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仮題「世界限界論と力への意志」
我々の理性は「生成そのもの」に与ることはできない。いや、もっと分
り易く言えば、我々の理性は「命を認識することができても、命そのもの
を生むことはできない」したがって、我々の理性は「生成としての世界」
を読み解くことができず、必然的に「ニヒリズム」に陥らざるを得ない。
つまり、いずれ消滅する生成としての存在は「意味がない」、それが理性
の結論である。つまり「生きる意味がない」と言って死ぬのは認識論とし
ては間違っていない。が、しかし理性の限界を超えたところに生成として
の存在の本質があるとすれば、理性的認識だけで存在の意義を判断するの
は誤りなのかもしれない。いや、そもそも固定化した「本質」という思考
が変遷流転する生成の世界を捉えられないのだ。何れにしろ「我々の理性
は生成としての世界を捉えられない」、これがニーチェ形而上学の結論で
あり、そこで彼は「生成の哲学」、つまりニヒリズムを超えて行く超人思
想を説く。
さて、世界とは変遷流転を繰り返す生成であり力への意志であるとする
なら、固定化した世界は生成にはそぐわない。ところが、いまや近代社会
はグローバリゼーションによって地球を征服して人跡未踏の新たな余地を
失い、環境、資源、人口など様々な問題が限界に達して固定化し、生成と
しての存在者は力への意志による新たなパースペクティブが他者と重なり
合って展開できず、国家レベルでも様々な確執が生まれている。
(つづく)
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2018年11月25日
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