜粋で、
一、芸術は力への意志のもっとも透明でもっとも熟知の形態である。
二、芸術は芸術家の側から把握されなくてはならない。
三、芸術とは、拡張された芸術家の概念によれば、あらゆる存在者の根本
的生起である。存在者は存在するものである限りは、自分を創造する
者、創造される者なのである。
四、芸術はペシミズムに対する卓越した反対運動である。
五、芸術は《真理》よりも多くの価値がある。
(同書「芸術についての5つの命題」より)
そして、「われわれは真理のために没落することがないようにするため
に芸術をもっている」とまで言う。科学がどれほど世界の謎を解き明かし
たとしても我々にとっては何の精神的な救いにならない。それどころか解
き明かされた「真理」は生命体としての存在者をいよいよ絶望へと追いや
る。われわれが新しい価値を築くためには「美」への陶酔こそが重要だと
唱える。「おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そしておのれへ
と還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れきたっておのれへと
還帰してゆきながら場を占めている」存在者にとって新しい「美」の創造
こそが「力への意志」を目覚めさせる。
まさに今は「美」が「真理」(科学)に取って代わられた時代である。「
美」そのもに代わって合理主義に基づく「機能美」に溢れている。周りを
見渡せば高層ビル群や舗装道路、自動車、スマートフォン、どれも「美」
そのもの価値によってわれわれを陶酔へと誘うことはない。「新しい価値
定立の原理を確立する」ためには、芸術家によって「新しい美」が創造さ
れなければならない。
表紙カバーの絵は私の大好きな画家C.D.フリードリヒです。
「ニーチェⅠ」は「雲海を見下ろす旅人」部分、
「ニーチェⅡ」は「樫の森の中の修道院」部分です。
これに釣られて買ってしまった。
(おわり)
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2017年08月31日
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