北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

「存在とは何だ?」

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「益川先生」

イメージ 1

               



          「益川先生」


 益川俊英さんの講演会に行きました。詰まんなかった。「現代社

会と科学」いうテーマでしたが、掻い摘んで言うと二点あって、基

礎科学はすぐに社会に貢献できるわけではないという事を、マクス

ウェルの電磁方程式が実際に社会に生かされるようになったのはそ

れからずーっとお後になってからだという事と、1911年にオン

ネスによって発見された超伝導も100年の年月が流れていること

を語り、もう一点は、科学は基礎を理解してないと応用が効かない

という事を、エジソンとニコラ・テスラとの送電事業に於ける直流

と交流を巡る確執と、ファーブルの「昆虫記」に記されている、パ

スツールがカイコのことを全く知らないで伝染病を撲滅させたエピ

ソードを例に語られました。おっしゃっていることはよく解ります

がもう少し夢のある話が聴きたかった。高齢の聴衆が多い中で10

0年後の応用のために基礎科学を身に着けろと言われてもピンと来

なかった。

 まず、私は彼の講演を全て記録したわけでもないので、私自身の

記憶だけで述べることを告白しますが、そこには私の思い違いが潜

んでいることを了解してください。

 会場はほぼ満員だったが先ほど言ったように聴衆の殆どが高齢者

で、高校生以下は無料にも拘らず若い人の姿が少なかったのがこの

町の未来を暗示しているようで寂しかった。私は上に記した本題よ

りも、彼が本題の前に語ったエピソードの方が興味深かった。最初

に彼は、ある本の出版に際して岩波書店の校正部と言い合いになっ

た事を紹介した。それは研究者仲間から「マダム・○○」と呼ばれ、

本人も了解している愛称を記したところ差別用語だと言われて、そ

の言い分とは、幾ら二者が了解していても社会が差別を感じたら出

版出来ないということで、彼は引き下がらざるを得なかったらしい。

更に、基礎科学の教室では「先生」という敬称は出来るだけ使わな

いのだと言い、それは実験の難しい素粒子理論を議論する時に、序

列に拘っていては上司の誤りを指摘できなくなってしまうからだと

説明した。そして、初めて日本人としてノーベル賞を受賞した湯川

秀樹氏に対してさえ彼は「湯川さん」と呼び、決して「先生」とは

呼ばなかったと語った。ところが一転して、彼が師事する坂田昌一

教授に対してだけは「先生」と呼ぶのだと言う。「私が先生と呼ん

で尊敬するのは坂田先生だけです」と言い、敬称を使い分けている

ことを明かした。すると、先ほどの差別用語の顛末を逆にしたよう

に、今度は恩師への尊敬を講演会という公の場で披露することによ

って、彼は自分が「先生」と呼ばれることに対してはどう思ってい

るのか知らないが、そのエピソードを聴いていた司会者を始め主催

者や質問者さえもそれでは「益川さん」と呼ぶものは誰一人現れず、

そう呼べば先の経緯から彼を尊敬していないことになってしまうか

ら、彼が紹介した教室の様子とは違って「先生」「先生」の敬称が

飛び交った。科学者の講演会でありながら主催者の取って付けたよ

うな堅苦しい言葉使いが聴衆の好奇心を萎えさせて、古臭い思想に

依拠するこの町の姿を垣間見た思いだった。そして、彼のような科

学の最先端で活躍する人でさえ序列意識から自由ではないのだと知

った。かつて福沢諭吉が「腐儒の腐説」とまで言って蔑んだ序列道

徳は、社会から生まれるのではなく二者の力関係から生み出される

のだと思った。

 因みに、古臭い道徳に縛られたこの町の子どもたちは、隣り町に

は「格物致知」を由来にする校名の高校まである、小学校の行き返

りに出会う大人たちに対してきちんと「行ってきます」「ただいま

帰りました」と挨拶をするが、それは言わされているからで自発的

にそうしているのではない。何故なら、やがてその子らが高校生に

でもなれば、学校の行き返りを自転車に乗って、歩道を歩く人のこ

となど考えずに二台三台が並走して来たり、或いは、謝りもせずに

すぐ横をぶつからんばかりの勢いで追い越して行くようになるのだ

から。つまり、彼等が強いられる道徳は全く身につかず、やがて成

人にでもなれば強い者には諛い弱い者を蔑にする序列に縛られた社

会人に育つ。彼等は束縛されるか放逸に過ごすかしか知らない。だ

から、この町から独立自尊の人物など生まれてくるはずがない。

「存在とは答えだ」

              「存在とは答えだ」


 真夜中を過ぎました。雨も降り飽きたようです。虫たちも息をひ

そめる静かな夜です。世界は先ほど営業を終えてひっそり閑として

います。宇宙の中に私だけが取り残されたようです。いや、実は、

私も存在しないのかもしれません。目を閉じると、感覚は私を離れ

て静かな宇宙に繋がります。宇宙も息をひそめて流れています。存

在のよりどころを求めて流れているのでしょうか。いや、何も求め

てはいないのでしょう。そこには問いなどないからです。すべてが

答えなのです。わたしの問いはいつも答えの後ばかり追いかけてき

たけれど、今、知りました。答えがないのではない、わたしが問い

掛けているだけだと。宇宙も大地も、そしてわたしが存在すること

のすべてが答えなんだと。



 「世界の中に神秘はない。世界が在ることが神秘だ」
                         
                    (ヴィトゲンシュタイン)


 中国地方のこんな山の中に、あすノーベル物理学賞を受賞された

益川敏英氏が講演に来られます。聴きに行ってみようと思っています。



 

「存在とは何だ」(4)

            「存在とは何だ」(4)


 本「ハイデガーの思想」に戻ります。

 以下は、著者(木田元) と ハイデガーの言葉が交錯しますので、

便宜上、「 」は著者の、『 』 はハイデガーの、それ以外は私の

言葉とします。

 ハイデガーは、西洋形而上学はプラトン、アリストテレスによっ

てもたらされたと言います。それは、アリストテレスによって、存

在者を「何であるか」(本質)と「それがある」(事実)に区別し概念

化されて、「『この区別の遂行こそが形而上学を成立させたのだ』と

ハイデガーは見るのである。」

 つまり、『存在が区別されて本質存在と事実存在になる。この区

別の遂行とその準備とともに、形而上学としての存在の歴史が始ま

るのである』(ハイデガー著『ニーチェ』)

 それでは、それ以前のギリシャ人たちはどうだったのか?「彼(ハ

イデガー)の考えでは、アナクシマンドロスやヘラクレイトスやパル

メニデスに代表される〈ソクラテス以前の思想家たち〉は、<叡知>

を愛する「アネール・フィロソフォス(叡知を愛する人)」ではあっ

たが「哲学者」ではなかったし、彼らの思索も、「叡知を愛するこ

と」ではあっても「哲学」ではなかった。彼らは哲学者よりも「も

っと偉大な思索者」だったのであり、「思索の別の次元」に生きて

いたのである。」そして、存在者に対する想いとは、「『存在者が

存在のうちに集められているということ、存在の輝きのうちに存在

者が現れ出ているということ、まさしくこのことがギリシャ人を驚

かせた』のであり、この驚きがギリシャ人を思索に駆り立てたのだ

が、当初その思索は、おのれのうちで生起しているその出来事をひ

たすら畏敬し、それに調和し随順するということでしかなかった、

と言うのである。」つまり、存在者〈がある〉ことに驚き、〈それ

が何であるか〉(何のためにあるか)とは考えなかった。「彼(ハイデ

ガー)は、このようにして開始された思索を『偉大な始まりの開始』

と呼ぶ。」 それでは彼ら(古代ギリシャ人)は存在者をどのように解

していたのだろうか。「万物を<ピュシス>(自然)とみていた早期の

ギリシャ人は、存在者の全体を〈おのずから発現し生成してきたも

の〉と見ていたにちがいない。」 「ハイデガーは、この<ピシュス>

についてこんなふうに述べている。『ピシュスとはギリシャ人にと

って存在者そのものと存在者の全体を名指す本質的な名称である。

ギリシャ人にとって存在者とは、おのずから無為にして萌えあがり

現れきたり、そしておのれへと還帰し消え去ってゆくものであり、

萌えあがり現れきたっておのれへと還帰してゆきながら場を占めて

いるものなのである』」

 ところが、プラトン・アリストテレスによって存在は本質存在と

事実存在に分岐され、「〈始原の単純な存在〉つまり〈自然〉とし

ての存在が押しやられ、忘却されてしまう。この〈存在忘却〉とと

もに〈形而上学〉が始まるのである。」 そして、『イデアとしての

存在こそがいまや真に存在するものへと格上げされ、以前支配的で

あった存在者そのもの(つまり自然)は、プラトンが非存在者と呼ぶ

ものに零落してしまったのである。』 つまり、『イデアの優位がエ

イドス(形相)と協力して、本質存在(何であるか)を基準的存在につ

かせる。存在はなによりもまず本質存在ということになるのである』

 「以後、形而上学の進行のなかで、この<本質存在>を規定する形

而上学的(超自然的)原理の呼び名は、プラトンの<イデア>から中世

キリスト教神学では<神>へ、さらには近代哲学においては<理性>へ

と変わってゆくが、それによって規定される〈本質存在〉の<事実存

在>に対する優位はゆるがない。」

 つまり、「〈哲学〉にとっては〈それは何であるか〉という問い

が本領であるが、そう問うことによってすでに〈存在〉を〈本質存

在〉に限局してしまっている、ということにほかならない。」それ

では、ハイデガーはその哲学についてどう思っていたのだろうか。

もちろん、時代と共に彼の思想も変遷するが、「西洋=ヨーロッパ

の命運を規定した〈哲学〉と呼ばれる知は、自然を超えた超自然的

原理を設定して自然からの離脱をはかり、自然を制作(ポイエーシス)

のための単なる材料(ヒュレー)におとしめる反自然な知なのだ」。

そして、「近代ヨーロッパにおける物質的・機械論的自然観と人間

中心主義的文化形成の根源は、遠くギリシャ古典時代に端を発する

<存在=現前性=被制作性>という存在概念にあると見るべきだ」。

そこでハイデガーは、「人間を本来性に立ちかえらせ、本来的時間

性にもとづく新たな存在概念、おそらくは〈存在=生成〉という存

在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような

自然観を復権することによって、明らかにゆきづまりにきている近

代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていたの

である」。ところが、彼の企ては挫折してしまった。それは、「人

間中心主義的文化の転換を人間が主導権をとっておこなうというの

は、明らかに自家撞着であろう。」

「では、この形而上学の時代、存在忘却の時代に、われわれは何が

なしうるのか。失われた存在を追想しつつ待つことだけだ、と後期

のハイデガーは考えていたようである。」(木田元・著「ハイデガー

の思想」より)

 ほとんどが引用になってしまったが、ハイデガーは本質存在「何

だ?」ばかりを追い求め事実存在「ある」を見失ってしまった人間

に始原の〈自然「ピシュス」〉を復権させようとしたが、その自家

撞着によって挫折した。そして、我々にできることはただ「待つこ

とだけだ」と言ったという。ところが、今や我々は人間中心主義的

文化の限界を実感して、合理主義経済がもたらす環境破壊によって

自然環境が激変し、想定(本質)外の自然(事実存在)の反乱に怯えて

いる。たとえば、人間が主導権をとって人間中心主義的文化の転換

を図ることは自家撞着かもしれないが、それでは自然(事実存在)の

変動によってその転換を余儀なくされているとしたらどうだろうか?

本質存在の優位が事実存在の反乱によって脅かされ、「自然共生動

物」或いは「地球内生物」である「世界内存在」としての現存在が

文字通り〈存在=生成〉による転換を迫られているとしたらどうだ

ろうか?自然の猛威とは本質存在に拘束されていた事実存在がその

束縛を断って反抗(生成)しているのだ。忘れ却られていた自然の摂

理がまさにその事実存在によって我々の存在了解(想定)を脅かし、

ハイデガーが言うように、再び我々の「叡知」が甦える時が来ると

すれば、それは将に今こそがその時ではないだろうか。つまり、

ハイデガーの残した思想がようやく輝きを放って、歩むべき道を見

失った近代人を導いてくれるその時が来たのではないだろうか。

 最後に、本の中で見つけたヴィトゲンシュタインの次の言葉を引

用します。

「神秘的なのは、世界がいかに〈あるか〉ではなく、世界がある

〈ということ〉である」


「存在者」・・・〔補説〕 (ドイツ) Seiendes存在するもの。
          人・物など個々の存在物を、存在そのものと
          区別していう語。〈大辞林より〉

 尚、本書には到る所に原語のルビがふってありましたが、当然
   その連関を失えば著者の意が伝わらなくなることを承知の
   上で、出来るだけ分り易く伝えるために大部分割愛しました。
   もし伝わらなかったとすれば私の不手際です。



                                 (おわり)

         



           「存在とは何だ」(3)




 「ハイデガーは、『それは何であるか』という問い方そのものが

『哲学』の問い方であり、このように問うときすでに、存在に対す

るある態度決定がおこなわれてしまっている、と言いたいのである」

(木田元「ハイデガーの思想」岩波新書268)

 この本はその後、ハイデガーによるプラトンの「イデア」、アリストテ

レスの「エネルゲイア」批判を展開するのだが、私は、それでは「そ

れは何であるか」と物事の本質を問うことが、何故、ある態度決定

がおこなわれてしまうことになるのかを考えようと思う。つまり、「何

であるか」とは何であるかということである。

 たとえば、Aは「何であるか」と問う時、我々は少なくともAの

存在は認識しているはずである。そこではA=Aである。ところが、

Aについてさらに「何であるか」と問うことは事実(A=A)を超え

た本質を求めることになる。つまり、A= a+a' のように。それで

は a とはそもそも「何であるか」と問い始めるとそれは無限連鎖に

帰趨して、Aの本質そのものから離れて行ってしまう。つまり、本

質を求めるための解析は本質そのものに辿り着けない代わりに解析

という手法だけが残される。西洋形而上学は本質を問いながら本質

は見失われ、ただ解析という手法だけが残って自然科学が生まれた。

今、我々の自然科学は本質を追い求めて素粒子にまで辿り着き「何

であるか」と問いながら、何れそれは再び A へと回帰して来ることだ

ろう。つまり、 a + a' =A であると驚きをもって語られる日が来るに

違いない。



                                (つづく)かも

「存在とは何だ」(2)

          「存在とは何だ」(2)


 木田元(著)「ハイデガーの思想」を読んだ。実は、ハイデガーの

「存在と時間」を読んでいないので語ることはできないのだが、ぼ

んやりとではあるがハイデガーが何を考えていたのかが窺えた。

 私は若い頃、暇を持て余して東京の下町の図書館に入った時、そ

こで偶々サルトルの「実存は本質に先行する」という言葉を目にし

て、それまで存在の本質を追い求めていた自分の思考を停止させら

れたことを思い出す。それは自分にとって大きな転換だった。その

頃、ハイデガー「について」書かれた本も手に取ったが、確かその

中でハイデガーは、サルトルのその言葉を聞いて「先行すると言っ

たのか」と何度も尋ねた、と書かれてあったが、その意味がよく解

った。つまり、ハイデガーによれば、西洋形而上学はプラトン、ア

リストテレスによって存在を本質存在(イデア)と事実存在(自然)の

二義的に区別され、その優位性は時代によって何度も転換を繰り返

してきたと言うのだ。「そこで彼(ハイデガー)はサルトルのこの主

張を嗤って、『形而上学的命題を転倒しても、それは一個の形而上

学的命題にすぎない』」(同書より)、つまり、卵と鶏のジレンマと

同じことだ。ただ、我々が「存在に関して『それは何であるか』と

問うとき、存在はすでに『本質存在』に限局され」(同書より)、そ

もそも「本質存在と事実存在との区分の遂行とその準備とともに形

而上学としての存在の歴史が始ま」ったのだ。だから、上のサルト

ルの言葉は、時代が変われば簡単に「本質は実存に先行する」こと

になると言うのだ。ハイデガーのことばは明らかに「存在と何か」

を問う西洋形而上学の否定に他ならない。



                                (つづく)かも

 

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