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「あほリズム」
(321)
かつてのプロスポーツ選手たちはいいプレーをして
観客に元気を与えた。
ところが、近頃のアスリートたちはいいプレーをするために
観客から元気をもらう。 曰く、
「応援よろしくお願い済ます」
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アフォリズムではありません
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「あほリズム」
(320)
タバコやめ 間がもたなくて空を見上げる 身生かすほどの 祖国はありや
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「あほリズム」
(319)
小学生の頃、夏休みになると毎朝学校でラジオ体操に参加させら
れた。みんなは手帳にハンコが貯まっていくのを喜んでいたが、私
は、みんなが一緒に揃って行う「ラジオ体操」の主旨がよくわから
なかった。そもそも、体操とは身体を動かす前の準備運動で、それ
ぞれが普段あまり使わない身体の一部に故意に負荷をかけて異状が
ないかどうかを確認する運動であるなら、勝れて個人的な行いであ
るにも係わらず、みんなと動作を揃える必要がいったいどこにある
のだろうか?仮に、体操中に足首の異状を認識して、そういえば確
か昨日段差に足を取られて捻ったことを思い出して、足首を何度も
ほぐしていると、最前列の壇上で監視する先生から指を差されて大
きな声で「そこーっ!」などと怒鳴られたりすると、はて、この体
操は一体誰のために行っているのだろうかと思わざるを得なかった。
それ以来、私はワザとみんなの動きに逆らって、右から始める体操
を左から始めたり、みんなが前に屈むときは後ろに反ったりしてい
ると、指導教師が飛んできて、「みんなに合わせろ!」と怒鳴るの
で、
「ぼく、ギッチョなんです」
と答えると、次の日からは体操免除の特権をいただいた。 ハンナ
・アレントは、「『自由』という言葉によって連想されるあらゆる
特殊な自由の中で、歴史的に最も古くまた基本的なものは運動の自
由です。」と言いました。つまり、「ラジオ体操」は、極めて個人
的な柔軟体操であるにも係わらず、個人の基本的な「運動の自由」
さえも、みんなと一緒に行うことによって奪われてしまうのです。
(つづく)
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「あほリズム」
(317)
たまたまテレビを点けたら、「1000万人みんなの体操」と銘
打ってラジオ体操をやっていた。昨日のニュースでは北朝鮮では休
戦六十周年を記念して国民10万人による一糸乱れぬマスゲームが
過去最大規模で行わたらしい。簡単に言うとどちらも気持ち悪かった。
体操ぐらい自分だけでやればいいじゃないか。何でみんなと一緒で揃
ってやらなくてはならないのか?多分そのメンタリティーはマスゲーム
と同じだと思う。そうやって共同幻想が生まれ、やがて権力者に利用
される。
(318)
「マスゲームとラジオ体操と応援団」
夜のニュースで北朝鮮が、
10万人でマスゲーム、
朝のテレビで日本人が、
1000万人でラジオ体操、
昼には高校野球の中継で、
応援団が声を揃えて大声援、
マスゲームとラジオ体操と応援団、
みんなおなじで、気持ちわるい。
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「あほリズム」
(317)
思想は、陰湿で暗いところを好む。光の届かない書物であったり、
とりわけ人間の脳内がお気に入りだ。彼らはそこで増殖して溢れる
と言葉となって口から洩れる。ところが、世間の空気に触れると忽ち
枯れてしまう。そこで、本を介して人の脳に感染ろうとする。
(318)
「一度口に出したら、その思想は嘘になる」というその「口に出した
思想」に対して、人々は偏見を抱いているのです。
(ドストエフスキーがソロヴィヨフに宛てた手紙より)
(319)
果たして、インターネットは思想を育むことができるだろうか?
少なくともSNSから思想が生まれることはないだろう。
何故なら、育まれる前に枯れてしまうから。
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